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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第19章)

2022-09-04 15:10:24 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第19章)

第十九章 愛の生活の泉

〈ご聖体への熱愛〉

コンソラータの恵みと生活力の泉は、特にご聖体と、聖母マリア、聖ヨゼフに対する信心と、諸聖人の通功により頼むことだった。神の愛の象徴であるイエズスの聖心は、コンソラータの愛の中心だった。それで自然にご聖体に導かれたのである。

「私はまっ白い聖なるホスチアに、イエズスヘの愛──というよりとうとい熱火、深い激しい感動を感じています。私のすべての考えは、常にご聖体にましますイエズスに向かっております。私がもし司祭だったら、イエズスに対する愛のあまり、夢中になってどんなことをするかわかりませんので、私のイエズスに対する愛がこわくなるようです。」(一九三八年十月二五日)

ご聖体拝領はコンソラータの毎日の日課の中心であった。「……ご聖体のイエズスは私のすべてです。ご聖体拝領をした時、また顕示台や聖櫃の前で、私は生きる苦しさをすべて忘れます。イエズスを燃えあがる愛のかわきで望んでいます。ああ、いつもご聖体拝領できれば!」(一九三六年三月二二日)

「私はご聖体拝領するたびごとに私の『兄弟姉妹』の汚聖の贖罪としてそれをささげたいと思います。……毎朝、イエズスに感謝のささげものを供え、昼の間、そのささげものを取り消さぬよう注意します。」(一九三七年七月)

─イエズス─「コンソラータ、あなたのご聖体拝領、いな、私たちのご聖体拝領──その時の、あなたは私の中にはいり、赤い血が共通に流れる『ご聖体における私たちの全き一致』を、毎日、私たちの愛の日課表の出発点にしよう。今のご聖体拝領から次のご聖体拝領まで、神と隣人に対する愛の行ないをひとつも怠らぬように。この唯一の決心が、あなたのすべての決心を果たさせるだろう。」(一九三五年十一月十六日)

絶え間ない愛の心は、絶え間ないご聖体拝領(ご聖体における愛の一致)のようであった。コンソラータは毎朝微笑しながらご聖体に近づいた。指導司祭に書いている。「私は犯したすべてのあやまちのため、深い痛悔と謙遜の念をもってご聖体拝領台に近づかねばならぬはずのようですが、実際は、微笑しながらイエズスをお迎えします。その微笑によって私の霊魂の悪いところを全部隠して見えないようにするのです。無限の御愛にましますイエズスとあまり親しすぎるかもしれません。でもイエズスが隠れていろいろ話してくださるので、イエズスにほほえみかけることは私の楽しみです。」

─イエズス─「私はだんだんあなたの中へ入れるために、私のすべての善徳をたずさえて、あなたの中へ来る。……恐れなくともよい。私があなたを愛しているばかりではなく、コンソラータ、私たちはお互いに愛し合っている。」(一九三五年十一月七日)

 「とうといホスチアが私の舌の上におかれた時、『イエズス、私は全くあなたに自分をおささげします』と祈ると、イエズスは『私も全く自分をあなたに与える!』と仰せられました。」

コンソラータは特に初金曜日を非常に好んでいた。トリノの修道院ではご聖体が初金曜日一日じゅう顕示されていたので、暇な時間は全部そのみ前で過ごした。モリオンドの修道院では、はじめその恵みがなかったが、コンソラータの努力によって、初金にご聖体が顕示されるようになったので、深い慰めと大きな喜びがもたらされた。

コンソラータは、ご聖体を愛するあまり、人々をもご聖体へ導きたくてたまらないほどだった。

「……かわいそうな世、あなたがもしご聖体のイエズスによってどんな大きい宝ものをいただくかを悟ったら……私はすべての人にご聖体のイエズスを授けたいと望んでいます!」(一九四二年八月十六日)

イエズスはコンソラータを聖心とご聖体の使徒となされた。コンソラータのとりなしによって、イエズスから恵みをいただいた人々はすべて感謝のためにご聖体拝領をするように、導くようイエズスはお定めになった。

