日本と韓国 武士道と儒教 | 欽天四化紫微斗数 勉強中

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まだまだ初心者レベルですが、本当の欽天四化紫微斗数はどういうものなのか、勉強中です。欽天四化紫微斗数の勉強に集中するため、四柱推命・断易・六壬神課・観相についての勉強は一時休止しています。

明治以降の日本において、富国強兵を進める日本において 脱亜入欧 という言葉が民間に流布されました。旧来の東アジア的な精神性から離れて欧米的な近代化を目指そう、という思想と理解しています。

 

福澤諭吉は、脱亜論で「近隣の支那・朝鮮でさえ余りにも前近代の体制に固執し続けている」ので、アジア全体で近代化を進めるのは無理なので、日本単独で近代化を進めよう、という趣旨でのみ「脱亜」を主張しています(「入欧」は主張していません)。

 

現代の日本と韓国でも、明治期同様精神性において大きな違いがあるように思います。

もちろん、歴史教育において事実にできるだけ忠実に教えるのが「正義」であると考える日本と、事実を曲げてプロパガンダを織り交ぜて自国の正統性を教えるのが「正義」であると考える韓国とでは、どうしても歴史認識に大きな相違が生まれ、精神性にも大きな違いが発生するのも仕方が無いことだと思います。中国の歴史書である「史記」でも商・周・秦や項羽を貶める事項が含まれていますので、儒教的易姓革命思想に基づけば自国の正統性を主張するのは当然であり、日本の歴史教育は中韓からすれば常識はずれの亡国教育でしょう(事実を曲げるのは日本人には多分「曲学阿世」と看做され非難されるでしょうが、儒教的にはOKのようです)。

また、易姓革命思想の変形として、現代の韓国において大統領が次の政権によって罪に問われるのは儒教的には正当性があるのでしょう。

 

こう見ていくと、韓国においては今なお儒教的な思想が色濃く残っていると考えてよいでしょう。

それに対して日本では、儒教が相当換骨奪胎されて武士道となったと思います。

儒教における君臣論では、「論語」にある 「君君たり、臣臣たり」から、後には易姓革命によって君主が君主でなくなるまでは臣下として「忠」であるべきとされていたようです。

日本においては、鎌倉時代の「御恩と奉公」に見られるように、主君が家臣の本領安堵や恩領によって利益を与える代わりに家臣は従軍等の奉公を行い、主君の力が弱まり御恩を与えられなくなれば家臣も奉公を続ける必要はなく、主君を替えてもよい、というのが初期の武士道であり、ある意味それの究極形が下剋上であり、江戸時代では下剋上を防ぎ権力構造を安定させるため「君君たらずとも臣臣たるべし」との思想を広めたのでしょう。それでも初期の武士道に見られる一種ドライな精神性は現代においても色濃く残っており、終身雇用制が崩壊したとされる現代では部分的により先鋭化した形で表れているかもしれません。

 

また、国民性においても「生一本」等で表現される純粋性を尊ぶ日本と、「老獪」等で表現される騙しあい上等、騙される方が悪いという韓国とでは、価値観の違いを埋めるのは困難でしょう。

 

昨日韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決め、今日日本側に伝達したようですが、日本とすれば粛々と対応し、韓国側が日本に責任を押し付けようとするならば一切妥協せず堂々と正論で反駁すればいいでしょう。(この件は韓国の自爆としか思えませんが、自爆に巻き込まれるようなヘマはしないでしょう、多分。安倍政権にはそう願いたい。)

近くて遠い国韓国に係わる際は、理性的に、且つ「他人を強力にする原因となる者は没落する(君主論)」「遠交近攻(史記)」をしっかりと胸に刻んで対処して欲しいものです。

 

 

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