著:川上あかね

 

1995年3月発行

株式会社昌文社

ドーンセンター情報ライブラリーより貸出

 

読了しました。

前の「オックスフォード日記」が

 

 

駐在妻の視点からの在英記なのに対し、

こちらはオックスフォード大学に学部留学された留学記です。

自分が留学経験があるからか、本書のほうが

共感できることが多く、楽しめました。

何よりオックスフォード大学の教育システム、

その魅力と世界一の大学たる理由が分かる本です。

 

著書はナイロビ、ローマと幼少時より海外で暮らし、

インターナショナルスクールで教育を受けます。

そして高校の先生の勧めで

イギリスの大学への進学を決めます。

日本語で教育を受けたことのない

著者には自然な選択のようでした (p.18)。

 

オックスフォード大学は学寮(カレッジ)制を

導入しています。

このため、たまにオックスフォード大学は

存在せずにカレッジがたくさんあるだけと

思っている人がいますが、それは間違えです。

大学は学部を運営する組織で

各カレッジは大学に帰属しています。

大学が講義を提供し、

カレッジが寮とチュートリアルを担当します。

このカレッジ制により大きな大学で

少人数の個別指導が可能になっています。

 

カレッジとホールの名称の違いは

土地と資金の有無で決まったそうです。

裕福な貴族や権力の座に近い司教が

創立した寮がカレッジだそうです。

中にはホールからカレッジになったが、

名称を変えなかったセント・エドワード・ホールのような

カレッジもあるなど各カレッジと町の説明がありました(p.110)。

 

 

セント・ピーターズ・カレッジに進学した著者は

当初の「P・P・E(哲学、政治、経済)」のコースから

「哲学・仏文学」へコースを変更します。

このコース変更時の教授とのエピソードが

面白く印象的でした。

 

オックスフォード大学には様々な伝統があることで有名です。

「サブファクス」と呼ばれるガウンを着てのディナーなどの

沢山の伝統に著者は

“何でも捨て去るのでなく、残すことを

いい意味余裕のあらわれ”(p.46)

と捉えています。

 

そしてそのような伝統が残るオックスフォードに対し

“学問の都として生きてきた

オックスフォードの町と大学には、

すべての人間を「学生」にしてしまうような

不思議な力がある。

何かのための学問ではなく、学問のための

学問をしてみようという気持ちになってくる。

学問に一生を捧げた人びとへの

尊敬の念が育まれる”(p.46)。

と述べています。

この環境がオックスフォードを

特別な大学にしているのでしょう。

 

オックスフォード大学では講義とチュートリアルを

学生は受けます。

講義は出ても出なくでも成績には関係なく、

出席点などはありません(p.48)。

チュートリアルとは与えられた議題に対して

文献を読み、エッセイを一週間で書きます。

字数指定はなく充分と思える量を書くそうです。

 

それを教授に批判してもらい、

内容についてディスカッションすることです (p.48)。

口頭での質問に対し自分で考え抜いたことを

明確に説明することが求められます (p.63)。

著者の場合は教授1人に対し、学生は2人でした。

これを毎週行います。

 

このオックスブリッジで有名なチュートリアルは

なんて大変なんだろうと思うと同時に

論理的思考と批判的思考を養うための

高等教育としてなんて優れたシステムなのかと

実際の体験者の話を読んで改めて思いました。

一週間で調べて、エッセイを書くリサーチ力と計画性、

そして討論することで議論の能力を培います。

まさに知性を育てる仕組みです。

フィードバックも個人で貰える、

この徹底した個人指導こそが

オックスフォード大学の学問の要でしょう。

 

単位制ではないオックスフォード大学では

三年生と一年生で試験を受けます。

一年生は進級が

三年生は卒業が決まります (p.124)。

 

試験では主にエッセイ(小論文)を書きます。

著者の場合は哲学のエッセイを三時間で4つ書き、

フランス文学の方ではエッセイだけでなく

論評(commentary)や翻訳も出されました。

試験でも字数制限はありません(p.125)。

 

