ウイスキーの刻 ~Whiskyのとき~

耳を澄ませば聴こえるウイスキーのメロディ。
『ウイスキーの刻』は、その真実を探し求めていきたいと思います。

『リタの瞳と政孝の眼差し』⑩

2020-02-20 19:19:19 | 日記
 こんばんは。Aokiです。


 「旧竹鶴邸と貴賓室見学&試飲会」を終え、
 お土産にいただいた『余市シングルモルト』を
 眺めております。


 パワフルでスモーキー。

 やや焦げ臭。

 後から甘みがじわじわと。

 加水でピリピリとした辛味が増す。


 香りやフレーバーは存じております。

 それでも「余市」の文字を見るたびに、
 郷愁の想いと共に、この雫の奥に
 まだまだ未知なるものを感じます。

 余市蒸溜所は、あまり晴れの日のイメージがありません。

 晴れでも雨でも、険しい道程の果てに流れ出るスピリッツには、
 冬の荒れた海のイメージがつきまといます。

 石炭が似合うスピリッツ。

 小奇麗でオートマチックな、洗練された施設も良いでしょう。

 ですが、余市には、無骨で煤だらけの笑顔が似合いそうです。
 (実際にはそんな方はいませんが)


 『余市』は男性的なウイスキーと言われます。

 確かにそう思います。

 ただ、それは、猛々しい、雄々しいということではなく、
 豪快にしてセンチメンタルなイメージです。

 リタの死に人目もはばからず動揺し、
 数日間泣き続けたと言われる竹鶴政孝。

 ドライアイの私には出来ないことですが、
 心中察することは・・・

 やめておきましょう。


 今も脈々と続くふたりの道。

 “ウイスキーの刻”へと続く永い道のり。

 永い道のりには、幾多の困難や障害が待ち受けています。

 多くの方は、困難に遭うと、自らあきらめ、

 困難を見つけると、そこを歩む人の道を塞ごうとします。

 塞がれた道を開くことは、
 塞いだ人間を否定することになります。


 リタの家族は、当初、リタと政孝の結婚、
 異国の地での生活に反対だったようです。

 無理もありません。

 史実と真実は同じではありませんので、
 本当のところは当人にしかわかりませんが、
 もしも反対を押し切っての結婚、来日だったとすれば、
 リタの心労は相当なものだったことでしょう。

 これから老いてゆく母親を残し、
 異国の地に骨を埋める覚悟は、
 別に美談ではありません。

 負担を全て他人に負わせ、
 自分だけ好きなように生きたとも言えます。

 別の見方をすれば、
 病弱で家族の負担になっていた自分が家を出ることで、
 家族の負担を減らせると考えたのかもしれません。

 どれほど詮索しようとも、真実はわかりませんし、
 わかる必要もありません。

 ただ、ふたりの歩んだ道の先には、
 無色透明のスピリッツがあり、
 歩き続けた道程が、それを
 琥珀に育んだことだけは真実だと思います。

 あれこれと勝手な推測をいたしましたが、
 人さまの人生を知ることなど出来るはずもなく・・・
 ただ、美味いウイスキーをつくってくださったふたりに
 感謝するだけです。

 小さな瓶に詰められた永く険しい道のり。

 大切にいただきます。


                       Z.Aoki
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