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自己意識

無心ということ~「絶対的無心」と「条件的無心」~

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この記事は2020.2.14、3:02に更新たしました。

更新内容:記事を推敲いたしました。

 

まだ推敲の余地のあるまとまってない記事だが、最近は記事を投稿していないので、とりあえず出しておく。

暇があったら直す。

わかる人には、その真意が伝わるはずである。

 

 

あなたがネガティブな思い(思考)、つまり波動の低い想念に巻き込まれると、あなたは感情的にもネガティブな想い(感情)、つまり波動の低い感情エネルギーに支配されてしまう。

健全な意識を有する人間にとって、波動の低い感情エネルギーは、普遍的に不快なものとして感じられる。

あなたが変態なら別だが・・・

 

つまり、

愛に由来する感情エネルギーの波動(振動数)は高く、怒りや憎しみに由来する感情エネルギーの波動(振動数)は低い。

 

たとえ無意識的や無自覚的であろうと、その不快なものをあなたが握りしめてしまうと、その不快なものはあなたの常備的な持ち物となってしまうので、それに由来する不快さは持続的なものとなるため、それは苦しみとして認識される。

 

心の苦しみは、波動の低い想念との自己同一化によって始まる。

心の苦しみの根本的原因とは、想念との自己同一化である。

想念との自己同一化とは、想念に巻き込まれること。

不快な想念がわき起こると、感情的にも巻き込まれて、あなたまでもが不快になってしまうということだ。

 

そうならないために必要となるのは、

「集中」と「くつろぎ」の共存・・・

 

スピリチュアルな用語で表現するなら、

「気づき」と「明け渡し」の共存・・・

 

明晰(めいせき)な気づき」なき「明け渡し」とは、通常のぼんやりとしている時毎晩の眠りの時などといった微睡(まどろ)んだ意識状態と何ら変わらない。

自己意識が眠ったままで、意識の根源から引き込まれても

それゆえ、心のスクリーンに雲一つない青空が映っている時は心地良いかもしれないが、心のスクリーンに雨や雪が降り始めると、あなたはたちまちアタフタすることとなる。

つまり、

あなたは想念(心景色に映る雨や雪)と自己同一化(想念に巻き込まれること)してしまうことによって、自己を失うこととなる。

 

ゆえに、あなたがたかが心のお天気にしか過ぎない心模様(こころもよう)を彩(いろど)る想念との自己同一化によって苦しみたくないならば、想念に巻き込まれてはならず、そのためには確固とした自己意識を保ち続けていることが必要である。

そして、

確固とした自己を保ち続けるためには、想念との自己同一化に即座に気づくことができるほどの明晰な気づきが必要となり、明晰な気づきを保ち続けるためには、高次の気づきを機能させることが必要である。

 

そのためには、明晰な気づき高次の気づきを用いる主体となる自己意識が明晰でなければならない。

「心の苦しみからの解放」としての無心

心の苦しみからの解放」とは、「想念からの解放」を意味する。

「想念との自己同一化」を終わらせるということである。

 

つまり思考があることは問題ではない。

思考を減らしたり、失くしたりする必要はない。

大切なことは、思考に影響されないあなたを作り上げることだ。

 

「想念からの解放(=悟り)」へと至るためには、高次の気づきを機能させながらの「純粋意識との接触」が必要となる。

純粋意識とは、原初のエネルギーが思考や感情や想念へと結晶化(物質化)する前の

 

そのような「明晰な気づき」と「正しい明け渡し(純度の高い「純粋意識との接触状態」)」とが共存した意識状態を有していなければ、意識としてのあなたが「想念の次元(=肉体/精神の次元)」から(一時的に離れることはできても)、自らの意志によって離れ続けていることはできません。

すなわち、「想念の回し車から降りること」はできません。

 

回し車から降りたつもりの回し車・・・

それは、想念の次元で垣間(かいま)見ただけの無心・・・

そのような見せかけの無心への執着・・・

 

