4月になって
国語教室HeyHoにも新入会の生徒さんがたくさん来てくださいました。
年度替わりには毎年入退会が多くなるのですが、
今年は気付くと10名になっており、
まだ体験希望者がおられるので、
そろそろ止めないと…と焦り始めたところです
体験や新規入会の際に親御さんと話すと、
「将来、小論文が必要になるかも」、
「受験の小論文では個性を出してアピールしなければいけない」
というようなイメージをお持ちの方が多いです。
そのために「作文」を習っておこう、と
小学生のお子さんを連れて来られます。
でも「個性」の表れた良い文章は、
習って書けるようになるのではなく
毎日の生活体験から生まれるものです。
次の作文は、この春に教室を卒業した
当時中学3年生が書いたものです。
決まった構成(パターン)だから読みやすいです。
ここで変に「個性」を出そうとすると
話が二転三転するなど、伝えたいことが見えなくなったり、
独りよがりな展開になってしまったりします。
パターン通りに書くのは悪いことではないのです。
一方で、内容は極めて個性的です。
この子だから注目したこと、
この子自身が体験し感じたこと、考えたことが並んでいます。
これが「個性」なのです。
長いですが、面白いのでぜひ
↓↓↓
言葉の意義
(前略:課題文の要約部分を省略します)
私は、場面に応じた言葉を使える生き方をしたい。
そのための方法として、まず、そのものや事柄を表すのに適した言葉を選ぶという方法がある。
前にインターネットで見た話で、
職場で避けられたり、うっとうしがられるサラリーマンの特徴、のようなものがあった。
まとめ記事のような形でいろいろと書いてあったのだが、
その中に「やたら横文字を使いたがる」というのがあった。
特にプレゼンテーションなどで、
責任やら目標やら、どう考えても日本語で伝えた方が早くて分かりやすいものを
英語もどきのカタカナ語で言ってくるらしい。
言う側は満足するのでいいのだが、
聞かされてる側からすると知識をひけらかされているようで面倒くさいうえに、
何より分かりづらいので迷惑このうえないらしい。
確かに新しく入ってきた言葉を使いたいのは分かるが、
それがそのことを表すのに適しておらず分かりづらければ意味がない。
特に場面に応じた言葉遣いをするためにも、
意味を適切に表す言葉を選んでいくのは大切なことだ。
また、相手に応じて使う言葉を変えていくという方法もある。
唐突だが、関西本線という路線を知っているだろうか。
鉄道好きな人なら誰しもが分かるが、
近畿に住む一般人で分かる人はそう多くないだろう。
なぜなら、この路線は普段、大和路線と呼ばれているからだ。
こんな感じで、鉄道には正式名だと普通の人には通じないものが多々ある。
なので、私は普段鉄道好きではない人と話すとき、
鉄道の話が出ても極力簡単かつ身近なことを話している。
鉄道を比喩や表現に使うときも、
鉄道好きの友人が相手なら地方の無形の無人駅やローカル線、専門用語を使うが、
そうでない相手なら出してもせいぜい阪和線か高野線程度だ。
宗谷線の勇知や音威章府、転換クロスシートにキハ40など、通じたためしがない。
皆困惑して口を閉じるか、意味がわからないけど○○らしいと笑っているか二択である。
どのような相手でも同じ言葉で会話していると、
通じなくなったら変な解釈をされて交流が成り立たなくなってしまう。
場面に応じた言葉を使うなら、
相手によって言葉を変えていかなければいけないのだ。
確かに、流行りの言葉を使うと、話の内容がより知性的に思われ、
賢く見られるかもしれない。
しかし、「家とは、外から見るためものではなく、中ですむためのものである」という名言があるように、
言葉の持つ雰囲気などではなく、
言葉の持つ意味を重視し、場合によって使い分けていくべきなのだ。
いかがでしょうか?
この子は毎回2時間くらいかけながら、
自分が納得する内容を、自分の言葉で紡いでいました。
「習う」「教えられる」のではなく、
自分の中にあるものを「引き出す」のです。
作文のご指導は、引き出したものを整理し並べるお手伝いをすることだと思っています。