目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

聖蹟桜ヶ丘下車、桜ヶ丘公園でお花見

2023-04-05 | まち歩き

都立桜ヶ丘公園 標高128m 東京都

2023年3月21日(火・祝) 曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 13:00頃 聖蹟桜ヶ丘駅--(ファミリーマート買い出し)--大栗川遊歩道--大谷戸公園--14:20桜ヶ丘公園富士美の丘(昼食&お花見)--15:25旧多摩聖蹟記念館--とんぼの広場--16:00過ぎ 聖蹟桜ヶ丘駅

京王線沿線でハイキングできるところはないのかと何気なしに検索して見つけたのがここだ。しかも桜の名所もある。お花見をするなら満開になると思われる週末(4/1&4/2)がよかったのだろうけど、あいにくの雨予報だった。ならばと、この日は曇りの予報ではあったけれども、何とか1日持ちそうな気配があり、山の神と決行することにした。

ただ間の悪いことに、この日はWBCの日本の試合(対メキシコ戦)が日本時間の朝8:00からあり、通常の試合進行で3時間半後の終了としても、家を出るのが12:00くらいになりそうだった。ご存知のとおり、試合は最後までもつれにもつれ日本が逆転サヨナラ勝ちという最高の結果だった。興奮冷めやらぬまま、さあ出発だと準備を始めたのが昼過ぎとなってしまった。


左:大栗川遊歩道を行く山の神 右:乞田川の合流地点付近

というわけで聖蹟桜ヶ丘駅に着いたのは、すでに13:00となっていた。西口を出てファミリーマートでサンドイッチやビール、つまみなどを買い込み、散策にはうってつけの大栗川の遊歩道を山の神と進む。遊歩道が途切れたのを境に川を離れて住宅街に入っていく。前方に同じ目的と思われる、ビールやランチらしき食料をもったカップルを発見して、後ろをついていくが、途中で見失ってしまった。


左:曹洞宗 高西寺 右:庚申塚

そのうち門構えの立派な曹洞宗の高西寺が出てくる。うちの宗派であり、只管打坐で有名な禅宗の寺だ。親近感を抱きつつも、道草を食っている場合ではなく素通り、、、庚申塚を越えて、Googleのナビも使いながら小学校を過ぎる。


左:大谷戸公園 右:BBQをしている団体がいた

当てずっぽうでも、それなりに近いところには行くもので、桜ヶ丘公園の手前、大谷戸公園の駐車場にたどり着いた。周辺に園内の案内板らしきものはなく、プリントアウトしてきたハイキングコースを頼りに進む。すでに時計は14:00近くを指しており、BBQをしている団体をうらめしそうに見ながらわれわれはその横を通過。どこかビールを飲むのにいい場所はないのかと、きょろきょろしながら本来の目的地である桜ヶ丘公園へ足を延ばす。

丘への道がついていた

公園内でのわれわれの位置がよくわからないままに桜ヶ丘公園に入っていた。やがて公園の中央口あたりに差し掛かると、カメラの放列があり、野鳥がいるらしいとわかる。案内板が出ていて、どうやらここにルリカケスが棲息しているようだ。山の神とレンズを向けられた先を凝視するが、残念ながら姿は見えず。


左:のどかな風景、富士美の丘(きれいなトイレも完備) 右:富士美の丘のテーブルで昼食

富士美の丘に14:20頃着くと、多くの家族連れが既にくつろいでいた。肝心の桜は三分咲きくらいか。バドミントンをしている親子もいて、のどかな公園風景が広がる。山の神と私は誰もいないテーブルとベンチを見つけ、遅いランチとなる。サッポロ黒生の缶をプシュッと開けて、カップに注ぐ。最初の一杯がいちばんうまい。缶には「丸くなるな、星になれ。」とあって不穏だ。要するに「とんがって4ね」ということか。