数週間続いた試験が全て終わった後には

ワインやジュースなどの飲み物や

アイスクリームやポテトチップスなどの食べ物を

頭から掛けられる伝統儀式、「トラッシング」で

試験終了を祝います(p.130)。

 

試験後、著者は日本に帰国します。

そこで残念なことに癌に罹っていた父親が亡くなります。

亡くなる前に休みが終わり、三学期が始まる予定でした。

カレッジに事情を説明すると事務局からは

“勉強のことは心配せずに必要なだけ日本に留まれ”

と言われ、カレッジの校長からは

“お父様の看病をしてあげて、よくなることを祈る”

という内容の手紙を受け取ります。

この温かい心遣いに著者は胸をうたれます(p.134)。

 

結局、父親の死を看取り葬儀に参列するため

一年生の三学期と夏休みは日本に残ります。

二年生になってからオックスフォードに帰英します。

三学期、授業を受けていないことを

カレッジの教授に相談すると

“試験には合格しているので問題なし。

講義以外は個人指導のチュートリアルで

単位制でないので

卒業試験までになすべき勉強を終えていれば

いつ、どれぐらい勉強したかは不問である”

(p.135)。

と言われます。


しかし本来オックスフォードに三年間、

学期中は滞在しなければならないきまりがありました。

それもカレッジの校長が大学の総事務局に説明してくれ、

例外措置にしてもらいます(p.136)。

1人1人の事情を考慮してくれる大学の姿勢に

イギリスの個人主義の気風を感じます。

 

さらに不在中の三学期の学費も免除になります。

いなかったんだから払わなくていいと事務局に言われ

受けた授業や講義にだけ学費を払えばいいと

寛大な処置を受けます(p.136)。

同時に家庭環境が変わったので

給付奨学金も受けられることになりました(p.137)。

 

個人主義的な教育システムの中、

学生は熱心に勉強します。

学食で三食提供されるのも、

部屋を掃除してくれるのも全て

勉強に専念するようにとの

大学からの計らいです。

 

著者は2年生になり必修以外にも

選択科目を選ぶことになりました。

選択した科目が卒業試験に出されます。

もしサルトルと選んだら、

サルトルに関するどんな問題が出ても

エッセイが書ける程度の知識を

2年間で貯えなければいけません(p.138)。

 

ある教授いわくオックスフォードでは

休暇のことをホリデイではなくヴァケーション、

休みでなくオックスフォードを

留守にする(vacate)する期間のことであり

だから一年中勉強するようにとのことです(p.179)。

このように学業に打ち込みながらも

友人と遊んだりなど大学生活を楽しみます。

 

そして著者は卒業試験を迎えます。

イギリスの他の大学と同様に

卒業試験の成績によって学位が決まります。

プレッシャーで自殺者も出るそうです。

オックスフォード大学では試験中に自殺した学生には

死後のファースト

(ファースト、firstは一番優秀な学位の成績)が

付与される特典があるようです(p.194)。

 

無事に合格した著者は卒業式を迎えます。

そのために、まず式の日を申し込みます。

オックスフォードでは一年に

10回ほど、卒業式を行います。

その日までに卒業資格があれば

いつ卒業してもいいそうです。

都合のいい日を各自が選びます。

卒業生の学位、学部はばらばらで

同学年の同学部が一斉に卒業する

儀式ではないそうです(p.203)。

 

1990年代ゆえ現在とは変わっている個所も

あるとは思いますが、

オックスフォード大学の学生生活が分かります。

オックスフォード大学だけでなく

イギリスの大学に留学する人には参考になると思います。

今まで読んだ留学記の中でも格段に面白かったです。

あとは教育に関心のある方にも是非お薦めです。

 

著者はオックスフォード大学で博士号を取り、

現在はロンドン大学バーベックカレッジで

教えられているそうです。

 

 

本書の他に、著者は博士号取得後、

ケンブリッジ大学で教鞭を取った時の

本があるのでそちらも読んでみたいです。