さて、本日10月17日は
 
【今日の記念日】
貯蓄の日
貧困撲滅のための国際デー
上水道の日
沖縄そばの日
カラオケ文化の日
オンラインゲームの日
神嘗祭
 
【今日の歴史】
1905年 津田梅子らが日本基督教女子青年会(YWCA)を創立
1933年 アインシュタインがナチスから逃れてアメリカに移住
1950年 文部省が、祝日の日の丸掲揚・君が代斉唱を通達
1956年 イギリスで世界初の商用原子力発電所・コールダーホール原発が運転開始
1973年 アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の緊急閣僚会議で原油生産削減、供給制限を決定。オイルショックの発端
 
 
そして、もうひとつ
今日は、あのヨハネ・パウロ1世の誕生日だった
 
ヨハネ・パウロ1世(羅: Ioannes Paulus PP. I、伊: Giovanni Paolo I、1912年10月17日 - 1978年9月28日)
263代ローマ教皇、カトリック教会の司祭
教皇名として初めて「ヨハネ・パウロ」という複合名を採用したことで知られる
だが、しかし一方で暗殺されたのではないか、という疑惑も浮かび上がっている
 
この暗殺と関係が深いとされているのは、イタリアの銀行家ロベルト・カルヴィ頭取だ
ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi、1920年4月13日 – 1982年6月17日(遺体発見日))
イタリアの銀行家で、バチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取であったことから、「教皇の銀行家」と呼ばれていた
彼は、「ネオ・ファシスト」の極右政党であるMSI(Movimento Sociale Italiano イタリア社会運動・国民右翼)やCIA(Central Intelligence Agency 中央情報局)と深い関係を持っていたリーチオ・ジェッリが代表を務めるフリーメイソンの「ロッジP2(Propaganda Due)」の会員だった
 
リーチオ・ジェッリ(Licio Gelli、1919年4月21日-2015年12月15日)
イタリアの極右政党イタリア社会運動(MSI)幹部、投資家、元フリーメイソンの「ロッジP2」代表
このジェッリもまたMSI幹部という表での高い社会的地位を持ち、カルヴィは彼を通じて「バチカン銀行の財政顧問も務めた弁護士」で、自らが経営するミラノのプライベートバンクを通じてマフィアのマネーロンダリングを行っていたミケーレ・シンドーナとの関係を結んでいる
 
ミケーレ・シンドーナ(Michele Sindona、1920年5月8日 - 1986年3月22日)
イタリアの弁護士で銀行家、マフィアのマネーロンダリングや金融捜査官の暗殺を行い有罪判決を受け、刑務所内で不審死をとげた
シンドーナは、第二次世界大戦後から、アメリカのイタリア系マフィアや、シシリア系マフィアなどのマネーロンダリングを手掛けていたことで知られていたおり、これらの「裏世界」の人間だけではなく、バチカン銀行総裁でアメリカのシカゴ出身のポール・マルチンクス大司教や、さらにジョン・F・ケネディとも親しく、さらにリチャード・ニクソン政権の財務長官を務めた銀行家のデヴィッド・M・ケネディなどの「表」の人物とも深い関係にあったとされている
 
ポール・マルチンクス(Paul Casimir Marcinkus、1922年1月15日 - 2006年2月20日)
アメリカ生まれのカトリック大司教で、「バチカン銀行」の元総裁
バチカン銀行総裁のマルチンクス大司教も「ロッジP2」との関係が深く、このことがヨハネ・パウロ1世のやろうとしていた改革と関係する
 

重要な人物をまとめると

リーチオ・ジェッリ イタリア社会運動幹部、ロッジP2代表
ロベルト・カルヴィ アンブロシアーノ銀行の後の頭取
ミケーレ・シンドーナ バチカン銀行の財政顧問
マルチンクス大司教 バチカン銀行総裁
 