 
左:旧多摩聖蹟記念館へつづく道 右:旧多摩聖蹟記念館

ファミマの食料を食べつくし、桜ヶ丘公園の核心部、旧多摩聖蹟記念館へと向かうことにした。雑木林の中を上っていくと、入館無料でだれでも入れる洋風の建物が出てきた。明治天皇がこの地に行幸した記念の建物で、この地の歴史的な写真などを展示している。目玉は、騎馬姿の明治天皇だろう。


旧多摩聖蹟記念館前の広場

記念館前の広場は人が少なくて閑散としていたが、ソメイヨシノが六、七分くらいに咲き誇っていた。最初からここでお昼にすればよかったと思うが、昼頃は大層な人出だったのかもしれない。


広場の桜は見事だった

広場から「ちょうの道」と名付けられた山道を下り、お子さんたちが走り回る「とんぼの広場」に出る。ここを過ぎると、もう公園は終わりで住宅街となる。


左:記念館通りへ出る路地 右:記念館通りにあった桜の巨木

細い路地を見つけ、探検気分で入ってみると、記念館通りに出て大きな桜の木が待っていた。

その後は、Googleのナビで誘導されるがまま、川崎街道に出て、車がビュンビュン飛ばす殺伐とした道を進み、16:00過ぎに聖蹟桜ヶ丘駅に戻った。

参考:京王沿線の里地里山を歩こうhttps://www.keio.co.jp/area/satochi_satoyama/index.html

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全天候型ゴーグルを新調

2023-02-19 | 山道具&ウェア


TRANCE SNOW GOGGLES 怪しげなものが映り込んでしまった!私の手も!

先週三鷹東八沿いのVictoriaに行き、ゴーグルをゲットした。1月の白馬でゴーグルのクッション(スポンジ)部分の糊の劣化が進んではがれてきていたための買い替えだ。

売り場で3000円くらいからと思っていたら、そんな価格帯のものはなく、4000円くらいから高いものでは1万5000円もした。いろいろ物色して結果、眼鏡をしていても装着できるタイプで、くもりにくいダブルレンズ、さらには全天候対応の黄色いレンズをセレクトした。

まったく知らなかったが、ピンクのレンズが最もよく見える全天候型で、店頭の表示では、晴れ、曇り、雪、ナイターとすべてにおいて〇と◎となっていた。ちなみに黄色は、それに次ぐものだった。

じつはゴーグルを新調したのにはわけがある。ほんとうは今日氷瀑を見に行く予定であり、さっそく使おうと思っていたのだ。でもねえ、信じられないほどの気温上昇の予報で、4月の気温といっていたので、出発を見送ったのだった。もうこんなに暖かくなったら、氷瀑に戻ることはないか。お楽しみは来年にとっておこう。    

 
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もの足りない?!『田中陽希日記』

2023-02-11 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『日本3百名山ひと筆書き 田中陽希日記』田中陽希(平凡社)

ちょっと前にどんな本なのかと興味津々で、書店で手にとってパラパラとめくり、あららと思って平台に戻した。買うまでの本ではないと判断して地元の図書館で借りることにしたのだ。

なにが気に入らなかったかといえば、まず写真だ。写真はほぼ全点に近いくらい陽希さんのスナップ写真であり、NHKBSの「グレートトラバース」の番組を本に置き換えたようなものだ。

そして「日記」としている割には文章量が少なく端折りすぎ。写真を減らして、もっと日記を掲載すればいいのにと感じた。300名山を歩いているのに、各山の情報が少ないのもいただけない。率直にいって山やさん向けの本にはなっていない。

しかし、実際に図書館で借りてきて読んでみたところ、有益なことはあった。テレビではほとんどとりあげていなかった300名山以外の山歩きについても書いていたこと。なかでも裏岩手連峰の縦走はしびれた。相当マイナーではあるけれども、畚岳(もっこだけ)、諸桧岳(もろびだけ)、嶮岨森(けんそもり)、大深岳(おおふかだけ)、三ツ石山と登場。湿原や池塘、草原と緑のなだらかな傾斜地に森が続く気持ちのいい場所だ。三ツ石山は、山の神と行く予定だったが、雨で断念したことを思い出した。いつか陽希さんの真似をして縦走してみたいものだ。

