前回のブログ「えんがわ物語~よしのりの過去①~」

の続きです。

 

前回のブログはこちら↓

https://ameblo.jp/engawa12-11/entry-12484126538.html

 

 

今回は、進学校だったのに、進学はせず、

まさかの海上自衛隊に入隊することに決めたよしのりの

その後を追跡したいと思いますグッ

 

 

 

早く家を出たかったよしのりは、

お兄さんが、陸上自衛隊だったので、


「俺は、海波てことで、海上自衛隊に船日本

↑画像汚くてすみませんタラー

 

 

母親に色々言われることが耐えられなかったよしのりは、

早く独立したいという気持ちが強く、

またやりたいことも見つからないということで、

両親に「3年だけ行かせてくれ。」と説得したそうです。


ここでの経験は、人生の転機の一つだったと

私は聞いてて思います。


訓練に出ると数ヶ月、海の上。

海は広いけど、船の中は、ちょ〜〜〜狭い世界。

そんな狭い&上下関係厳しい世界で、よしのりは上司や先輩に噛み付くという

自分で自分の首を絞めるようなことをしていましたガーン

 

素直じゃなかったし、ひねくれた捉え方をしていて、

同期にも、「あまのじゃく」と言われていました。

今考えると、親子関係が上司への反発に反映されていたようです。

 

 

でも、それも突き詰めていくと、結局自分自身の問題だったんです。

 

自分のことが好きじゃなかったし、全く自信がなかった。


上司の愚痴を仲間たちと言う日々で、鬱になった。

(診断されたわけではないけど、今思い返すと鬱の症状だった。)

 

完全に自分自身がショートしていた。

 

頭も回らないし、身体も動かない。

19歳でおねしょをした。

自律神経がおかしくなっていたんですね・・・



ある日、甲板の上で、先輩といつものように愚痴を言っていた時、

先輩のニヤッと笑った横顔を見て、ゾッとしたよしのりは、

「やめた!」と突然気づきを得る。

「やめた」というのは、海上自衛隊を辞めるのではなく、

「愚痴を言うのをやめた」という意味。


そして、寝ている時に、突然

「捉え方を変えよう。」

とひらめいた。



そうすると、今まで上司の言うことに突っかかっていたのに、

上司は自分のことを想って言ってくれているというふうに捉えることができるようになった。

それからは、どんどん周りも変化していった。

といっても、周りは前と変わらないんだろうけど、

よしのりが見る映画(自分が見ている世界)を変えただけ。

 

 

これって、すごく大きな気づきだと思います。

しかも19歳という早い時期で気づけたのはラッキーでしたね虹

 


相当辛かった海上自衛隊時代。

3回、人事に辞めたいと言いにいった。

 

限界ギリギリの時、父親に電話をした。

父に、「3年て約束したやろ。」と言われ踏みとどまる。

 

またある時は、広島の呉まで父が来てくれて

初めて外でお酒を一緒に飲んだ。

 

そんな父の支えもあり、なんとか当初の約束通り3年務めた。



退役前から自問自答し、

「物をつくることに喜びを感じる自分がいる。」

ということに気づき、退役後、

 

京都の工業デザインの専門学校に入学。

 


海上自衛隊のあとはデザイン笑い泣き

 

またまたぶっ飛んでるわDASH!

 

2年間学校で学んだ後、

東京のアウトドアの会社の試験を受けに東京へ。

 

試験の日は雨だった雨

 

雨の日の山手線に乗ったよしのりは、

「ここは自分の住む所じゃない。」

と察した。

 

で、合格通知もらったのに、断ったゲッソリ

 

どうすんの!?

 

 

専門学校時代にアルバイトしていた

ケーキ屋の店長になった(笑)

そこ、いく!?

 

 

1年店長を務めている間に、

高知のデザイン会社に就職が決まった。

 

そこで、5年間色んなことを経験した。

 

環境デザイン

店舗の内装設計

イベント

よさこいの地方車製作

西武や大丸のお正月飾り

ウィンドーディスプレイ

現場監督

職人さん

 

何でも屋さん汗

5年やって、デザインやモノを作る才能の限界を

知って辞めた。

 

 

その後、子供の頃から大工という仕事に憧れていたので、

型枠大工の仕事を1年する。

 

でも、この仕事ももういいかなと思い、

次は、営業の経験をしてみたいということで、

 

 

通信教育の営業に。

 

お宅にピンポンして営業する、アレ。

 

 

ノルマがめちゃくちゃ厳しかったが、なんとか

3か月の試用期間中にノルマを達成し、正社員に。

 

 

ノルマ達成するまで帰ってくるな!

