740年 日本に渡来した秦氏一族と時の政権で編纂した古事記、日本書紀などの歴史書は、現代も日本の古代史を紐解く書物として重宝されています。

そして、現生を司るのが神社として君臨し、地域の催事を司り、地域を延々と集渥してきました。

また、死者を司るとして、その力を絶大なものにしてきた仏教と寺院、信長の襲撃にも私兵で立ち向かうほどの権力を有してきたのは、歴史的事実!!

 

そこで、今回はそんな仏教と寺院を考えてみます。戦後の動乱期にも、その地位を確固と守り京都などは、米国のB-29の絨毯爆撃も受けず、その建物を残し、現在は、連日長蛇の列をつくる外国観光客、その拝観料だけでも多額の金額になりますが。

1980年代までは、坊主丸儲けで、ウハウハの生活ができるお寺も、沢山ありました。

しかし、平成の時代になって、家督相続の意義と意味がなくなって、核家族化が進み、都市集中が進んでくると、田舎で、檀家数百軒で、細々と仏事を行なってお寺を維持してきた方達は、核家族のあおりを受けて、檀家は減り、ともすれば周囲に人がいなくなって、お寺の改修も出来なくなってきています。

画像は、徳島市の南にある丈六寺です。

戦後の日本を紐解くと1950年代は、戦後のバラックが立ち並ぶ荒廃した領土に、樹木に覆われた、神社仏閣だけが、威厳を放ちながら地方には点在してきました。

多くの寺院は砲火を免れて、その姿を残しています。

これは、米軍機の地図による正確な砲撃のなせる技です。しかし、無策の政治が続いた事で、この仏閣の維持は不可能になってきました。

 

<坊主丸儲け>の時代はすでに終わっているのです。リンク先 浄信寺のHPにも書かれています。

核家族化と限界集落の波は、無策で、東京一極集中が招く地方の無人化に拍車をかけて、現政権政党の、自分達だけよければいいの政治は、神社仏閣を朽ち果てさせ始めたのです。死者を敬う心も金があれば出来る事!!

明日の生活に窮する庶民に、死者を敬うほどの余裕があるでしょうか??

この国のお墓はこんなところか!!!

そして、神社の祭りも軽トラックでお神輿を乗せて走り抜けるだけの簡素で人出の要らない祭りは、もちろん明日の糧にも影響します。

寺院も同じで、お布施の集まらない田舎の寺院は、生活にも困窮します。

1300年以上の歴史を持つ寺院は、その歴史の幕を下ろす処も増えているのです。

果たして、この国の政治家達は、この国の庶民をどこに連れていくのでしょうか???

まるで犯罪大国のように連日報道される不正と腐敗は、日本の歴史を崩壊させようとしています。ネット社会の台頭もそれに拍車をかけているかもしれませんが、

 

せめて、お正月くらいは、その浄財を奮発して、寺院を守ってみませんか!!!

日本会議に入った神社はその対象じゃないでしょ!!!!

お寺に初詣しましょうか!!!!

古き良き日本の歴史のタメにね!!!!

 

 

あ〜ぁ、紅葉の画像を撮りに行って、浄財寄付の看板をみて、また吠えてしまいました。

 

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