参考:当ブログ岩手山麓三ツ石湿原へ

 
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満願!与野七福神

2023-02-05 | 七福神めぐり


与野七福神 埼玉県

2023年1月3日(火) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 11:35 与野本町駅--鈴谷大堂--圓福寺--天祖神社--御嶽社--円乗院--13:06そば処大むら(昼食)13:35--一山神社--氷川神社--14:10頃 北与野駅

昨年、一昨年とコロナ禍のため、1か所で七福神巡りができるところを探してお参りしていたけれども、それではどうもご利益が薄い感じがしていた。今年は山の神とともに3年ぶりに7か所を巡って参拝。ご利益ましましになるか!


左:与野本町駅西口を出てすぐの時計台 右:さいたまアートストリートのオブジェ

山の神と10:00過ぎに自宅を出発した。今日は久々の電車山行、ではなくまち歩きだ。新宿で埼京線に乗り換えて北上する。浦和・与野・大宮の位置関係がよくわからないままに電車に乗り、スマホで検索して目的地の与野が浦和・大宮の中間にあることを知る。

11:35与野本町駅に到着し、西口を出ると、時計台そして「彩の国さいたま芸術劇場」の案内板がある。さいたまアートストリートと名づけられた道を行くが、花壇ばかりでアートは少ない。


左:鈴谷大堂(すずやだいどう)の阿弥陀堂 右:阿弥陀堂内の毘沙門天

最初の鈴谷大堂の場所はわかりにくかった。手前に七福神とは無関係の鈴谷天神社がある。参拝の人が吸い込まれていくので、てっきりここが鈴谷大堂と思ったのだが、七福神の幟がなく、毘沙門天の標示もないので、間違いと気づく。Googleマップを見て、目的地はもっと先であることがわかり、なんとかたどりついた。

境内は参拝者で混んでいて、阿弥陀堂の前には列ができていた。毘沙門天は堂内の右手に鎮座していた。参拝を済ませ、ここで色紙1000円を買う。スタンプは1回100円。


左:やっと見つけた円福寺 右:山門横に布袋尊と七福神のマップ

円福寺は私のマップの見方がおざなりだったせいで、少し遠まわりしてたどりつくことになった。彩の国さいたま芸術劇場と山の神と私がいた場所の位置関係を見誤っていたため、新大宮バイパスをそれと気づかずに渡ろうとしていた。信号待ちをしているときに山の神が誤りに気づいて方向転換。その後難なく円福寺の標示を見つけた。


左:本堂の正面手前に布袋尊 右:釈迦堂の前にも布袋尊。背後には毘沙門天も

円福寺は布袋尊のお寺で、なぜか3体もいらした。布袋尊は弥勒菩薩の化身であり、笑顔を絶やすことはない。お姿を見るだけで気分も晴れる。


左:与野公園にある天祖神社 右:天祖神社の寿老人

円福寺から与野公園に出るまでの途上、住宅街の3ブロック先のどんづまりにそれらしき森が見えた。遠そうだが、歩いてみるとそうでもない。道路を横切り公園に入ると、公衆トイレ、左手には朱塗りの鳥居が見えた。天祖神社だ。

鳥居をくぐってまずは石造の大きな寿老人に参拝。


左:社殿内におわした寿老人 右:御嶽社の鳥居

次に社殿に参拝すると、小さな木彫りの寿老人が鎮座。なんとなく木彫りのほうがありがたさが増すような気がする。

いったん公園を出て御嶽社へ。間違いようのない「与野七福神」の大きな幟が出ている鳥居をくぐる。


左:御嶽社の弁財天 右:弁財天の掛け軸やレリーフも

すぐに石造の弁財天を見つけた。石像はすべて同じ作者によるものなのか、雰囲気やタッチが非常に似ていた。また石像の隣に建っている社務所には弁財天の掛け軸やカワイイ系のレリーフも展示されていた。


