小説「神様、all right⑫」(第5部の終わり~第6部冒頭)
息をきらせ階段を上がり切った。 北側の部屋、ピアノのある部屋の方へ目をやると確かに誰かがピアノを弾いている。だがそれは亜世ちゃんではなかった。ピアノを弾く手を止め、その場に棒立ちになっている私のほうへ振り向いたのは、最初に通った教会のメンバーで元高校の教師だった第さん… 「やあ、鹿野谷さん、こんにちは」 言って片手を挙げエヘヘと笑う。 四十数年振りの再会…ということになるのだろう。でも第さんがどうしてここに居るのか?…いやいや、「ここ」は即ち幻影世界なだけに、最早私はそれを奇妙な事とは感じなかった。よって第さんの容貌が当時と少しも変わっていない(全然歳をとっていない)点についても特別不思議とも思わない。 「第さん、ピアノ、弾けるんですか?」 「いいえ、弾けやしません」 「でも今、弾いてらしたじゃないですか」 「おや、そうでしたかな?」 要領を得ない第さんの応答を聞きつつ、ふと見れば、先に音が鳴っていたにも拘わらずピアノ(電子ピアノ)のコードが外れている。否、仮に繋がっていたにしても同じ事。何故って電力が供給されなくなってもう久しいのだから…ここは理屈など通らぬ世界なのだ。 第さんが言う。 「ウイルスはどうやら消滅したようですよ。外出禁止令も解除されたようです。ほら、耳を澄ませてごらんなさい」 確かに、さっきから低い振動音が遠く耳に響いてきている。それは足音…夥しい数の人間たちの足音だ。その足音が次第に音量を増し、今や人の群れはこのアーケード街へと進入を始めたらしい。足音に加え大人数の賑やかな話し声がこの日までずっと静寂を保っていたアーケード街の空間を満たし始める。窓際へ駆け寄って通りを見下ろすと、商店街の入り口からは雑然と歩む群衆の塊が、ダム決壊直後の濁流を思わせる圧倒的なうねりとなってこちらに向け押し寄せていた。 群れを構成しているのは紫煙を纏い酒瓶を手にした若者たち。男たちは奇妙なリズムで首を揺り動かし女たちの若い胸もまた揺れている。と、アーケード街のもう一方の入り口、広い車道に面した側からは、自転車に乗った別の若者たちの集団がなだれ込んで来た。こちらは男ばかりで無言のまま一気にエリア内へ… 「第さん、大変だ!自転車に乗った集団がスピードを緩めずに突っ込んで来る。これじゃ人の群れにぶつかってしまうよ!」 私の叫ぶ声に第さんも立って来て窓際に並ぶ。徒歩の群れは自転車部隊を避けようと急いで道の端へ身を寄せるが何せ人が多過ぎる。結局は避けきれず、そのまま最前列の数人が生身で自転車の突入を受け止める結果となった。悲鳴と怒鳴り声。自転車の倒れるガシャンという音。怒った群衆の男たちが次々に自転車を蹴り始め道に倒れかかった運転者を殴りにかかる。 そこいら中で喧嘩が始まった。もちろん各店舗のシャッターは今も閉じたままになっているから、取っ組み合っている彼らの身体がシャッターへぶつかるごとに、打ち鳴らされたシンバルの様な衝撃音がアーケード街に響きわたる。若者たちの服は裂け額や唇から血を流している者もいる。 眼下で入り乱れる人、人、人。 騒乱は長く続いた。そして数十分の後、遠くにパトカーのサイレンの音…途端に喧嘩はパタリと治まり彼らは祭りを終えた民衆のようにぞろぞろと去り始める。通りの上にはひしゃげたタイヤの自転車が数台、地面のあちこちには割れた酒瓶、吐瀉物、血痕…喧噪が去って商店街には静けさが戻る。 部屋の中では知らない間にピアノが鳴っていた。振り返って見るといつの間にか第さんが、再びピアノの前に座り鍵盤の上で指を動かして居る。その動きは明らかに出鱈目、にもかかわらずピアノからは私が最も愛した賛美歌495番のメロディが流れ出ていた。 讃美歌の響きはいつも乱れた心を鎮めてくれる。ピアノを弾く(?)手を止め、第さんが言った。 「ボクの事も幻影だとお思いですかな?」 私が黙っていると第さんは更に続ける。 「確かに、この世界には実体も意味もない。そんな透明で空っぽの世界に形を見、意味を付与するのは我々個々のちっぽけな意識、そこに幻が生じます。たとえば、今鳴っていた賛美歌の495という番号…神様の目から見ればこれは何の意味もない数字だけれど、意識はこの数に何らかの意味を見いだすことが出来る。495は99の5倍…99という100に1足りない数に手指の数の5を乗じたものと言えば、ほら、何だか意味ありげに聞こえませんかな?いや、他に例えばこんな風にも…」 …そう、こんな風にも意味づけられますね。