1492年10月12日、コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初上陸し、ヨーロッパ人による「新大陸アメリカ」の「発見」
その日を記念しコロンブスデーと名付けられた
アメリカ大陸は、クリストファー・コロンブスが1492年に発見したとされているが、そうでないことが近年定説となっていて、
実は、コロンブスがたどり着いたのはキューバの北に位置するバハマ諸島のサン・サルヴァドル島で、1498年に南アメリカ大陸に到着している
また、発見したというより偶然たどり着き、またその各地で略奪・虐殺に走りとても発見と呼べるものではなかったという見方が強くなっている
では、最初にアメリカ大陸を発見したのは誰か?
記録上では、初めてヨーロッパ人が北アメリカに到達したのは、1497年のジョン・カボットとされている
しかし、すでにこの頃には、アメリカ大陸で金髪で青い目をしたインディアンに遭遇したり、バイキングが持ち込んだと思われる鉄くぎが見つかっているので、彼ら2人以前にもアメリカ大陸に西洋人が訪れた形跡が残っているので、もっと早期に発見されていたのではと考える学者もいる
11世紀頃にバイキングのレイフ・エリクソンがアメリカ大陸に上陸したという伝説がある
※正式にはマドック・アブ・オウァイン・グウィネズ Madog ab Owain Gwyneddでオウァイン・グウィネズの息子マドックという意味
しかし、北米の各地にマドックの名残は残されており、カナダのオンタリオ州にあるマドックは、地名としてマドックの名が残っていたり、また、青い目と金髪をしたウェリッシュ・インディアンと呼ばれる移住者と、インディアンとの混血子孫と思われる人々がおり、ウェールズ語を話したり、ウェールズと同じ船を持っていたと語り継がれている
そのため、コロンブスは独学で、スペイン語やラテン語、地学や天文学まで習得したと言われている
(Zipangu 左方:船の上部)
当時は、地球平面説に代わり「地球球体説」が信じられるようになってきており、中世のキリスト教では「世界はヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸で構成されている」という考え方が一般的だった
そこで、コロンブスは大西洋を進んで行けば地球を一周して反対側のアジアにたどり着くことができると考えたのだったが、途中にアメリカ大陸が存在するため、コロンブスはアメリカに到達することになる
従来の常識よりも、ずっと短い期間でアジアに到達できると確信したコロンブスは、援助と許可を求めてポルトガルの王ジョアン2世に航海計画を提案したが、コロンブスが提案した自身の取り分があまりに法外だと判断されたため、最初は援助と許可を得ることができなかったが、スペインに渡りカスティーリャ女王イサベル1世に許可を申請したところ、一度は延期されたが最終的は認可を得て、90人の乗組員を連れ、出航することとなる
しかし、コロンブスは大陸間の距離を実際よりもずっと短く計算していたため、中々大陸を発見することができなかった
また、当時は地球球体説が浸透してきてとはいえ、船乗りの中には地球平面説を信じている者もまだまだ少なくなく、大陸が発見できず海の果てへ落ちる恐怖に怯えた乗組員たちは暴動が起きたが、その後まもなく新大陸を発見することとなる
それが、先にも述べたバハマ諸島のひとつだった
彼はこの島を「サン・サルバドル島」と名付け、島には先住民族が暮らしており、サン・サルバドル島のアラワク族は、突然海から現れたコロンブスたちを「天の使い」だと考え、コロンブスたちはたくさんの食料を振る舞われ大歓迎を受け、また、コロンブスは月食を予測して言い当てることで先住民族たちを驚かせたともいわれている
しかし、コロンブスは彼らを奴隷としてしか見ておらず、何人もの先住民族を強制的に連れ去ろうとし、彼らの持っていた真珠や宝石などの財宝も強奪していった
旅の成功を確信したコロンブスは、入植地に38人の船員を残し、スペインに帰国した
そして、間もなく二度目の出航することとなる
コロンブスは次の航海の成功も確信しており、二度目の航海について次のように語ったと記録されている
「私は望まれるだけの黄金と、望まれるだけの奴隷を連れて戻ろう。一見不可能に思える物事でも、神は信じる者に勝利をお与えになるのだ。」