このようにして、あなたは、巧妙な「落とし穴」を自ら掘って、自ら落ちることとなる・・・

頭上には青空が見えていても、あなたがいる場所は、正しい知識がなければ抜け出すことのできない、深い深い落とし穴の中の世界なのである。

たとえ正しい知識を有していても、自力だけでは抜け出すことのできない世界なのである。

 

 

あなたが想念の奴隷となっている現状、すなわち真なる自己としての眠りの意識状態から解放されたいのであれば、あなたは落とし穴だらけの世界である「想念の次元」を超えなければならない。

そのためには、「想念の次元」で時おり生じることのある「想念が全くないという意識状態」、すなわち「条件付きの無心(見せかけの無心)」さえをも手放さねばならない。

「条件付きの無心」の境地さえをも、置き去りにしていかなければならない。

 

そのようにして「想念の次元」を超えれば、想念があろうとなかろうと、もはや自己意識としてのあなたには関係ないこととなる。

心のスクリーンを賑(にぎ)わす想念の戯(たわむ)れでさえも、自己意識としてのあなたから遠く離れた地平線の彼方での出来事であるかのように・・・

 

無心とは

絶対的無心とは、想念がないことではない。

絶対的無心とは、意識の対象物としての無心ではない。

絶対的無心とは、意識の対象物の性質や現れ方に依存しない。

 

意識の主体である「自己意識としてのあなた」が不動であること・・・

言い換えるなら、

気づきの主体である「気づきとしてのあなた」が不動であること・・・

それ、すなわち「絶対的無心」なり。

それだけが「不動の安らぎ」となり得る。

 

絶対的無心と条件的無心

絶対的無心 条件的無心
意識の主体としての在り方に由来する無心 意識の対象物の性質や現れ方に由来する無心
想念の有無に影響されない 想念がない意識状態に依存している
永続的な意識状態になり得る 条件付きの一時的体験にならざるを得ない
努力を必要としない 条件を満たすための努力や偶然を必要とする

 

なぜなら、日常生活を送る上では、他人と会話をする時や具体的思考をする時など、言語や考えなどといった想念を使わざるを得ない。

また、潜在的思考のレベルでは、低次の層では、絶え間なく想念が生じているためでもあります。

 

これまでに説明してきたような見せかけの無心(条件的無心)という落とし穴に落ちて、目覚めの進展を途切れさせてしまわないためにも、

「正しい知識」を身につけること

そして、気づきの質と強度を、ある一定のレベルにまで上げて、そのレベルでの気づき、すなわち高次の気づきを26時中、保てるようにしなさい。

 

それが基礎です。

 

高次の気づきが機能していないがゆえに、落とし穴に嵌(はま)っては、サイレンス・セッションにおいて私が引き上げるということを、何度も何度も繰り返してきたのです。

高次の気づきの重要性については、サイレンス・セッション特別セッションも含む)において、繰り返し伝えてきたことです。

なのになぜか、最も肝心なそこを、皆さん、忘れてしまう。

一人の例外もいない。

 

だから、強調せざるを得ないだけなのです。

 

決して、私が言いたいから言っているわけではない。

言わなければならなくなったから、言っているだけだ。

 

むしろ、私は公の場では何も言いたくない。

良心の欠落した無知な者たちから、批評を装ったネガティブなエネルギーを浴びせられるだけなのだから・・・

 

時は流れ、昔のように自由に書けないような状況になってしまったのだ。

だから、記事においては、こうしてこれまで以上にボカシて書かざるを得ない。

その勇気や労力たるや、どれほどのものであろうか察しておくれなはれ、おかっつぁん・・・

 

 

話を戻しますが、

自己意識としてのあなたに由来する意志に基づく最大限の協力があり、高次の気づきという万全の見張り役がいて、純度の高い「純粋意識との接触状態」にあり続けることができれば、「真なる自己の目覚め」は自ずと進展していきます。

 

さぁ、今一度、原点に返って頑張ってください。

後戻りのないように着実に進んでいくことが大切なのです。

 

ママゴトは終わりです。

一日も早く、あなたが親離れできるように、私は全精力を注ぎつづけているのだから・・・

 

親愛なるあなたへ

「父なる愛」の想いをこめて・・・

 

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