自死遺族になり、絶望が感謝に変わるまで
私は2018年5月、長女を自死で失いました。
息をしているのがやっとだった私が、今こうして愛に包まれて生きていると感じられるのは、自分の感情を野放しにせず一つ一つ向き合ってきたからです。
そう断言できます。
もしも感情に向き合っていなかったら、私は今も娘の自死から立ち直っていないと思います。
感情に向き合う事でわかった事があまりにも沢山あったのです。
そしてその「わかったこと」は、娘の自死による傷ついた自分だけでなく、この世に生まれて生きてきた全ての私を癒しています。
娘は生まれる前の記憶を持った子でした。私が幼い頃から私のことをマークして子供になろうとしていたそうです。
私が流産した時の肉体にも宿っていたらしく、そのことを話された時は、鳥肌が立つと同時に生前記憶が本当なのだと信じられました。
娘は私が生まれた時から、見守ってくれて、一緒に一時を過ごし、愛し合い、今は肉体を離れて自由な身となり、学びを授けてくれています。
ブログにもたくさんの気づきを書いてきましたが、愛や感謝を感じるに至るには、ネガティブな感情の体験と深い理解が鍵になっていると思います。
ネガティブな感情を体験しなくても愛に至ることはできるのかもしれませんが、私は幸せそうだった以前の暮らしの中で、「愛」なんて言葉は恥ずかしくて使えないものでした。身近でなかったのです。
でも今私は「愛」という言葉を多用します。「愛」としか表現できないからです。
そしてその「愛」を知ったのは、娘の死があったからなのです。
絶望的なネガティブ感情を受け入れざるをえない体験をしたからなのです。
ネガティブな感情といってもいろいろありますが、自死遺族になったからこそ強制的に味わったとでもいうべき、普段、蓋をしてしまいがちな、できれば避けて通りたい感情についてまとめてシェアしようと思いました。
これらを避けないほうが愛を知ることにつながると身をもって体験したからです。
自分の感情を感じ、その感情の意味をわかると、どうやらその感情を伴う体験は卒業できます。結論を言ってしまえば全てが愛だからです。
ただ、絶望を愛だとは最初から思うことはできません。向き合ってみないとわからないものだと思います。
そうは言っても、自分のネガティブな感情に向き合うことは、とても大変です。
嫌な感情を思い起こすことは、肉体的にも辛いです。
できるだけ自分の感情に気づかないようにしてしまうもの。
それが普通です。
幸か不幸か私はあの頃、絶望の真っ只中で自暴自棄になっていました。
娘を死なせた自分が憎く、自分を懲らしめたかった。
幸い私にはたくさん時間がありましたし、
娘の死という絶望的な体験をとことん味わってやろうと思ったのです。
それがまさか、私を天国に導くとは思いもせずに。
私は実験台です。
とことん、自分の感じてる感情を感じ尽くしました。
自分に対する仕返しのつもりもあったかもしれません。
ネガティブな感情が見つかるたびに、ごまかさず、とことん向き合いました。
その感情の奥の奥まで見ていったのです。
私はすべての感情の奥に、愛があることを発見しました。
今この文章を読んでる方には信じられないかもしれません。
でも本当です。
そして自分のすべての感情を肯定し許せるようになっていったのです。
感情を感じ尽くすことは、自分自身を知ることでした。
そして自分自身を受け入れ許し、愛することを可能にしました。
自分の内側は多かれ少なかれ現実世界に反映されます。
自分を愛すことで、私の世界は愛の世界に変わっていきました。
娘からのプレゼントだと思って受け取っています。
もしも絶望的な状況になっても、もう怖くありません。
それがギフトだと知っているからです。
この先は、私の体験談として気軽に読んでいただければと思いますが、死に関する思想は人それぞれです。
ご自身の感覚に合わない場合もあるかと思いますので、ここまで読んで頂いたことを参考によくお考えの上でご購入いただきますよう、お願い申し上げます。
息をしているのがやっとだった私が、今こうして愛に包まれて生きていると感じられるのは、自分の感情を野放しにせず一つ一つ向き合ってきたからです。
そう断言できます。
もしも感情に向き合っていなかったら、私は今も娘の自死から立ち直っていないと思います。
感情に向き合う事でわかった事があまりにも沢山あったのです。
そしてその「わかったこと」は、娘の自死による傷ついた自分だけでなく、この世に生まれて生きてきた全ての私を癒しています。
娘は生まれる前の記憶を持った子でした。私が幼い頃から私のことをマークして子供になろうとしていたそうです。
私が流産した時の肉体にも宿っていたらしく、そのことを話された時は、鳥肌が立つと同時に生前記憶が本当なのだと信じられました。