左:円乗院入口 右:仁王門と多宝塔

御嶽社からいったん交通量の多い本町通りに出て円乗院へ移動する。仁王門の外から偉容を誇る多宝塔が見えている。


多宝塔前に据えられた六牙白象(左)、六波羅蜜(右)

境内に入ると、多宝塔の前に何かを象徴しているような6本の牙を持つ象が2体据えられていた。それぞれ調べてみると、まず左の六牙白象は、「ろくげのびゃくぞう」と読み、釈迦の母、摩耶夫人がこの白象を夢にみたのち、釈迦を身ごもったことから釈迦の入胎を象徴する。普賢菩薩の乗り物ともいわれる。右の六波羅蜜は「ろくはらみつ」と読み、簡単にいえば6つの修行をして悟りを得ることを指す。その6つとは、 布施=施しをする、持戒= 戒律を守る、 忍辱(にんにく)=耐え忍ぶ、精進=努力する、 禅定=第三者の目で自己を見つめる、智慧=前述の5つを実践し得られる悟り、となる。しかし、それぞれの意味はわかったが、この2体がセットで置かれているのはなぜなのか、よくわからなかった。


左:境内の大黒天 右:本堂には「大黒天」と提灯が下がっている

六牙白象の隣にはお目当ての大黒天が鎮座していた。お参りして本堂に行くと、大黒天と提灯が下がっている。もしや堂内に大黒天があるのかと思わせるが、実際にはないようだ。本尊として五大明王が収められている。


左:昼食はそば処大むら 右:一山神社参道

円乗院を後にするころには、もう13:00になろうとしていた。山の神とどこか営業しているお店があったら入ろうといっていたのだが、円乗院前の店はお休みだった。一山神社に向けてしばらく歩いていくと、のれんが出ている店を見つけた。そこはそば処大むらだった。看板ねこが来店者をなごませる大衆食堂として有名な店だった(ペタコンちゃんねる@oomurapetakon)。山の神とかつ丼を食べている間、猫たちは我が物顔で店内を歩き、やがて横たわると客になでられるがまま、かたや棚の上にのぼって丸まって寝ていた。

腹がくちて、山の神と店の反対側にある一山神社へ向かった。奥へ奥へと続く細い神社の参道を歩く。


左:一山神社社殿 右:社殿内に恵比須様(中央の釣り竿を持った像)

社殿の中を覗くと、右手に小さな恵比須様の像がちょこんと置かれていた。漠然と参拝すると見逃してしまうほど目立たない佇まいだ。


左:一山神社のクスノキの巨木 右:氷川神社の鳥居

参道を戻る際にクスノキの巨木を見上げ、こんなに狭いところでもこれだけ大きく育つのだと感心しつつ、最後の氷川神社へと向かった。

車がびゅんびゅん走っている本町通りをまっすぐ進むと氷川神社だ。鳥居を次々にくぐっていくと、なにやら石柱が見えた。近づいていくと、そこに彫られた「百度石」の文字が目に入る。ここはお百度参りの神社なのだ。なにか大変な念が込められているようで恐ろしさを感じる。


左:百度石があって、ちょっと引く 右:社殿内に福禄寿

社殿におわした福禄寿にお参りし、山の神が係の人にスタンプを押してもらう。「満願、おめでとうございます」と言われる。七福神をすべて巡れば、満願なのか。ちと違うような気がするけれど、まあ、ご利益ましましな感じでよしとしよう。

ああ、疲れたなと山の神と言いつのりながら、家路につく。与野本町駅には戻らず、北与野駅に出て、喫茶店にも寄らず、わき目もふらず帰宅した。

蛇足 今回の記録は山の神も私も写真に写っていないようにみえるけれども、1点写っている写真がある。どれでしょう?
〔解答〕
円乗院入口の写真。カーブミラー2つに写り込んでいる。

