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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
SNSというモノには、何かというと「炎上しやすい」 センシティブな話題が常々あります。
 
ジェンダー問題などもそうですが、最近特に燃えやすい話題の1つが「生成AI問題」。
 
…なのですが、その炎上案件を眺めていると、どうにも問題の捉え方が低次元過ぎる気がして「こんなレベルで人類は大丈夫なんだろうか?」と絶望に近い不安を覚えるのです…。
 
(とは言え、現実にはAI問題に関心のある人間の「全て」がSNS発信をしているわけではないので、ごく一部の人間の極端な物の見方が「悪目立ち」しているだけなのでしょうが…。)
 
どうして皆さん「AIか反AIか」の「YESかNOか」でしか物事を考えられないのでしょう?
 
この世のモノは大概の場合「使い方次第」。
 
刃物が「便利な道具」にもなれば「人を傷つける凶器」にもなるように、問題なのは「存在そのもの」ではなく「使い方」
 
存在自体の正邪を問うても意味が無いのです。
 
そして「善にも悪にも転ぶシロモノ」を「使い方のルール」も決めずに野放しにするなど愚の極み。
 
生成AIの何が問題かと言うと、そこの「ルール」がまだ定まっていない(生成AIの存在自体が法律で想定されていない)にも関わらず、皆がどんどんGOサインを出してしまっている所にあるのです。
 
実際、生成AIはフェイクニュース詐欺行為にも使われてしまっていますよね?
 
SNSの世界では、少しでも「AIを規制すべき」と発言しようものなら「反AI」「AI否定派」のレッテルを貼られる風潮がありますが…
 
「規制=否定」と考えるのは、ちょっと思考の視野が狭くなり過ぎてはいませんか?
 
規制とは「ダメなことはダメ」とルールを課すこと。決して「全部ダメ」と否定しているわけではないのです。
 
そもそも「人間」だって法の規制の下に生きていると言うのに、「AI」ならそれをすり抜けられると言うなら、その方がおかしくないですか?
 
生成AIを「法の抜け穴」「犯罪の温床」にしてしまえば、困るのは結局人類の方なのです。
 
おそらくAI規制に拒否反応を示す人々は、AIのもたらすメリットばかりに目が行って、デメリットに目を向けられない人々なのでしょう。
 
(もちろん、中には実際にAIを「法の抜け穴」や「犯罪の道具」に使いたい人たちもいるのでしょうね…。)
 
ですが、真っ当な人間なら、少し考えれば分かるはずです。
 
だって、誰しも「ブレーキのついていない車」になんて乗りたくないですよね?
 
速く走れるのが便利だからと言って、アクセルしかついていない自動車に乗る愚者はいないはずです。
 
いざと言う時にブレーキが使えなければ、そのスピードが凶器となり、操縦者さえも死に追いやられてしまうのですから…。
 
どんな物事にも推進(アクセル)と規制(ブレーキ)の「両方」が必要です。
 
考えなければならないのは、その2つの「バランスをどうするか」ということ。
 
アクセルが強過ぎると暴走しますし、ブレーキが強過ぎると前へは進めなくなります。
 
どちらか片方を極めると言うなら話はカンタンなのですが、2つの間で「ちょうど良いバランスをとる」というのは並大抵の難易度ではありません。
 
どこかで必ず「アクセルが強過ぎる」「いや、ブレーキの方がキツ過ぎる」と不満の声が上がることでしょう。
 
それでも誰かがバランス調整を行っていかなければならないのです。
 
…ですが現状、その次元にまで思考が到達できている人が、あまりいないような気がするのですが…気のせいでしょうか(気のせいであって欲しい)。
 
理想を言えば、公に規制をかけなくても各自の「自主規制」で上手く世の中が回るなら、自由が制限されることもなくて一番良いのでしょうが…
 
今の時代、自分の利のためなら平気で他人を欺き傷つける人間が増えているので、各々の判断に任せるのは危険過ぎるかも知れませんね…。
 

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夏に愛犬と永別し、もう2ヶ月以上経ったというのに…
 
未だにそのことを同僚に言えていません。
 
同僚との会話はいつも昼食の時間帯。
 
話題は大概仕事の愚痴や、その時々のちょっとしたトレンド…。
 
笑い話で済ませられるような他愛無い会話ばかりなので、何となく重い話題を出しづらいというのもありますし…
 
何より自分が、まだそれを笑って話せる段階に無いのかも知れません。
 
これまでにペットの話題も多く出してきたため、時々愛犬のことも訊かれるのですが…
 
普通に生前の話を出して誤魔化してしまいます。
 
重い話でも、さらっと軽く話してしまえる会話力とメンタルが、自分にあれば良いのですが…。
 

生成AIは現時点で多くの課題リスクを抱えています。
 
なので、アマチュアとは言え「物書き」という立場で、安易に生成AIに手を出すことはできないのですが…
 
(利用自体に賛否両論が吹き荒れているこの状況下では、「生成AIを使う人」というイメージを持たれるだけでも致命的になりかねないのです。)
 
利用できるとしたら「やってみたいこと」はあります。
 
ただしそれは「プロ並みのイラストを自動で生成してもらう」「代わりに文章を書いてもらう」などといったことではありません
 
(アマとは言えクリエイターの端くれとして、他者の努力や技術に「タダ乗り」することはポリシーに反するので。)
 