どうでしょう?数字の「1,2,3…」をアルファベットの「a,b,c…」に置き換えてみればこの「495」という数は… おやっ?待てよ、これはどこかで聞いた話だぞ。聞きながら私はそう思った。 遠い昔、教会裏庭での咲蓉との会話? それともウイルス蔓延の後に、ここハンス薬局で亜世ちゃんから? 否、はっきりとは覚えていないけれども… 私は問う。 「じゃあ、今いるこの世界だけじゃなく、過去の経験も含め、何もかもが幻だったと?」 第さんが答える。 「ええ、そう言って良いと思いますね。意識のみがあって、その「意識」が空虚な世界の向こうに幻を見る。この世をこの世たらしめているのは幻。ただし幻とは言っても、それは眠りでみる夢…空を飛べたり、また動物と会話出来たりするそんな夢のようなものとは全く違って「厳密な物理法則に縛られた幻」であり、「因果律に忠実に従う幻」なのです。「夢」は混沌、でも世を形作る「幻」には「ロゴス(論理)」が与えられている…これについてはご存じの様にヨハネ福音書の冒頭にも記されています。ところが、実はごく稀にその幻を支えていた論理に綻びの生じる事がある。恐らく多くの「奇蹟」と呼ばれる現象は(おお、死から蘇りしラザロ!)そんな意識の枠組みが崩壊した瞬間に出現するのでしょう。そして鹿野谷さん、嘗てあなたの意識が持っていた筈の論理性もまた、多分、ふとした何かの切っ掛けで壊れてしまったのですよ!」 私は考える。 …だとすると、その切っ掛けは? …時期的に考えれば、それはやはり「母の死」ということになるのだろうか? ひとりっ子だった私に取って母は、確かにとても大きな存在ではあった。けれど、私たちは決して折り合いの良い親子ではなかった。母はまだ子どもだった私を教会に伴うことで、この世にあるもののうちの最良のものを私に与えていると信じていた。狭い教会の中の、年輩の大人たちとの交流を尊重するよう強いられたが、私は彼らの(…牧師夫妻の、教会の人たちの、そして母の…)どこか欺瞞的に響く「信心語り」に嫌悪を覚え、強く反発した。結果、中学、高校と成長するにつれ、私の心は次第に内向を強めてゆく事となったのだ。 だから母が亡くなったとき、私は長年自分の上に置かれていた重石がヒョイと取り除かれたような、一種軽やかな感覚を味わった。だが、その日を境に、まるで母の死と連動するかのように、私の住んでいた世界の歯車が狂い始める。 (突然に始まったウイルスの蔓延。そして亜世ちゃんとの………もうこの世には居ない筈の亜世ちゃんとの遭遇!!!) 「でも、第さん、意識というのは脳があってこそのものじゃないんですか?脳が存在しないのに意識だけがあるなんて、とても奇妙なことのように思えるんですが」 第さんがニヤリと笑う。 「いやいや、そうじゃありません。脳という名の器官の存在もまた、意識が見ている幻なのですよ。今あなたが仰ったように、一体なぜ意識というものがあるのかという疑問に答える為に、我々はその論理的説明としてそういった器官、即ち「脳」という幻を必要としたのですね」 (じゃあ、あの瞼を開いた向こうの世界も幻だったというのか?ひとつの意識が二種の幻想を生きるという事もあり得ると?) 呆気にとられている私に構わず、第さんは徐(おもむろ)に立ち上がって言う。 …さて、と、では、そろそろ参りましょうか。 《第6部》 「では、そろそろ参りましょうか」 (どこへ?)…そんな私の疑問の機先を制するように第さんは背を向けスタスタと歩き出す。私は第さんの後を追った。二階南側の部屋の突き当たり、物干場へと通ずるサッシ戸の前で立ち止まると、第さんは半月状の回転錠を外しサッシ戸に手をかける。 (ああ、そういう事なのか) 理解した私は第さんに向かい「少し待っていて下さい」と告げて一階への階段を駆け下りた。店のシャッターに付いている小さな出入り口を潜って外に出ると、まずあちこちに倒れているタイヤのひしゃげた自転車を一台ずつ側道へ運んで積み上げる。散乱している割れた酒瓶は一カ所に集め、破片は箒できれいに掃く。道を汚している吐瀉物や血痕、また尿らしき液の溜まりもポリバケツの水で洗い流し、再びシャッターを潜って第さんの待つ二階の部屋へと引き返した。 「お待たせして済みませんでした。じゃあ行きましょう」 第さんは頷き、サッシ戸を開ける。そこには、いつか見たのと同じ緩やかに湾曲するコンクリート壁が、そして見上げればあの時の「波打つ空」があった。 (つづく) (賛美歌495番)シンセサイザー(ピアノ音)。youtu.be