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伊香保の石段を往復

2023-01-29 | まち歩き

2022年5月7日(土) 晴れ 

メンバー 山の神と私

前泊は伊香保温泉和心の宿大森。チェックアウトして車を市営駐車場に移動し、伊香保温泉名物の365段の石段を下からあがって行くべく、最下部へと向かった。

石段の最下部は思ったよりも広かった。上っていくと、ドラマや映画で見たように狭い石段になる。定番の温泉まんじゅう屋や最近オープンしたようなおしゃれな雑貨屋なども軒を連ねている。人が少なければ、風情も雰囲気もあっていいのだろうが、狭いところに大勢の人がひしめきあっていると、そんなものはいとも簡単に吹き飛んでしまう。

ネットの記事によれば、もともと伊香保温泉はひなびた温泉街だったよし。個人的には、そのままでよかったんではないかと思ってしまうが、往年の女優、高峰秀子が主演した映画『浮雲』の公開1955年を機に観光客が大挙押しかけてくるようになったということだ。名匠成瀬己喜男監督による映画だから、名画座で何度も公開され、さらにはビデオになり、テレビでも放送されたはずだ。さらには時代が下って、インバウンドで多くの外国人観光客も来るようになった。

しかしそこへこのコロナ禍。客足は途絶え、観光の灯が消えかかるほどに。最近はこの事態を憂えた地元渋川市や観光協会が観光客の呼び戻しに注力し知恵をしぼっているようだ。2023年1月14日のプレバトでは、スプレーアートをこの温泉街に展示する企画を放送していて、活動が少し実ったのかと感じる。伊香保という名前を覚えてもらう、思い出してもらう、さらには訪れる選択肢にいれてもらう効果が期待されるだろう。

それはさておき、山の神と私は最後の急な石段にたどりついた。上り切れば、伊香保神社の境内となる。さくさくと上がっていく山の神(パープルの服)を撮影しながら、私も後から息をはずませなながらついていく。鳥居を2本くぐると到着だ。

境内は予想外にこぢんまりとしていて、その割には観光客がそこそこいてにぎわっていた。お参りしている人や記念撮影している人、、、思い思いだが、総じて引き返し始めるのは早い。


復路は、お土産屋を覗いてみたものの、とくにほしいものはない(山の神は目をキラキラさせていたが)。喫茶店も覗くが観光地価格で目が飛び出るほど高い。ここで高いお金を払って休憩するよりも、早々に帰路についたほうが時間節約になり渋滞にも巻き込まれなくなるかもと結論し、午前中のうちに山の神とともに伊香保を後にしたのだった。

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榛名湖畔散策

2023-01-22 | 山行~上州

掃部ヶ岳のつづき。

2022年5月6日(金)掃部ヶ岳から下山し14:00過ぎに駐車場に戻ったのだが、宿に移動するにはちょっと早すぎるなと山の神と相談し、榛名湖畔を散策しようとなった。

決め手は、すでに掃部ヶ岳へ登る前に見つけていたスイセンの花壇。あれを見ずに通過する手はない。車にザックを置いて身軽になると、山の神と湖畔に向けて歩き始めた。まず湖畔への道の入口辺りにあったスイセンの花の放列。スイセンの花はさらに道の奥へとつづき、これが壮観だった。

スイセンの花壇を越えて車道を歩いていくと、榛名湖の向こうに榛名富士がでーんとお出ましとなる。存在感は十分だ。

湖畔の道路の街灯はおしゃれで、装飾のモチーフはマダムを運ぶ人力車夫なのか、なんともメルヘンチックだ。巨大スワンボートも接岸されているのを発見。ちょっとした榛名湖畔探検に満足しつつ、山の神と14:30頃駐車場に戻り、本日の宿、伊香保温泉和心の宿大森へと向かった。

