終戦の日に | 「国語教室 Hey Ho」安藤友里のブログ

「国語教室 Hey Ho」安藤友里のブログ

「国語教室 Hey Ho」代表の安藤が、思ったこと・考えたことを綴ります。「文章力をつける」教室を開いているのだから、自分も文章を鍛えないと、と思って書いてます。

夏休み、読書感想文やAO入試の小論文などを

毎日指導させてもらっています。

もちろん、宿題だから、入試だから、と

必要に迫られて来られているわけだけど、

「自分で調べ、読み取り、

   理解し、意見を持つ」ことは、

人間として生きていく土台となる大事なこと、

それを身につける手助けになればいいなあ、

と感じています。

 

先日見た『新聞記者』という映画では

ある資料から「おかしい」「怪しい」

と気付いた1人が、

ある出来事から

真実を知りたいと思っていた人とともに、

「本当のこと」を追求していきます。

そして、隠されていた事実を突き止め

新聞記事にして世に伝えます。

(中途半端なネタバレ、すみませんあせる

 

戦争中、都合の悪いことは隠され

操作された情報を

信じるしかなかった社会と同じです。

伝える情報が「選ばれている」かもしれない。

「書いてあること」の後ろに

「書けない」ことが存在するかもしれない。

大人は、そういう意識を持っておく必要があると思います。

子どもに「疑うこと」を教えろ! と言っているのではありません。

子どもに一つの見方・感じ方だけが「正しい」と教えてはいけない、と思うのです。

 

以前、教諭をしていた職場で

教職員の歓送迎会や忘年会の最後に、

「万歳三唱」が行われていました。

「○○学園の益々の発展を祈って、

   万歳! 万歳! 万歳!」と。

私は、どうしてもこれができませんでした。

戦争に徴集されていく身近な人たちを、

無理に名誉なことだと思い込んで

送り出した「万歳」です。

冷静になること、何が正しいかを

見極めることを放棄して

マインドコントロールされて、

口にされた「万歳」です。

教育者として、

そうなることは絶対に避けたかったのです。

もちろん、「発展を祈る万歳」は、

そんな大げさなことでないし

穿った見方であることは承知しています。

でも、そういう違和感に蓋をしてしまうことは

流され始める第一歩になりそうで、怖かったのです。

1人だけ「万歳」と言わず、手を挙げない私は

驚かれたり、

「やるなぁ」と訳の分からない言葉を投げかけられたり(笑)

「一丸となって頑張ろう」と背中を叩かれたり……。

間違った方向に「一丸と」なったら危険やん、

と心の中で思いながら

こっそり、その恒例行事?をやりすごしていました。

まぁ、「変なヤツ」だったでしょうね。

 

話は脱線しましたが、

「伝えられていること」だけを信じ

「作られるイメージ」に子どもをあてはめ

「一般」「大衆」と括られることを

甘んじる人間になってはいけない。

そんな人間を育てる大人になってはいけない。

自分の感じたこと・思ったことを大切にして

それを正確に伝えることのできる人、

そして他の人の思いも正確に受け止められる人を育てていけば

きっと平和は続くはずだと思います。