ヨーガスートラ 2章10節~2章13節




ते प्रतिप्रसवहेयाः सूक्ष्माः 2-10
テ プラティプラサヴァヘーヤーハ スークシュマーハ

ते テ
これら(煩悩)

सूक्ष्माः  スークシュマー
潜在的で未発な状態で存在する(煩悩は)

प्रतिप्रसव
 プラティプラサヴァ
心を逆転変(プラクリティの根源へ還元、退行)させることで。
心をプラクリティの本源へ戻すサーダナによって。

हेया:
ヘーヤーハ
消滅することができる。



まだ顕現していない微細な状態の煩悩は心が転変しないようプラクリティの本源に焦点を合わすことで、消滅することができます。この、微細な顕現していない状態をここではスークシュマー(सूक्ष्माः)と表現しています。


24節で解説された煩悩のステージにあった、
प्रसुप्त プラスプタ
(煩悩が眠っている状態、潜在的な状態)
のことを言っています。


その顕在化していない煩悩の状態とは、過去世も含めたカルマの記録であるサンスカーラに存在している段階です。

未来において出てくる可能性があり、条件が揃うと顕現する可能性があります。これは外部環境がきっかけとなり顕現する可能性が高まりますが、外部環境に反応するかどうかは、個々人のサンスカーラと心の制御次第です。まだ顕現していない未発の煩悩の場合、その煩悩がさらに転変しないようプラクリティの本源へ戻していくことで消滅することができます。



ध्यानहेयास्तद्वृत्तयः 2-11
ディャーナ ヘーヤースタドヴリッタヤハ

तद्वृत्तयः タドヴリッタヤハ
これらのうち顕在化してしまった煩悩は

ध्यान
dhyaana) ディヤーナ
静慮によって、専心することによって

हेयाः ヘヤーハ
消滅しうる。

顕現した煩悩は、その煩悩に心を集中させることによって取り除くことができる。

21節のクリヤヨーガの行法によって煩悩を除去するほか、煩悩の存在に対して専心(静慮)することで除去することができます。

【解説】
専心する方法として、座禅を組んで瞑想をする格好で煩悩を抱えるチッタに対して徹底的に分析するよう努める、これもディヤーナとよばれる段階の瞑想になります。

一方で、すでに顕現化している煩悩の場合は一般的なヨガの行法で消すのは難しいと説くヨギマスターもいます。

では、顕現した煩悩に対してどう向かうか?
体当たりで取り組み経験したほうが、その煩悩からの解放が早いともいいます。「専心する」というのは、座禅を組んで目をつぶることだけが瞑想ではないのかもしれません。古代はそれでよかったのかもしれませんが、今は情報が必要以上に入り、複雑なサンスカーラをもつ中で、何も考えずにじっと座っていることさえも苦痛だと訴える人も少なくありません。

沸き起こった煩悩の先に何があるのか、それを体験することを「ボーガ」といい、「ヨーガ」の対義語として使われます。その後で「自分にはこれは必要なかった」と悟った時点から愛着や嫌悪から解放され、心が本源へ戻ろうとする動きが現れます。広がっていった心が逆転変し真実へと向かう働きが「ヨーガ」といわれるものです。

体験して、悟って、解放されて、本源へ戻るという4つの心のプロセスによって、煩悩を滅するダイレクトな方法。ボーガが極まれば自ずとヨーガへと向かう日がきっと訪れる、というサンキャヨーガの現実味があり興味を引く教えだと思います。私たちに修行をさせて悟らせるための運動場がプラクリティです。


余談
不思議なもので幼児が前世のことを語り始めたりするのも、過去性のカルマからきているものです。

大人になって修行がきっかけで思い出されることがあるようです。こんな話がありました。

ある日本人は瞑想の最中、前の人生はインドで修行をしていて途中で死んでしまった、というヴィジョンをみました。今回は日本に生まれてしまったんですね。前世の師匠のことを急に思い出しどうしても会いたくなったのでインドに渡り、互いに顔を見合した瞬間、師も思い出して再会を喜びました。

「師に会いたい」という念は普通の煩悩ではなく素晴らしいことですね。その師に出会って益々精進されていったようです。



क्लेशमूलः कर्माशयो दृष्टादृष्टजन्मवेदनीयः 2-12
クレーシャムーラハ カルマーシャヨー ドゥリシュタードゥリシュタ ジャンマヴェーダニーヤハ
 
क्लेश मूल:
クレーシャ ムーラハ
煩悩の根因

कर्माशय:
 カルマーシャヤハ
業遺存

दृष्ट
 ドゥリシュタ
可視 、現在

अदृष्ट
 アドゥリシュタ
不可視、将来、未来

जन्मवेदनीयः
 ジャンマヴェーダニーヤハ
体験、享受、転変されるものとなる。


煩悩が過去世から蓄積してきたものを業遺存といいます。それをもとに現在から将来にかけてチッタ(心)が転変することが決定しています。

チッタというものは、少しの間でも一点にとどまって居難く、毎秒毎分コロコロと移り変わりやすいものです。業遺存の中にある潜在的なものから自覚しているものまで、チッタ(心)がボーガを目指していく原因になります。



सति मूले तद्विपाको जात्यायुर्भोगाः 2-13
サティ ムーレー タドヴィパーコー ジャーテャーユルボーガーハ

सति मूले サティ ムーレー
根因(業遺存)がある限り

तद्विपाक
タドヴィパーカ
(तत्
その + विपाक 業果 )
その(業遺存の)結果として

जाति
 ジャーティ
出生と

आयु
アーユ
寿命と

भोग
 ボーガ
(幸、不幸、愛着、嫌悪などの)経験が続く。


「寿命」というのは、業遺存によって寿命も決まります、という意味です。長生きすれば徳が高いわけではなく、与えられた一区切りの時間の中で、どれだけ重みのある責任があるか、消化するべき煩悩の量が予め設定されており、再生するたびに寿命の長短があるとされます。