カーナビに宿の名前を入力し、ナビの指示どおりに伊香保総合支所前の交差点で右折すると、八千代坂というすごい急斜度の坂道を上がる羽目になった。雪でも降ろうものなら、たちまちスリップして立ち往生しそうなほどの急坂だ。さらに驚いたことには、泊まる宿は平らな場所ではなく、斜度のある中途半端な場所にあって、しかも駐車場は狭いらしく、係の方にキーを渡すことになる。なんとも不安になるロケーションだった。

伊香保観光につづく

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榛名湖外縁の山、掃部ヶ岳へ

2022-12-30 | 山行~上州

掃部ヶ岳 標高 1449m 群馬県

2022年5月6日(金) うす曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:05高崎市林間学校榛名湖荘(旧国民宿舎榛名荘)前の無料駐車場9:25--9:55硯岩--10:00硯岩分岐10:15--10:57掃部ヶ岳山頂11:08--地蔵岩--11:38西峰(昼食)12:26--12:52掃部ヶ岳13:01--13:35硯岩分岐13:45--14:03駐車場

今回は3月につづく腰痛リハビリトレッキング第2回目。だいぶコースタイム短めで計画を立てたのだが、、、

前泊はコンフォートホテル前橋。前もって買っておいたコンビニパンで山の神と朝食をとり、7:30頃ホテルをチェックアウトした。前橋の市街地を抜けていくが、GWとはいえ、はざまの平日であって通勤の車が結構走っている。目指すは旧国民宿舎榛名荘、いまは高崎市林間学校榛名荘前の無料駐車場だ。


左:高崎市林間学校榛名湖荘前駐車場(奥にトイレ) 右:榛名湖荘看板の奥に登り口

九十九折の道を上がり榛名湖へ。9:05停められないかもしれないなと思っていた目指す駐車場に、まったく問題なく車を置けた。久々の山行かつコースタイムが短いことも影響してか、準備にもたつき、山の神と駐車場を後にしたのは9:25になっていた。

榛名湖ビューの国民宿舎「榛名荘」は一度泊まってみたかったのだが、泊まらないうちに看板が変わってしまったのは残念だ。それはさておき、榛名湖荘看板の奥に掃部ヶ岳の登山口がある。さっそく後からきた若者2人組に道を譲る。


左:笹原の道を行く 右:掃部ヶ岳・硯岩分岐

登山道に入り笹原の新緑の道を上がっていく。あっという間に硯岩の分岐に出て高度を稼ぐと、硯岩そして榛名湖が眼下に水をたたえていた。せっかくの絶景なのに、山の神は岩場はパスといって、手前で足を止めてしまった。


高度感抜群の硯岩


硯岩から榛名湖を望む。真正面に榛名富士


左:山の神は硯岩手前で登高終了 右:硯岩分岐から再び笹原の道になる

もったいない。でも硯岩手前でも十分に景色は楽しめるか。

私は山の神のところまで引き返し、先ほどの分岐まで戻って休憩することにした。分岐で長めの休憩をとり、10:15歩き始めると、再び笹原の道になった。


左:オオカメノキ 右:階段の道になる

オオカメノキの白い花を愛でつつ進むと、やがて延々と上へとのびる階段が現れる。山の神と黙々と登って10:57やっと掃部ヶ岳山頂に着いた(冒頭写真)。意外にも登山者は1人しかおらず、静かな山頂だった。


掃部ヶ岳山頂からの眺望。榛名神社らしき建物が見えている

肝心の山頂からの展望は、榛名湖の反対側が少し開けているのみで地味だった。あのすり鉢状の山は何だろうと私がつぶいやいていると、横から山の神が遠くに見える建物を指さして榛名神社じゃないかしらと、ずっと右奥(上の写真)のほうを見ていた。


左:西峰へ向けて下り始める 右:道標にうっすらと「地蔵岩」の文字

11:08西峰へ向かうために山の神と腰を上げた。笹原を下っていく。どんどん下っていく。突然山の神が、ずっと下りでおかしいとのたまい立ち止まって地図を広げた。間違いないよと私。試しにその場所からさらに下っていくと、地蔵岩と書かれた道標が出てきた。振り返ると藪の向こうに地蔵岩が見えた。ほらね、と私。しかしここまで歩いてまだ地蔵岩ということは、西峰はまだまだ遠いということに気づいてガックリくる。