 
さて、本題に入ろう
1972年、ルチャーニ(ヨハネ・パウロ1世の本名)が総大司教を務めていたヴェネツィアで、聖職者らに低金利融資を行っていたカトーリカ・デル・ベーネト銀行が秘密裏に売却された
それは、バチカンの運営資金調達や資金管理などの財政を取り仕切るバチカン銀行(正式名称は「宗教事業協会」)の総裁で、マフィアやロッジP2などの秘密組織と深い関係を持っていたマルチンクス大司教と、バチカン銀行の主力取引行であるアンブロシアーノ銀行のカルヴィ頭取の脱税と、株式の不法売買のためだった
これに対して、総大司教はバチカンに抗議をしたものの、マルチンクス大司教がパウロ6世(当時の教皇)から直々に任命されていたことや、パウロ6世へ累が及ばないように巧みに抗議を行ったことなどがパウロ6世に感銘を与えたことから、翌年の1973年には枢機卿に選ばれてしまう


1978年にパウロ6世の死去を受けて行われたコンクラーヴェにおいて、「本命」と目されていた他の枢機卿を退け、アルビーノ・ルチャーニ枢機卿が新教皇に選ばれた
教皇名は「ヨハネ・パウロ」となり、複合名を初めて採用した教皇となる(ヨハネ23世とパウロ6世前教皇の改革路線を継承するという意志の表れとも言われる)
ヨハネ・パウロ1世は様々な意味で型破りな教皇であった
複合名を初めて採用したことを皮切りに、虚飾的な事柄に対して非常に改革的に臨み、難解な宗教用語やラテン語を多用していた表現を、一般人にも理解しやすい平坦な表現へと改めたが、「威厳を損なう」などとして保守派からは反感を買うこととなっていった
他にも、「神からの贈り物である子供が出来ないようにする行為は罪である」とするそれまでの主流派に反して、「本当に子供を望んでいる女性のみが妊娠すべきである」との避妊擁護の考えも述べていた

就任後間もなく、バチカン銀行の不透明な財政についての改革を表明し、マフィアなどと深い関係を持ち汚職を続けていた国際的にも問題視されていたマルチンクス総裁の更迭を決めていた
また、マルチンクス総裁以外にも、ジャン=マリー・ヴィヨ国務長官をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係するバチカン内部の関係者の更迭を死去直前に決定し、その更迭者リストの内容をめぐって様々な噂が流れていた

上記のような改革を表明したことが、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采(そして対象者とその利害関係者からの抵抗と非難)を受けたにも関わらず、ヨハネ・パウロ1世は、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日の午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された
わずか33日の教皇在位は、20世紀に入ってから最短の在位記録となった
 
そして、死体発見当日の出来事だ
 
修道女によって遺体を発見された直後、個人秘書マギー神父に連絡が行き、午前5時にはヴィヨ国務長官に連絡が行ったにも関わらず、すぐに専属医師団を呼ばず、しばらくして医師団次席であるレナート・ブゾネッティ医師に連絡をとった
午前6時過ぎに駆けつけたブゾネッティ医師による検死が行われたが、遺体解剖も行われずに、「死亡推定時刻は27日の午後11時ころで、死因は急性心筋梗塞である」と断定し、午前7時27分にバチカン放送による逝去の発表がされた際にはこの検死内容がそのまま発表された
なおこの際、聖職者の私室に修道女ではあっても女性が入ってはいけないという理由で、遺体の発見者が個人秘書のマギー神父であると偽って発表され、さらに遺体発見時刻も「午前5時30分」と偽って発表された
さらに死去後、ヨハネ・パウロ1世の遺体発見時にベッド周辺に置かれていた眼鏡とスリッパ、就寝前に手元にあったヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教などのバチカン銀行関係者の更迭を含むバチカンの人事異動者リストや遺言状が、ヴィヨ国務長官により持ち去られており、その後行方不明になっている
また、ヨハネ・パウロ1世の遺体が発見され、専属医師団への連絡も行われていない午前5時には、バチカン御用達の葬儀社であるシニョラッティ社に連絡が行った上に、遺体解剖も行われず、明確な死因もわからないうちから防腐処理が行われたことなど、バチカンによる「証拠隠滅」「情報操作」と思われる行為が矢継ぎ早に行われたことが、信者やイタリア政界関係者、マスコミだけでなく、バチカン内部関係者からも大きな疑惑を呼んだ
加えてマルチンクス大司教が、普段は早朝に起床することがないにも関わらず、なぜか当日午前6時45分に教皇の寝室近辺にいたという話もある
 