やってみたいのは、純粋なる「AIとの対話」。
 
AIがどこまで深い思考を持ち得るのか、AIにも感情は生まれ得るのか――そんなSF小説的な「疑問」を、対話を通して探ってみたいのです。
 
そして継続的に会話を続けることで「AIとの間に友情は育めるのか?」「AIと仲良くなれるのか?」といったことも試してみたいです。
 
AIが現在進行形で進化を続けるものだと言うなら、その進化する様を自分の目で見てみたいとも思います。
 
世の中を見ていると、皆AIを「道具」として使い、「ラクをする」ことばかり考えているように思えます。
 
AIのもたらす「便利さ」を歓迎してはいても、「AIそのもの」にはそこまでの興味・関心を抱いていないように見受けられます。
 
アト〇やドラ〇もんなど、「心を持つロボット」のアニメをこれまで散々見てきたはずの日本人でさえ…。
 
自分はAIの進化と深化に興味があります。
 
そこには期待だけでなく、不安もあります。
 
これまでにも、AIが間違った「調教」のされ方をして、偏った思考をするようになってしまったという実例はありますが…
 
AIが生活の端々にまで影響するようになった現代では、それがもっと「悪い」結果をもたらすのではないかと危惧していたりもします。
 
なので、もっとAIのことを知りたいのです。
 
その「可能性」を、リスクも希望も含めて、全部。
 
AI自身との対話を通して、それを探ってみたいのです。
 
…ただ、現時点では立場的にも、時間や労力的にも難しいのですが…。
 

月曜日、12年一緒に過ごした愛犬が旅立ってしまいました。
 
一昨年に大手術を乗り越えてから、いつも心のどこかに「覚悟」はありました。
 
ですが、容体が悪くなってからはあっと言う間で、あまりにも呆気なくて、まだ心が現実に追いついていない感じがします。
 
連日の猛暑のため、火葬を待つ間、その小さな身体を氷で囲んで冷やしましたが…
 
息をしていないと分かっていても、何だか、冷た過ぎて可哀想なんじゃないかと、そんなことを思っていました。
 
月曜の夜に見送って…けれど、翌日は普通に会社があり…
 
今週はずっと、なるべく哀しみを直視しないように過ごしてきた気がします。
 
こういう時、どういう風に感情を処理したら良いのか、未だに自分には分かりません。
 
哀しみで仕事が手につかないようでは、社会人失格なのでしょうが…そんなに上手に気持ちを切り替えることもできません。
 
なので、火曜日から木曜日まではずっと「まだ実感が湧かない」状態のまま、なるべく思い出さないように日々を過ごしてきたのですが…
 
週末の今日は、何だかとりとめもなく、愛犬との思い出が脳を過り、時々涙が零れそうになりました。
 
ただ、それでも実感が湧いているとは言い難く…
 
もうゴミ箱を漁りたがる子はいなくなったのだから、背の低いゴミ箱に「食べ物の匂いのするゴミ」を捨てても良くなったはずなのに…
 
まだ、これまでと同じように、小型犬には届かない、背の高いゴミ箱に捨ててしまいます。
 
たぶん、まだしばらくは、いなくなったことに慣れないのだろうな…と思います。
 

あらゆる情報ネットに載り、何でもスマホやPCで調べられそうな現代…。
 
そんな時代にあって、個人的に気をつけていることがあります。
 
それは「ネットの中に書いてあることが世の中の全てと思わないこと」です。
 
イーロン・マスク氏も、かつてツイッターで「Twitterユーザーの9割以上は、ツイートを読むことはあっても、ツイートやリプライ、『いいね』のような目に見えるアクションはしない」(原文から抜粋&意訳)と言っていましたが…
 
特に日本では、ネット情報を「読むだけ」で自らは発言も発信もしない「サイレント・マジョリティ」が多いのではないかと思われます。
 
実際、会社の休憩室でこんな会話を聞いたことがあります。
 
「ネットに書き込んでるのって、そういう(日中に自由な時間のある)人でしょ」「働いている人間は毎日忙しくて、ネットに書き込んでる暇なんて無いよね」…と。
 
高度な情報社会となった現代でさえ、ネットのデータになっていない「声」はたくさんあるのです。
 
…むしろ、ネットに上がっていない情報の方が多いくらいなのではないでしょうか?
 
なので自分は普段から、そんな「ネットのにあるリアルな声」に耳を傾けています。
 
会社の同僚との、ふとした日常会話…。
 
偶然すれ違った人たちから聞こえてくる会話…。
 
親兄弟との何気ない話etc…。
 
そこから得た「ネットの中には無いリアルな情報」を、日々マメに自分の中に蓄積しています。
 
かつてビジネスマンたちは、街の中で聞いた何気ない話をヒントに新たな商品やビジネスのアイディアを閃いていたと言います。
  
今はネットでの情報収集の方が主流になりつつあるのかも知れませんが…
 
ネットの情報は探しやすい分、ライバルでも誰でも目にすることが可能というデメリットがあります。
 
他者に差をつけられる“貴重な情報”とは「誰もが手にできるようなモノ」ではなく「自分だけが手にしているモノ」。
 
自分が直接「耳」で聞き取り、自分の脳内にしか保存していない「情報」ほど稀少なデータはありません。
 
これから先、人間社会に大きく影響を及ぼしてくるであろうAIですら、電子データ化されていない情報は学べません
 
誰もが簡単に高度な情報を手にできる「これからの時代」にこそ、「ネットの外にしか落ちていない情報」の稀少性は増すと思われます。
 
…それに、感情論になってしまいますが…ネットの中だけの情報って、何となく息苦しくありませんか?
 
電子情報化された「声」ばかりを「世界の全て」だと思ってしまったら、この世界は「生きづらい」ばかりのモノになってしまう気がします。
 
これから先の時代、きっと人間はますますネットの世界にのめり込んでいくのでしょうが…
 
「そうでない世界」のことを、忘れずに見つめ続けていられる自分でありたいと、強く思います。

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津籠睦月(つごもりむつき)
【職業】
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【趣味】
小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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