金岡神社の参道⑥華表神社(堺市・北区・宮本町)に関する記事です。

華表神社は地下鉄御堂筋線北花田駅の南西300Mにあります。

令和2年1月2日の参拝で、サーカークラブの少年少女の
初詣と重なりとても賑やかでした。

北花田マイマップ

北花田マイマップ

愛染院と華表神社を一直線に結ぶ道が参道で、
途中松林も残っています。

華表神社は摂津国住吉郡北花田村、
愛染院は河内国八上郡南花田村に属していました。

華表神社の参道
華表神社の参道

華表とは古代中国で、宮殿・廟宇・陵墓の前に立てられていた石柱のことで、
日本の鳥居のルーツともされます。

華表神社の鳥居
華表神社の鳥居

神功元年12月神功皇后は三韓征伐を達成し筑紫に凱旋帰国しました。

その翌年に神功皇后が摂津国難波に来られた折りに、
社殿を建て素盞鳴尊を祀ったのが華表神社の創始です。

祭神:誉田別命、素盞嗚命、宇賀之御魂命

華表神社の拝殿
華表神社の拝殿

弘仁元年(810)五穀豊穣を祈願して
弘法大師が宇賀御魂命を勧請しました。

元享元年(1321)には山城国男山から誉田別命を勧請、
供料300石を寄進し、勅願所としました。

華表神社の本殿
華表神社の本殿

往時は北花田郷七村の惣社で境内には東光山薬師寺と呼ばれる神宮寺があり、
多門院・東之坊・明王院・威徳院・西之坊・乾坊・無量壽院の7坊があり繁栄しました。

戦国時代には織田信長に供料が没収されて衰微し、
江戸時代には無量寿院のみになりました。

明治の神仏分離で無量寿院も廃絶し、明治5年(1872)村社に列し、
明治41年(1908)には附近の神社数社を合祀しました。

華表神社の神木
華表神社の神木

明治時代の華表神社は境内の土俵で大相撲大会が催されていたそうです。
サッカー少年の替りに豆力士たちも集っていたことと思います。

華表神社の参集殿
華表神社の参集殿