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2019年10月23日

高知県と竹富島

 助け合うという竹富の言葉「うつぐみ」の心で、
沖縄・北海道・青森・高知をつなぐ「文化芸能」

高知県と竹富島


沖縄戦で竹富島に駐屯した独立歩兵「大石隊」の故・大石喬隊長は住民と良好な関係を築き、高知県出身者が多かったことから「高知竹富会」として戦後も長く交流を続けている。

「部下の兵隊が島で悪さをしないように集落を見回り、夜は一緒に八重山民謡を歌ってくれるなど、軍人らしくない気さくな人だった」そうだ。

 軍部は八重山住民をマラリアがはびこる山間部に強制疎開させる命令を下したが、大石さんは疎開を選択制にさせた。

住民を強制疎開させた波照間島では島民の約3割の470人余がマラリアで命を落としたが、竹富では死者7人にとどまった

竹富町における戦災状況(総務省)

石垣島をはじめ、竹富町の島々にも軍隊が配置され、兵隊の姿が目立つようになった。竹富島には大石隊、小浜島には旅井隊、引野隊が駐屯し、黒島、波照間島には「離島残置工作員」が配置されている。

島の成年男子は軍に配属されており、竹富町の島々からは高齢者や若い女性が借り出され、飛行場建設は軍民一体で進められた。1945年3月には八重山中学校や八重山農学校の生徒たちが鉄血勤王隊として学徒出陣。八重山高等女学校の女学生が野戦病院の従軍看護婦として各部隊に配置された。

戦争マラリアの犠牲者は、八重山全体で1万6864人、死者数は3647人で、人口に対する死亡率は21・5%で、5人に1人が亡くなったことになる。山中から自宅に戻っても、マラリア地獄は収まらず、戦後復興の妨げになった。

 全戦没者数1317人のうち、963人はマラリアによる死亡者で、その割合は73・2%にも及ぶ。
特に波照間島の割合が高いが、それは強制疎開によるものである。

強制疎開によるマラリアのことを、「戦争マラリア」と呼んでいる。
ボクはマラリアの母から戦後に末っ子として生まれた。


糸満市に上陸した「ジョン万次郎」の出身地(土佐清水市)とも、豊見城・糸満市はお付き合いが深い。





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Posted by sukebo at 16:50│Comments(2)OKINAWA
この記事へのコメント
これを書く動機は何なのでしょう。

自分の存在が奇跡的だと喜んでおいでなのですね?
おめでとうございます。
奇跡の存在です。
竹富島は行ったことがおありだったんですよね。

ブログの引用元を紹介して欲しいです。
紹介の紹介記事だけでなく、個人の生き生き描写が待ち遠しいです。
Posted by とんび at 2019年10月23日 18:50
戦争なんかはつまらないからやめた方がいい。と誰かが言っていた。
アメリカ兵よりも日本兵が怖かった。集団自決も軍がかかわった。
いや、そうではないと結論が出ていない。
米兵が住民から豚料理をごちそうになったとか、現場から持ち帰った日本兵の遺品をアメリカ老兵が持ち主へ返す。

「泥の中でも蓮は咲く。」
と作者は言いたいのではないだろうか?
タイトルもその方がよかったとも思う。
そんな調子で、これからも「よろしくうにげーさびら」
にーふぁいゆー! おーきに!
Posted by sukebosukebo at 2019年10月24日 18:10
 
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