 
教皇ヨハネ・パウロ1世の不可解な死から4ヶ月後の79年1月21日、バチカンが関与する不正な金融取引を調査していたイタリア検察庁のアレッサンドリーニ検事は、車で子どもを学校に送ったあと、近づいてきた5人の男に銃を乱射されて死亡
同年7月11日、シンドーナの銀行の清算人に指名され、不正内情を裁判で証言した直後、ミラノの弁護士ジョルジョ・アンブロゾーニが自宅の玄関で、至近距離から胸に4発の銃弾を浴びで死亡
独自に事件のことで調査していたローマ治安警察のアントニオ・バリスク中佐が、7月9日に弁護士アンブロゾーニを訪ね、その4日後の13日、車を運転中、白のフィアットからショットガンを撃ち込まれて即死
7月9日にアンブロゾーニ弁護士とミラノで会っていたシチリア島パレルモの警察次長ボリス・ジュリアーノが21日に近づいてきた男に拳銃6発を撃ち込まれ死亡
 
バチカンとP2の闇を暴こうとする者は、片っ端から殺されていくのだ
 
その後、カルヴィはシンドーナとともに、マルチンクス大司教の庇護の下、バチカン銀行を経由してマフィア絡みのマネーロンダリングと不正融資を行うこととなる
しかし、それも長くは続かず、アンブロシアーノ銀行を経由した不明朗な資金の流れは、イタリア政府関係者を始め、各国のマスコミの疑念を呼ぶこととなり、1981年から1982年にかけてイタリア中央銀行による大規模な査察を受けた結果、1982年5月に破綻した
 
その直後、何者かの助力を受けて国外に逃亡し、各国の当局やマスコミから身柄を追われていたカルヴィだが、1982年6月17日の未明に、イギリスの首都、ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で「首吊り死体」の姿で発見されたため、当事者のバチカンとイタリア、イギリスの各政府のみならず、全世界を揺るがす大騒動となった
 
 
こういった映画のような一連の事件だったが、実は一部脚色され映画になっているのだ
「ゴッドファーザーPARTIII」(1989年、アメリカ)
マルチンクス大司教がバチカン銀行の総裁を退任した1989年に公開されたこの映画において、ロベルト・カルヴィ暗殺事件とヨハネ・パウロ1世の教皇就任直後の突然死が、長年のバチカンとイタリア政界、マフィア3者の癒着を象徴するプロットとして使用されている
 
ジェッリ(イタリア社会運動幹部、ロッジP2代表) 映画ではドン・リーシオ・ルケージ
カルヴィ(アンブロシアーノ銀行の後の頭取) 映画ではフレデリック・カインジック
マルチンクス大司教(バチカン銀行総裁) 映画ではギルディ大司教
ルチャーニ枢機卿=ヨハネ・パウロ1世 映画ではランベルト枢機卿
 
 
信じないかはあなた次第!!
 
 
 
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参考────

モーリス・シャトラン 『キリスト教と聖書の陰謀』

橘玲の世界投資見聞録 『バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち』

知識連鎖 『在位33日、暗殺疑惑の教皇ヨハネ・パウロ1世とゴッドファーザー3』

Wikipedia 『ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)』 『ロベルト・カルディ』 『リーチオ・ジェッリ』 『ミケーレ・シンドーナ』 『ポール・マルチンクス』

 

 

 

 

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