焼き場に立つ少年-長崎原爆投下後に撮影された一枚の写真

子ども情報と子ども・孫のコラム

原爆投下後の長崎で撮影された一枚の写真

本来なら、ここに原爆投下後の長崎で撮影された写真「焼き場に立つ少年(朝日新聞抜粋)」を載せたいです。

が、その写真が余りにも辛く悲しいため、俺にはどうしても記載する事が出来ません。

申し訳ありませんが、下記の画像をクリックして下さい。

 

1枚の写真が見えるはずです。これが1945年長崎にてジョー・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」の写真です。
焼き場とは今で言う火葬場の事。そう、つまり背負っている小さな子どもは弟で、既に亡くなっているためお兄ちゃんが死んだ弟を背負って一人で火葬場に連れて来たのです。

こんな写真を見て悲しくない人なんていますか?
しかもこの子たち、俺の孫と同じくらいの子ども なんです。

正直、この写真を見た時、この写真に写っている子供達と俺の孫がだぶってしまい長々と見る事が出来ませんでした。
こうして記事を書いていても涙が自然に出て来ます。それほど印象深き、また悲しい写真です。

これを撮影した写真家

報道写真家 ジョー・オダネル

ジョー・オダネルは米国文化情報局に勤務した米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家。
占領軍として原爆投下後の長崎に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録した。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してしまう。しかし晩年になって原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。
原爆投下を信じる周囲から非難の声を浴びながら、85歳の生涯を閉じた。

この写真へのインタビューで、新聞記者に次のように話しています。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

報道写真家 ジョー・オダネル ドキュメント映像

この写真を含む報道写真家 ジョー・オダネルのドキュメント映像が残されています。
是非、皆さんの目で現実を知って下さい。
以下の赤の文字をクリックすると動画が見れます。

NHKスペシャル
解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
語り 柴田祐規子

今回の記事について思うこと

子ども達には何の罪もありません。
しかし戦争とは何も罪のない一般の人々が何も知らされず犠牲になることが戦争なのです。
今年で戦後73年になりますが、今でもその傷跡が至る所に多く残っています。

本来、このブログは子どもや親に笑顔を届けたいと願い、ブログサイト「子どもがいっぱい笑ってる」を作り始めました。
ですから今回のような、こんな悲しい写真の記事は取り上げたくなかったです。
が、余りに悲しすぎる現実と俺の孫に近いと言う事だけで涙が止まらなかったので、今回記事にしてみました。

しかしながら、この写真のような現実があった事も事実で、またこの事実も戦争のほんの一例にしか過ぎません。
また皆様にその現実を知っていただけたら、そして二度とこんな悲劇を繰り返してはならない。との思いもあります。

今の世は平和になりました。
しかしながら平和になればなったで、愚かで馬鹿な大人が増え、子どもの事件や虐待が後を絶ちません。

いつの世も、泣くのも犠牲になるのも子どもたちばかりです。
せめて子ども達だけは笑っていてもらいたい、夢と希望を持っていて欲しいと願うばかりです。

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