コロンブスが入植地に戻ると、残してきた38人の船員たちは彼らに不満を持った先住民族たちによって全員殺害されており、周辺の島に住むルカヤン族、カリブ族、タイノ族も白人の横暴さに憤慨し、抵抗の意を示した
コロンブス率いるスペイン軍は、大虐殺による非人道的弾圧を行ない、彼らをインディアンと呼び、まるで動物でも狩るように殺戮を繰り返した
罪のない先住民族たちは財産を奪われ、女性は乱暴され、殺されなかった男性たちも酷い拷問を受けた
その後、コロンブスが病に倒れたことで、虐殺はさらに苛烈になり、5万人を超えるインディアンが殺された
初めは天使だと思われたコロンブスは、先住民族にとっての「死神」になったのだ
コロンブスには奴隷商人としての顔もあり、スペイン王朝に奴隷を送ることで自身の評価がさらに上がると考え、多くの先住民族を虐殺し捕獲し、彼らを奴隷として本国に送った
しかし、これに驚愕したイザベル女王は、彼らを故郷に送り返し、コロンブスの統治実態を視察するための調査委員を派遣した
これにコロンブスは、先住民への厳しい統治は、黄金を王国に献上するためだと主張した
さらに黄金探しを再開し、先住民族たちに期限までに一定量の黄金を献上するように命令し、達成できなければ性別に関係なく、彼らの手首を切り落としていった
しかし、アジアでも黄金郷でもないアメリカ大陸ではあまり黄金は存在せず、この頃にはコロンブスも自分が発見したのはインドではないことに気が付いていたが、黄金探しを中止することもなく、800万人を超えていた先住民族たちの人口は最終的には3分の1にまで減少したのだった
次第に黄金探しよりも先住民族の虐待を楽しむようになっていき、罪のないインディアンの死に様を賭けの対象にしたり、ひとりの逃亡者を軍単位で狩りでもするかのように追い回したりと非道の限りを尽くした
そして、遂には逮捕され本国に強制送還され、国家にもたらした利益の多さから、コロンブスは何とか罪を免れたが、手に入れた全ての権利と地位を剥奪されてしまう
名誉挽回にと4度目の出航に出るが、船は遭難し救助される形で帰国
さらにコロンブスを長年支持していたイサベル女王が亡くなったことで、国からは冷遇され、やがてに病床についたコロンブスは、これ以降は航海に出ることもできなくなり、残虐な航海士として不名誉の中で死ぬことになる
ちなみに有名な言葉に「コロンブスの卵」というのがある
これは、新大陸を発見した彼の成功を妬んで
「西に行けば誰でも発見できただろう」
と嫌味を言われたことがあり、それに対しコロンブスは、近くにあった卵を手渡し、「これを机に立ててみてください。」と言った
そして、誰も出来ないことを確認してから、卵の先を机で平らに割って立たせてみせた
「そんな方法なら誰でもできるだろう。」と人々は不満を述べたが、
コロンブスは「人がやったのを見た後でなら誰でもそういうのです。難しいのは最初にそれをやることです。」と言った逸話で、この逸話はコロンブスの聡明さと柔軟さを表す逸話として有名になったが、しかし、これと全く同じことをやった偉人が以前に存在しており、これは後世の人々の創作なのではないかといわれているのだ
元になったのはイタリアの建築家「フィリッポ・ブルネレスキ」が、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計に立候補したときの話
フィリッポが設計図を見せずに立候補したことに他の建築家たちが憤慨する
すると、フィリッポは前述の卵のくだりをやって見せた後で、
「最初にやるのが難しいのです。私が設計図を見せたらあなた達は真似をするのでしょう?」と切り返したといわれている
信じるか信じないかはあなた次第
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参考────
Wikipedia/クリストファー・コロンブス
GIBEON/今さら聞けないコロンブス!新大陸発見者の意外な逸話と残念な真実
笈川博一/『コロンブスは何を「発見」したか』
ミシェル・ルケーヌ/『コロンブス――聖者か,破壊者か』
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