お久しぶりです、アメリカPT1年生として頑張っています
日本時代そのままの仕事ができそうな急性期総合病院のPer Diemのpositionで
2019年11月に研修を受けていましたが「2020年のPer Diemの予算が半減された」
という理由でその後シフトに入ることなく、pendingの状態に
マネージャーからは「就活するなら力になるよ」というお言葉を頂いていたので、
2020年1月の再就活ではHRのback ground chechの情報として、
previous jobのcontact 先として使わせて頂きました。
研修は受けたけどシャドーイングまででシフトに入っていないので、職歴には載せていません。
今こうして10ヶ月前のこととして振り返ると冷静になれますが、
初job applyで初job interviewで初オリエ、初シャドーイング…
すべて初モノで、環境もスタッフの雰囲気もとても良かっただけに
就業が叶わないと分かった時は頭が真っ白になり2日ほど動けなかったです。
どんよーーーりと落ち込んで先が見えなかった私に、大きな転機がありました。
予定されていた転機ですが、まさかこんな風に私のメンタルを上昇させるとは思わなかった。
そう、単発ですが冬季スポーツ関連の仕事
今季で2シーズン目
更にこの2019年冬時点で、2020夏オリンピックの選手村のボランティアPT勤務が決まっていました。
英会話で多少アドバンテージがあるとはいえ、トップアスリートを見るにはあまりに平凡な一般整形、
スポーツ整形の経験が、遥か何年前のことだろう(遠い目)...という状態の私にとって、
アメリカのacute inpatientで勤務しながら業務とは正反対近い
スポーツ整形の勉強が両立できるだろうか…という不安はありました。
落ち込んでいたある日、ジュニアオリンピックがあり、関わったことがある選手が
出ているのでライブ放送で見ていました。
こんな世界で勝負をしている人達に関わる機会がもらえているのに、
なにくよくよして立ち止まっているんだろう
と思い立って、しばらくクリックもできなかった(お気に入りとして保存済みの)
会社のcareerのページを開けて、もう既にできているカバーレターを整形外科用に改訂し、
その日のうちにアプライしたんです
泥のように重かった身体がさっと動いた奇跡の一日でした。
その2ヶ月後には、その整形外科クリニックから採用のオファーを貰って、
自分の中で矛盾がない状態で上記写真の仕事現場にいました。
チャンスが与えらられている限り、その道で頑張ってみよう
長く重く私の心を捉えていた「ICUのあの音の中に戻りたい」という怨念のような願望が
すーっと昇華されて、前に歩き出すことができた日でした
あの日、競技のライブ放送を見ることができて本当に良かったです
久々のブログですがお読みくださってありがとうございました。
そういえば両側尺骨神経麻痺は仕事ができる程度に運動麻痺は回復しましたが、
今もばっちり感覚障害は残っています