コンソラータは一九三五年十一月二日から毎日「兄弟姉妹」の贖罪のためにご聖体拝領をした。どんな悲しみ、苦しみの最中にあっても、悪魔に誘惑されて、嫌惑と倦怠に満たされていても、深い信仰と愛に励み、自分がイエズスの慰め手になりたいと望みながら。

 「もしイエズスを拝領して、いつも変わらずイエズスを信ずることさえできたら、どんな試練、心の暗黒、ひどい乾燥もかまいません……。心が強く聖櫃にひきつけられているのに、イエズスは私を他の所へお呼びになるので私は苦しくて思わず言いました。『イエズスよ、私からお離れになるのですか?』 ある晩、答えが聞こえました。『なぜあなたは泣くのか。恐れてはいけない! 近いうちにあなたを、私の永遠の聖櫃に住まわせてあげるよ。』

コンソラータの幼年時代から、聖母に対する熱心な信心は、その聖化に深い効果を及ぼした。それも神からの特別の賜ものだった。

─イエズス─「私たちの聖母に対するそんなにも深い愛を与えたのは、コンソラータ、私だよ。私の心だけでなく、聖母の心もあなたのものだ。だからあなたは、お二人の心を、自分のため、また人のために、自由に使うことができるのだ。」(一九三五年十月)

 「イエズスはお聞きになりました。『コンソラータ、あなたは聖母をどんなかただと想像しているのか?』

─コンソラータ─『情と愛』

─イエズス─『そうだ、愛して、常に、神のおぼしめしのままになされた……』」(一九三五年十二月八日)

聖母はコンソラータが神のおぼしめしに対して愛の自己献身をするよう日増しに導いてくださった。

─聖母─「どんなことが起きても、神はそれをあなたの聖化のためそうさせてくださるのです。」(一九三五年五月十四日)

コンソラータが非常にはずかしめられた時、

─聖母─「その屈辱をくよくよ考えることによって、自己満足しないでください! そうしないなら、その苦しみは純粋で完全です。」

修道院では会則によって上長が郵便物を検査する権利をもっている。コンソラータは、私事関係の手紙で自分の心に感じたことを普通より打ち明けるので検査されるのをいやだと思った。だがそのように思うことは神のみ前に罪ではないかと心配すると、

─聖母─「コンソラータ、それは悪いことではなく、罪でもありません。そのことをわかってください! 私も神の秘密を心におさめて、聖ヨゼフにさえもそのことを知らせませんでした。

 次のようになさい。霊魂のためにいいと思うように書き、従順によってその手紙を母様に渡し、検査なさるかなさらぬかは母様の判断に任せなさい、ね。コンソラータ、愛の秘密は、遠慮、控え目、内気──清いおとめの態度を要するので罪ではありません。」
(一九三五年五月十四日)

聖母のこの御ことばによって、絶え間ない愛の祈りは、自己をのがれて心を純化するため、口目、考え、心の慎み、遠慮、控え目──つまり清いおとめのような態度を要することがわかるだろう。それによって愛は不動となり純粋となるのである。その愛へ到達する、という最高位の理想に対する決心を強めるように聖母は、イエズス同様、常にコンソラータを励ましてくださった。またイエズスとマリアは、聖暦年と典礼に応じて、その日の聖福音や典礼のことばを引用して、特殊の恵みとご指導の助けをコンソラータに与えられた。

─聖母─「コンソラータ、確固として、愛することを続けながら、来るべき苦しみと殉難に対して覚悟しなさい! もし天と地がなくなるようなことがあっても、かまわず、いつも愛することを続けなさい! 絶え間なく愛することによって、どの戦いにも勝つでしょう。助け、守ってあげますから、少しも恐れないでください! ご存じのように、私は大天使のお告げの時、神の母の御位につくことをお受けするとともに、イエズスのご苦難の最も無残な苦しみに参加することも承諾し、すべてに『フイアト』(『この私に、成りますように』)と申しました。今神は同じように、すばらしい御約束と、苦しみの絶頂とをともにあなたにお与えになるのです。」(一九三五年十二月十四日)

