―エドワード朝の視覚的表象と女性像―

 

著:佐藤 繭香

 

2017年2月発行

株式会社彩流社

 ドーンセンター情報ライブラリーより貸出

 

イギリス女性参政権運動における女性像の変化について

論述した学術書です。

運動の中でもバザーや行進における女性の表象を

取り上げて考察しています。

大変勉強になる本でした。

 

要約すると、著者はWSPUを中心とした女性参政権組織は

行進で女性らしさのイメージを取り入れることで

女性参政権運動を社会に受け入れられるように試みた。

女性参政権運動の中でその女性像は母や妻だけでなく

「働く女」という新しい女性像を生み出した。

それは中流階級と労働者階級、両方の女性が

共有するイメージであった。

「働く女」の女性像は異なる階級の女性を連帯させた。

しかしその「働く女性」のイメージは

第一次世界大戦の中においては兵士である男のため、

家である国家のために働く

従来の女性像の中に収斂していった。

つまり、性別役割分担は変化させられなかった。

 

以下、著者の趣旨の引用と私の感想です。

 

“女性参政権組織が行った行進を見ると、

その時代に支配的なジェンダー観を

劇的に変化させることを目指すというよりも、

支配的なジェンダー観のなかで、

それを利用しながら女性参政権運動を

盛り上げようとしていたのでは、

と推測する”(p.36-37)

“社会から与えられたジェンダー的な役割を

活用することによって、

行進という当時の社会には

馴染み深いメディアを人々から関心を持たれる

宣伝手段をして発展させた”(p.37)

だからnew morality(新しい道徳)を訴えた

マーズデンは既存のジェンダー観を引き継ぐ

WSPUを批判したのかと推察します。

 

“女性参政権活動家が、

女らしさから逸脱していると

世間の人々に受け止められてしまう

ということは、

女性参政権の問題そのものが、

社会の規範から逸脱した不自然なものであり、

既存の社会秩序を崩すことにもつながるという

メッセージにもなってしまう

恐れがあった”(p.40)。

“したがって、女性参政権活動家が

ジェンダー役割から逸脱した女性たちではないと

世間にアピールすることが、

女性参政権組織には

必要なプロパガンダであった”(p.40)。

“WSPUの行進におけるし

てはいけないことの1つは

自分が見られるのであって、

自分が見るのではないということを

忘れないこと(p.58)。

観衆からのまなざしの対象であることの

自覚が促されている”(p.59)。 

女性を見られる客体とし、主体性のない状態を

フェミニズムに反すると

マーズデンは思ったのではないでしょうか。

 

“同時に全体の中の

ひとつのユニットにすぎないことを

自覚することが求められ、

女性たちひとりひとりは

ひとつの部品にすぎないことが

述べられる”(p.59)

ひとりひとりの個が失われているため、

マーズデンは「The Freewoman」上で

WSPUと集団的と批判しています。

 

“WSPUの行進では、

女性の身にまとうドレスや花、

色を通して女性らしさを表現した。

しかしミリタンシーが加速すると

大衆を説得できなくなっていた。

軍隊的な要素という男性的価値観をとりいれ、

女性らしさと融合させることで

大衆を説得しようとした”(p.77)。

“1914年に開催された「女性の王国」博覧会では

妻や母としての女性の役割だけでなく、

働く女性という新しい女性像が登場した。

これは、女性参政権運動に関わる女性たちの

女性としての活動領域や役割に対する認識が

変化したことを

表しているのではないだろうか”(p.121)。

“世紀転換期の女性たちにとって

人々を結びつける「共通の体験」とは

「働く」ことであった(p.160)。

男性優位な社会のなかで

「働く」という共通の経験を通じ、

労働者階級と中流階級女性は同じ経験を共有し、

異なる階級を超えた「女性」という

ひとつの連帯したグループを

形成しようとした。(p.160)。

運動のなかでは

「働く女性」という言葉を使用し、

働く労働者階級女性と中流階級女性を

ひとつの集団として創出しようとする

試みが見られた”(p.160)。

“中流階級女性たちが「働く」ことを

求めるようになっていった時代、

労働者階級女性たちの労働も同様に、

社会に貢献している証として、

声を出す権利が

認められるようになっていた(p.202)。

こうして女性参政権運動のなかで、

新たな女性像として使用されてきた

働く女性の姿は、

第一次世界大戦の勃発とともに、

さらに大量に溢れることになる。

しかしそれは「働く女性」の表象が

国家の利益のために

利用されることだった。”(p.202)。

“労働者階級の女性たちも、

当初は憐れみや救う対象として

19世紀につくりあげられていたイメージのまま

プロパダンダに使用されていたが、

やがて労働者階級女性たちの主体性を

認め始めるようになり、

「働く」という中流階級女性と労働者階級女性の

共通の経験が女性たちを結びつける

ひとつの経験となった。”(p.210)。

“女性参政権運動で使用された働く女性の表象は

理想とされた妻や母という女性像とは異なる

新たな女性像して使用されたにもかかわらず

戦争が始まると、

働く女性は銃後を守る

女性の役割と定義された(p.212)。

イギリスという家を守る役目が

女性には課せられたのである。

つまり、男性と女性の性別役割分担が

変化することは

なかったと言えるだろう。”(p.212)。

 

著者は私が留学中にロイヤルホロウェイで

開催された学会に参加されていたそうで、

同じ時にキャンパスにいたと思うと

勝手に縁を感じています。

イギリス女性参政権運動やイギリス女性史に

興味がある方にお薦めです。

 

 

 

サフラジェットを始め

イギリス女性参について

もっと基本的な事柄が知りたい方には

下記の本か

 

 

映画「未来を花束にして」がお薦めです。