娘は私が生まれた時から、見守ってくれて、一緒に一時を過ごし、愛し合い、今は肉体を離れて自由な身となり、学びを授けてくれています。
ブログにもたくさんの気づきを書いてきましたが、愛や感謝を感じるに至るには、ネガティブな感情の体験と深い理解が鍵になっていると思います。
ネガティブな感情を体験しなくても愛に至ることはできるのかもしれませんが、私は幸せそうだった以前の暮らしの中で、「愛」なんて言葉は恥ずかしくて使えないものでした。身近でなかったのです。
でも今私は「愛」という言葉を多用します。「愛」としか表現できないからです。
そしてその「愛」を知ったのは、娘の死があったからなのです。
絶望的なネガティブ感情を受け入れざるをえない体験をしたからなのです。
ネガティブな感情といってもいろいろありますが、自死遺族になったからこそ強制的に味わったとでもいうべき、普段、蓋をしてしまいがちな、できれば避けて通りたい感情についてまとめてシェアしようと思いました。
これらを避けないほうが愛を知ることにつながると身をもって体験したからです。
自分の感情を感じ、その感情の意味をわかると、どうやらその感情を伴う体験は卒業できます。結論を言ってしまえば全てが愛だからです。
ただ、絶望を愛だとは最初から思うことはできません。向き合ってみないとわからないものだと思います。
そうは言っても、自分のネガティブな感情に向き合うことは、とても大変です。
嫌な感情を思い起こすことは、肉体的にも辛いです。
できるだけ自分の感情に気づかないようにしてしまうもの。
それが普通です。
幸か不幸か私はあの頃、絶望の真っ只中で自暴自棄になっていました。
娘を死なせた自分が憎く、自分を懲らしめたかった。
幸い私にはたくさん時間がありましたし、
娘の死という絶望的な体験をとことん味わってやろうと思ったのです。
それがまさか、私を天国に導くとは思いもせずに。
私は実験台です。
とことん、自分の感じてる感情を感じ尽くしました。
自分に対する仕返しのつもりもあったかもしれません。
ネガティブな感情が見つかるたびに、ごまかさず、とことん向き合いました。
その感情の奥の奥まで見ていったのです。
私はすべての感情の奥に、愛があることを発見しました。
今この文章を読んでる方には信じられないかもしれません。
でも本当です。
そして自分のすべての感情を肯定し許せるようになっていったのです。
感情を感じ尽くすことは、自分自身を知ることでした。
そして自分自身を受け入れ許し、愛することを可能にしました。
自分の内側は多かれ少なかれ現実世界に反映されます。
自分を愛すことで、私の世界は愛の世界に変わっていきました。
娘からのプレゼントだと思って受け取っています。
もしも絶望的な状況になっても、もう怖くありません。
それがギフトだと知っているからです。
この先は、私の体験談として気軽に読んでいただければと思いますが、死に関する思想は人それぞれです。
ご自身の感覚に合わない場合もあるかと思いますので、ここまで読んで頂いたことを参考によくお考えの上でご購入いただきますよう、お願い申し上げます。
★おすすめしたい方
・自分らしく生きたい方
・自分を好きになりたい方
・亡くなった大切な人のために自分を活かしたい方
・亡くなった大切な人の意図を知りたい方
・絶望的な状況から抜け出したい方
・自分のネガティブな感情にうまく向き合いたい方
・自分に自信を持ちたい方
・今世の魂の目的を果たしたい方
・カウンセラー、ヒーラーの方
・地球をよりよくしたい方
※読んだだけでは変わらないと思いますので、
私の行動したことを項目毎にまとめてあります。
よかったら実験してみてください。
※絶望編に続き、人間関係編、日常編も近日リリース予定です。
・自分を好きになりたい方
・亡くなった大切な人のために自分を活かしたい方
・亡くなった大切な人の意図を知りたい方
・絶望的な状況から抜け出したい方
・自分のネガティブな感情にうまく向き合いたい方
・自分に自信を持ちたい方
・今世の魂の目的を果たしたい方
・カウンセラー、ヒーラーの方
・地球をよりよくしたい方
※読んだだけでは変わらないと思いますので、
私の行動したことを項目毎にまとめてあります。
よかったら実験してみてください。
※絶望編に続き、人間関係編、日常編も近日リリース予定です。
絶望が感謝に変わるまで<絶望編>
〜目次〜
♦︎感情の段階と、最悪の感情を体験した人
♦︎絶望
♦︎悲しみ
♦︎苦しみと恐れ
♦︎罪悪感と恥
♦︎絶望編のまとめ
♦︎感情の段階と、最悪の感情を体験した人
♦︎絶望
♦︎悲しみ
♦︎苦しみと恐れ
♦︎罪悪感と恥
♦︎絶望編のまとめ