 地蔵岩

えいやと最後にひと登りして西峰。結局30分もかけての西峰行きとなった。


左:西峰到着 右:西峰から榛名湖

西峰には登山者は皆無で、山の神と山頂を独占してお昼にした。山頂は気持ちのいい風が吹き抜けていく。

12:26西峰を後にし山の神と笹原を戻り始めるが、誰とも出会わない。12:52掃部ヶ岳に戻り小休止。座っていると温かい風と冷たい風が交互に吹いて季節の変わり目を感じる。


左:掃部ヶ岳を振り返る 右:稜線の向こうに杏(すもん)ヶ岳

掃部ヶ岳を下り始めると、登ってくる単独者や夫婦とすれ違った。この時間ということは、縦走してきたのか。

硯岩分岐あたりで私の右足のかかとが悲鳴を上げ、最後の休憩とした。右足の腱がいかれているのか、かかとに来るという新たな事態。まだまだ腰痛リハビリ山行の道のりは遠そうだ。山の神と駐車場に戻ったのはすでに14時を回っていた。

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講演「関野吉晴が地球を這って見たこと、考えたこと」

2022-11-26 | イベント

探検家関野吉晴さんの講演会が調布のたづくりで催された。たまたま関野さんのフェイスブックでこの講演会のことを知り即座に申し込んだのだが、すでに満席でキャンセル待ちとなっていた。ほとんどあきらめていたこともあり完全に忘れていたところ、先週会社帰りに主催側からキャンセルが出ていますと電話をもらった。思わず小躍り。

講演は、関野氏の半生をたどるように20代、30代のころのアマゾンの南米探検に始まり、人類のアフリカから南米への移動を逆にたどって人類のルーツを探ったグレートジャーニー、そして日本人のルーツをたどるべく南方ルートの解明、そして探検の旅で出会った人たちの生活にも及んだ。コンパクトにまとめた映像も織り込んでのトークは旅の臨場感を十分に伝えるものだった。

興味深い話はいくつもあった。たとえば極北の民は、狩猟に出るときにもっていく道具4点セットがあるのだという。それは家を出て何か月も過ごせるほどのすぐれもの。ナイフ、マッチ、釣り道具、そして意外なことに縫い針だそうだ。縫い針は極寒の地で暮らすためには絶対に欠かせないもので、動物の革をかぶったり羽織ったりしても隙間があれば、そこから体温を奪われて凍死してしまうのだが、縫って体に密着させればそれを防げるのだ。なるほどと納得し感心した。ちなみに縫い針の発明は2,3万年前であり、それ以来人類は極北の地に住めるようになったとされている。

アマゾン川流域のある集落の話も秀逸だった。その集落では皆が協力しあって生きている。捕った獲物は皆で分配するから、多くの数をカウントする必要がない。ということで数字を表す言葉は1、2、3で終わり。また家族内でお父さん、息子と呼べば、ことが足りてしまうから、一人ひとりが名前をもつ必要がない。そこで関野さんがある家族に名前を付けてあげたというのは笑った。一人は五番目のお子さんだから五郎を連想して、「ゴロゴロ」にしたとか。他にも面白いエピソードが次から次へと飛び出して、会場はうなづいたり、笑いに包まれたりで話に引き込まれていった。

講演でもっとも印象的だったのは、ポール・ゴーギャンの言葉を引いたことだ。
「我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?」
このゴーギャンの疑問が関野氏のグレートジャーニーのインセンティブにもなったようだ。

最後に披露していたのが、現在進行中の活動で、コロナ禍で中断していた『うんこと死体の復権』と題する映画の撮影。最近はやりの持続可能な社会、自然の循環を意識した内容で、排泄物や死体が生物によって分解され、土に還り、自然に戻っていく、その姿を描いたものになるらしい。

