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生きづらさの根源は自己イメージ=『仮面』
今日はちょっと、仕事で聞いたことを書いてみます。
伺ったのは、白狐さま。
最近よくアドバイスをもらっています。
神様ではないのですが、長年生きた知恵があり、とても参考になっています。
(『白狐図』 円山応挙 1779年)
白狐(霊狐)
稲荷神・荼枳尼天・飯縄権現および狐そのものを神格化した寺社や祠などに信仰の対象としてまつられる。また、稲荷の眷属として仕えている狐たち全般をさすこともある。人間に対して有益な存在と目されている狐を意味すると説かれており、人間に好んで災禍をもたらす存在はこれに対して野狐(やこ)と区別されている。
引用:霊狐 - Wikipedia
仮面
白狐:最近の人間は、自己イメージとして『仮面』を被る。
しかし、それこそが生きづらさの根源であると、まるで気づいていない。
昔の人間
白狐:昔の人間は、ありのまま、感じたままに動いていたように思う。
怒るときは怒るし、嫌なときは、そのまま逃げ出した。
もちろん我慢することもあったが、そのようなときは、死に物狂いで、一時的に、その場だけこらえていたものだ。
すぐに我慢できなくなり、例え死ぬ危険があっても、やりたいことをしていた。
一方で、最近の人間は、自己イメージというものを形成する。
「自分のキャラは~」などと、自らでタイプに分類までするようになった。
これらは、創作活動が活発になって、自分もまた創作の人物になぞらえるようになったからおきたのだろう。
白狐:これら自己イメージを『仮面』と言おう。
再度言うが、それこそが生きづらさの根源である。
世界は千変万化
白狐:私という者がいる。
「それは○×な存在である。」
これが『仮面』だ。
そのような規定は妄想である。
他人を評価するとき、その人物の行動のみで判断する。
行動を知らないときは名声や印象で判断する。
その人が自分をどう思っているかで判断する者は誰もいない。
自分自身も同じだ。自分を評価するならば、自分の行動と結果のみにおいて評価・判断すべきだ。
行動と結果は事実だ。
一方、頭の中の考えは、ただの考え以上のなにものでもない。
『仮面』は頭の中の考えである。自分だけに影響を与える思考だ。
仮面は誰でも多少なりとも作る。しかし、それを維持し続ける人は少数だ。
なぜなら仮面をかぶり続けるならば、現実で苦痛を感じ、早々に手放さざるをえないからだ。
それができない者が、生きる上で苦痛を感じ続ける。
私への評価など許すほど、この世界は平坦ではない。
世界は変化に富み、常に変化し続ける。
世界の変化に対応するには
「自分は●×のような存在である」という考えは、邪魔し、苦痛しか生み出さない。
具体的処方
白狐:抽象的な言葉が多くなったようだ。
要約すれば
『仮面』=「私は◎□だ」という考えを握りしめていると、世界に対応できなくなって、とても苦しい一生を送ることになる。
では、どうしたらいいのか?
『仮面』=「私は◎□だ」という考えを一切すべて放棄するしかない。
数百年前までは、人はそのように生きていたのだ。
「私は優しい人だ。人を傷つけることはしない。」
「私は正しい。正義感のある人間だ。」
「私は賞を取ったから才能がある。」
「私は学校で優秀だったから、優れた人間である。」
「私は怒らない人間だ。何があっても怒らないぞ。」
「私は・・・・」
そのようなキャラ立ても、思考も、規定もいらない。
この世界は、そんな制約をして生き抜ける世界ではないのだ。
私はあるとき優しいことをした。それはそうしたかったからだ。
今日は厳しく、意地悪にしたいと思ったらそうするのだ。
正義感があっても、それはその時のこと。犯罪であってもやる必要があれば、やればよろしい。
世界は変わり、支配者は交代し、ルールも変わる。
昨日の法は、今日の犯罪である。
世に逆らえば、ただ苦痛しか残らない。
生き物、人間もその中のひとつにすぎない。
『仮面』や自己規定を永遠に持ち続けてはいけない。
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