コンソラータは聖母から何度助けていただいたかわからぬほどだった。

「悪魔のひどい攻撃を感じても、ちょっとマリアに呼びかけるたびごとに突然平安がもどってまいります。……イエズスは時々私の霊魂に試練を与えますが、マリアはただ同情だけをかけてくださって、決して試練をくださいません。深い愛で私を囲み、教え、助け、保護してくださいます。たったひとつの天使祝詞で願いますと、いつもその恵みを与えてくださいます。」

聖母を信頼するコンソラータの愛は果てしなく、イエズスヘの約束も誓約も、ささげものはすべて聖母マリアの御手を通じてささげた。一九三四年十二月八日聖母の汚れなき御やどりの祝日にいただいた幻視について書いている。

「祝日の前の晩、私は聖母にささげるものが何もないため悲しんでいました。聖堂で降福式にあずかっている時、聖母はまっ白に輝く美しいお姿で、玉座におすわりになったまま、お現われになりました。私は汚れなき聖母のほかは何も見えなくなりました。

『コンソラータ、いらっしゃい。』 マリア様のお招きに、私は近づいていっておそばにひざまずきました。
『あなたのささげものを喜んでいただきましょう。さあ、ください。』──その瞬間、聖母が、私の精神を照らしてくださいましたので、聖母のお望みがわかりました。

それで聖母のおひざの上に、新たに私の二つの誓約をのせました。

(一)罪を完全に避けるため、いらない考えを防ぐこと、すなわち汚れのない精神と、いらないことばを防ぐこと、すなわち、汚れのない舌。
 (二)絶え間ない愛の心と、すべての人にイエズスを見て、彼らをイエズスのように取り扱うこと。


聖母が私の貧しい贈り物を受け取り、私を祝福してくださったあとで、すべて見えなくなりました。」

コンソラータは、聖ルドビコ・マリア・グリニヨンの聖母に対する真の信心の教えを知らないうちにすでにそれを実行していたのである。のちにくわしくそれを知り、完全に、聖母の愛に満ちた子になったが、神もコンソラータに、マリアを愛に満ちた母として与えたもうた。

そこでコンソラータの心の中では、イエズスとマリアに対する愛はただひとつの炎のようになった。生涯の終わりごろ、コンソラータは書いた。

 「わが母よ、私があなたを愛し、その愛が年とともに更に熱烈に深まっていったことをご存じでしょう! 私はあなたを永遠に愛するばかりではなく、将来、全世界のすべての『最も小さい霊魂たち』にあなたを最も熱烈に深く愛するよう教えることがうれしくてたまりません。彼らは、各瞬間ごとに、イエズスとあなたに向かって絶え間なく『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください』と歌い続けるでしょう。」

〈優しい聖ヨゼフ〉

聖ヨゼフは聖母マリアに次ぐ最も偉大な聖人である。教会はまだその聖化の偉大さを十分述べていないが、コンソラータはそのことを深く悟り、将来聖ヨゼフの栄光が教会で公に認められることを預言し、熱心にまた非常に親しく聖ヨゼフを尊敬し、その御とりなしによって、なくなった父の霊魂を煉獄から早く解放することができた。(父は一九三五年四月十七日の灰の水曜日から聖金曜日の朝まで、煉獄にはいっていた。)それについてコンソラータは書いた。

