ワーキング・クラスの人びと

 

著:川端 有子

 

2019年5月初版発行

株式会社河出書房新社 

東大阪市図書館より貸出

 

通勤中に読んでいた本を読了しました。

ヴィクトリア朝の女性というと

上流・中産階級のレディについて

書かれた本が圧倒的多数です。

労働者階級の女性については家事使用人が

取り上げられることが多いです。

本書は、そんな中でこれまであまり語られてこなかった

労働者階級の女性に焦点を当てています。

あえて家事労働者の女性には紙面を割かず、

田舎の農場従事者や工場労働者の女性の

教育から仕事、医療など生活全般に触れています。

以下は自分用の読書メモです。

 

まずは衣服について。

 ヴィクトリア朝イギリスでは、年中冷え込むため、

吸湿性、保湿性に優れたウール、

とくにフランネルの下着が愛用されていました(p.59)。

女性、特に少女がドレスを着る時に

一緒にエプロンを着用するのは

高価で洗濯が大変なドレスを保護するためでした(p.62)。

雑誌のファッションプレートと型紙の通信販売が

さかんになった1850年以降は、

それまであった地方色がおしなべてなくなり、

流行は全国的に共通のものとなっていきました(p.63)。

1840年代までは、室内でもキャップを着用していたのだが、

若い世代からその習慣は廃れていき、

キャップをかぶるのはおばあさんか、

またはメイドやウエイトレス、

看護婦の職業を表すものになっていきました(p.64)。

 

次に余暇の話です。

余暇の話ではスポーツの話もありました。

今のフットボールとラグビーが異なるスポーツとして

分かれたのは1863年のことだそうです(p.69)。

 

音楽の話も興味深かったです。

16世紀頃から人の集まるところで歌われる俗謡は、

大判の紙に印刷されていたことから

ブロードサイド・バラッドと呼ばれていたが、

18世紀前半から、しだいに読み書きができない人々が

政治や社会に対する不満をぶちまけるための

メディアとなっていきました(p.76)。

それが貧者のジャーナリズムと呼ばれる所以です。

 

またヴィクトリア朝にはミュージック・ホールという

娯楽施設が流行しました。

定額の入場料で、飲食付で

歌や芝居などの舞台を楽しめました。

それまでのパブやクラブと違いミュージック・ホールは

子供や女性にも開かれていました(p.79)。

それはミュージック・ホールの父と呼ばれる

チャールズ・モートンが、

健全な家族の娯楽施設を目指していたからです(p.79)。

しかし中流階級の女性運動家は

このことに抗議しています(p.79)。

彼女たちはワーキング・クラスの女性の

職業教育の向上の観点から、ミュージック・ホールが

売春婦の仕事場になることを懸念しました(p.79)。

ミュージック・ホールは

「ジンゴイズム(jingoism)」と名付けられた

大衆的愛国心を表す言葉の発祥地です。

1877年にG・H・マクダーモットという芸人が歌い、

10年以上大ヒットした「バイ、ジンゴ」という

曲名に由来します(p.79)。

帝国主義のコンテキストで語られる

このジンゴイズムですが、

そもそもは「俺たちは戦うのは嫌だ」という

反戦的な歌でした(p.79)。

 

ロンドンには教育かつ娯楽施設として

博物館や動物園が開園しました。

その1つがヴィクトリア&アルバート博物館です。

 

 

元々は1851年のロンドン万博の展示品を中心に

建設されました。

この博物館は熟練技術を持つ

ワーキング・クラスの趣味と教養を高め、

その技術の向上に寄与することを

目的としていました(p.84)。

大英博物館やナショナルギャラリーが

学問的研究と高尚芸術をめざしたのに対し、

ヴィクトリア&アルバート博物館は

あくまで実践的な芸術と技術、

すなわちインダストリアル・デザインの普及を

目指していました(p.84)。

 

最後に宗教の話です。

ヴィクトリア朝イギリスで多数派の英国国教会は

福音主義派、ハイチャーチ派、ブロードチャーチ派の

三つに分類されました(p.87)。

福音主義派は個人の信仰と回心を重んじ、

識字率の向上と日曜学校の担い手になりました(p.88)。

ハイチャーチ派はカトリックに近く

司祭の秩序と儀礼や教会の権威を重視しました。

オックスフォード運動はこの派から始まりました(p.88)。

ブロードチャーチ派はリベラルで寛容であり、

宗派に違いにこだわりがない傾向でした(p.88)。

国教徒は政治的には保守派が多く、

非国教徒は自由党支持者が多く、

社会的地位が低い傾向にありました(p.88)。

救世軍の話は寡聞にて知らず、興味深かったです。

1865年にメソジスト派の牧師、ウィリアム・ブースが

その妻であるキャサリンとともに設立した

伝道団体で、主にロンドン東部のスラムを中心に

伝道と救済活動を行いました(p.90)。

創立当初から男女同権を掲げ、

女性士官も多く存在しました(p.90)。

現在までその活動は続き、

国連NGOと認定されているそうです(p.90)。

 

救世軍のメンバー、ブランシュを題材にした

「彼女だけの部屋」という小説があります。

 

 

 

本書は文学作品なども例に出しながら

労働者階級の女性の生活史を

丁寧に淡々と叙述していきます。

しかし、最後のあとがきには女性同士の連帯や

フェミニズムへの支持が感じられたことが

フェミニストとして嬉しく思います。

ヴィクトリア朝の文化史、生活史、女性史に

関心がある方にお薦めです。

 

 

 

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