こうしたテーマを選ぶのは、関野さんらしい。関野さんは海を糧に暮らす人びと、山を糧に暮らす人びと、川を糧に暮らす人びと……、その土地土地に根差した素朴な生き方をしている人に共感を示している。自然の循環の中で生活することがいかにすばらしいことかを大胆に表現しようとしている。映画は完成したらポレポレ東中野ほかで上映されるとのこと。関野さんを応援がてら公開されたら、観に行ってみるかな。

講演:2022年11月26日(土)13:30~15:30

 
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日本酒と干物のアンコールそして五一わいん~ふるさと納税返礼品

2022-11-23 | 日記

去年に引き続き、今年も干物と日本酒が我が家にやって来た。そう、ふるさと納税の返礼品だ。

干物は西伊豆町から、金目鯛干物2枚、えぼ鯛干物5枚、さんまみりん5枚、あじ干物5枚、あじみりん干し5枚が届いた。山の神が速攻で冷蔵庫に入れていて、私が会社から帰宅するとすでに箱から取り出されていた。さっそく食してみたのだが、あまり売れていないと思われるものは塩加減がきつく今いちで、市場に多く出回っていると思われるものは身が柔らかくおいしかった。売れ筋でないものは日持ちするように濃い味付けをするということか。フルーツ系もそうだけれども、干物も当たりはずれがありそうだ。返礼品は市場に出したあとの残り物にならざるをえないから仕方ないのだろうけど。


冷蔵庫に納められた干物

日本酒は去年に引き続き山形県から。菊勇の「三十六人衆」純米吟醸、初孫の「砂潟(さかた)」純米大吟醸、いずれも一升瓶でお越しくださった。砂潟は正月に開けるとして、先に三十六人衆を鍋料理と一緒にいただくとしよう。

そして今年はワインも選んでみた。去年もらったハムやソーセージは近所のスーパーでも買えるしなとなって、代わりにワイン。国内のワインといえば、最近注目されていて成長著しいといわれている塩尻ワインがまず頭に浮かんだ。代表格五一わいんを検索してみたら、長野県が返礼品として挙げていた。

これから年末にかけての楽しみが増えて、とりあえずめでたし、めでたし。

 
 
 
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オミクロン対応ワクチンを接種(4回目)

2022-10-23 | 日記


※個人情報は消しました

10月21日(金)午後、会社を休んで新型コロナウィルスの4回目のワクチン(オミクロン型対応)接種に行った。1~3回目の会場は広く大人数に対応できるものだったが、今回は会場の規模は小さく、接種する人もだいぶ少なかった。

オミクロン株がコロナの主流になり、重症化するケースが減って、また経済と両立しようというwithコロナ政策になったこともあって、世間一般にはコロナを脅威と感じる気分は半減している。そんなこんなで当然ながら4回目を受ける人は少ないことが予想される。地元自治体から案内が来て、どうしようかと逡巡している人も多いと思う。

私の場合は、最初から接種するつもりであったが、いつでもいいかという気分だった。背中を押されたのは、先日会った人が介護ヘルパーをしていて4回目は必須だから早々に接種したと聞いたこと。体力に劣る高齢者に接する仕事だからまる必なのだ。ひるがえって私の場合はと考えたとき、仕事が年末に向けて徐々に忙しくなるだろうなという予感があり、早々に接種したようがよさそうだと、すぐに予約を入れたのだった。

1~3回目まではモデルナ製を接種し翌日に熱が出て、ほぼ何もできなかったのだが、今回はファイザー製。ファイザー製だと何ともない人が結構な割合でいるとのことだが、私の場合は、体の節々が痛んで、ここのところ悩まされていた腰痛も復活して、ほとんど動けない状態になってしまった。熱もあるんじゃないかと3回も体温を測ったけれども、これは杞憂で平熱だった。

そして今日、昨日腰痛があったことなどは嘘のように、なんともなし。奥多摩方面へトレッキングに行ったのだった(後日報告)。

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