「父は死にました。……それで私は聖ヨゼフを父として選びました。聖母マリアと聖ヨゼフは、私に現われ、私を娘にしてくださいました。

─聖ヨゼフ─『コンソラータ、どうしたの? なぜ、悲しいのか?』

『おお、聖ヨゼフ、父は煉獄へ行き、イエズスは聖土曜日まで出してくださいません!』

─聖ヨゼフ─『違うよ。あすの聖金曜日に解放してくださるだろう!』

『でも、私がいくら何度もイエズスに願っても、聞きいれてくださらないようです。』

─聖ヨゼフ─『まあ私がとりなしてあげよう。おとうさんはあす救い出されることをあなたに約束する。』

聖ヨゼフが微笑しながらそう仰せられた時幻視は消えました。

聖金曜日……私が祭式にあずかり、ちょうど助祭が「レバテ」と唱える時、煉獄から出た父と義兄テレジオの霊魂が非常に幸福そうにして私の前に現われました。父の顔には何かしら完全にあきらめたような苦しみのきずが、はっきりわからないながら、刻まれていました。説明はできませんが、父が非常に苦しみ、その苦しみによって清められ、変容され、今神の栄光に参加することを直感しました。父はほんとうに愉快そうで平安に満ちていました。方言で私に話しかけ、今天国にはいり、そこでピエリナと家のみなのためにたくさん祈ると約束しました。父が見えなくなると、テレジオが『ピエリナ、神の、父に対する御あわれみを見ましたか? 神はあなたに対してもっと大きな御あわれみをお示しになるでしょう。だから勇気を出しなさい!私たちはみんなだいじょうぶです。』と言って、祈ってくれることを約束したのち、その姿は消えました。喜びでいっぱいになりながら聖ヨゼフに感謝しました。」

優しい聖ヨゼフはコンソラータに次のことを約束された。

「コンソラータ、私はあなたの使命に協力し、最後の瞬間まで忠実に助けてあげよう。私は死ぬ人の保護者であり、悪魔の恐れである。臨終の時、院長様は聖母の代理をなさるが、私は代理を使わないで、霊的に直接あなたのそばにいてあげよう!」(一九三五年十月九日)

〈守護の天使〉

コンソラータは、守護の天使と非常に親しく、絶え間ない愛の心に集中するという自分の特別の使命を忠実に果たすため、しばしば守護の天使の協力を願い、ともにイエズスに仕えた。

〈諸聖人の通功〉

コンソラータはキリストの神秘体であるこの世の見える教会の霊魂の世界を毎日まざまざと感じ、経験していた。また同時に、天国に栄える見えない教会の霊魂が、たとえ見えなくとも、私たちと全く一致して、ある意味で私たちと親しくいっしょに暮らしているという事実を経験し、すべての霊魂の中心にましますイエズスの聖心を通じて、たびたび直接聖人たちと会話をかわした。聖人たちもコンソラータを何千回も「勇気を出しなさい。コンソラータ、進みなさい。」と励ましてくださった。

前にも述べたとおり、一九二五年一月二六日、コンソラータは扶助者の聖母会の志願者になり、やがて神のみ摂理によって大きい試練にあって一九二六年四月十七日家へ帰った。その時サレジオ会の聖人のような、カロジェロ・グスマノ師は、コンソラータを指導して、助けようと努力し、コンソラータの使命を直感した。その使命の成就のため自分の命を提供し、毎水曜日をその意向でささげたが、一九三五年十二月一日永眠した。コンソラータは、イエズスから、グスマノ師はこの地上で地獄のような殉教を忍んで、煉獄へは行かずに直接天国へ行ったこと、またコンソラータの使命のため提供された師の生命を神が実際に受け入れて、二人を同じ使命につないでくださったことをお聞きした。

一九三三年七月十日に死んだ義兄テレジオが生前、特別目だつこともせず、ただ単に自分の務めを果たしながら、生活の山と谷を静かに正しく送っただけなのに、死後すぐ天国へはいったことを知ってコンソラータはイエズスに聞いた。

「どうしてテレジオはすぐ栄光にはいったのでしょうか?」

─イエズス─「コンソラータ、聖福音書を開きなさい!」開けるとヨハネ十四章二十一節に「私のおきてを保ってそれを守る人こそ私を愛する者である。」とあった。テレジオはほんとうに、神と隣人に愛を尽くしながら、全く正しい人として、この聖句のとおりに生きたのだった。

 コンソラータは人から祈りによって助けてもらったが、それを非常に大切なものとみなし、自分でも人のためにたくさん祈った。コンソラータの心からは、常に絶え間ない愛と絶え間ない祈りが流れていた。

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