と言われていたので、

 

夜中の12時にお宅訪問滝汗

 

めっちゃ迷惑~

 

ほとんどの家が出てくれない中、

数件が起きてきてくれて、話を聞いてくれた。

 

で、何件か契約してくれたらしい。

 

執念チーン

 

もう笑えてくるわ(笑)

 

でも、当時本人は必死。

 

 

そんな努力もむなしく、

 

入社した年の12月25日、

クリスマスの日にリストラされるチーン

 

メリークリスマスクリスマスツリークリスマスベルサンタトナカイ

 

 

もう会社が傾いていたらしく、

よしのりが辞めてすぐに営業所は閉められたそうです。

 

その会社は今はもうないです。

 

 

!!

 

 

よしのりの母の友達が声をかけてくれたのが、

 

「日本生命の営業」

日生レディキラキラ

 

あ、レディじゃないね。

 

 

全く興味がなかったけど、やりたいことがなかった。

 

 

前職の通信教育の営業で、

 

「営業の才能あるかも爆  笑

 

と勘違いしたよしのりは、日生に入社。

 

 

最初からやる気のないよしのりは、

毎日車や自宅で昼寝。

 

さぼりまくり。

 

 

育成部のやり手イケメンに、毎日ものすごい声で、

ヒステリックに怒られていた。

 

が、右から左で、怒られていた内容は全く覚えてない(笑)

 

のれんにうでおし。

 

 

給料が少なすぎたよしのりは、(さぼってばかりなので当然)

2年目から昼の日生に加えて、夜の仕事を始める。

 

当時高知でラウンジ13店舗を経営していた会社の

取り締まりマネージャーとなる(よしのり36歳)

 

いきなりマネージャーガーン

 

 

なんでラウンジにしたのか・・・

 

求人を見ていたら、そのラウンジの募集があった。

 

ラウンジの仕事に興味を持ったわけではなく、

その募集文章を読んで、

 

「この人に会ってみたい!!

 

と思い、面接に。

 

50代の女性社長と会い、即決された。

 

 

が、もちろんよしのりにマネージャーとしての力量はなく

1年でマネージャーからボーイに下矢印男性トイレ

 

夜の世界は独特の世界観があるようで・・・

自分には夜の世界は合わないと気づく。

 

そして、夜中の3、4時に帰る生活なので、

日生の昼寝の時間が長すぎるようになった。

 

3年目は日生に専念筋肉

 

 

しかし、育成部のイケメンに加え、

男性営業部長にも怒られるようにタラー

 

風当りが2倍に(笑)

 

 

そこで、夜の世界のお客さんに声をかけられていた

バルチックカレーのスタッフと立体駐車場の仕事に転職。

 

毎日カレーをつくる&朝晩カレーを食べるカレー

 

 

まるでイチロー(笑)

いや、イチロー越え。

※イチローは朝カレーはもうやめてるそうです。

 

 

はい、ここまで既に10個の仕事を経験したよしのり。

19歳~40歳くらいまでの出来事。

 

男の人は特に、20代・30代で仕事が定まらないと

不安になる方がほとんどだと思います。

 

ちゃんとした仕事に就かないと結婚できない、世間の目が、とか・・・

 

よしのりには全くそういった「不安」はなかった。

 

だからこんなに自由に、自分の想いのままに、そして

流れのままに仕事をしてきたんだと思います。

 

この「不安」がないから、

この後もまだまだいくつかの仕事を経験します。

続きは次回のブログにて。

次回のブログで今の仕事にたどりつけるかな?

 

 

履歴書のように、ひたすら経歴を書いていますが・・・

 

皆さんの何かヒントになればということで

この「えんがわ物語」を書き始めましたが、

書いていくうちに、自分自身に向き合い、

書くことで解放しているんだと思いました。

 

なので、

私たちが楽しんでるだけなので、

見るのが楽しいと思ってくださる方は

引き続きごらんくださ~いチョキ

 

次回は、またよしのりが脱藩するところからですDASH!