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欧州気まま旅+トキドキ国内旅行 The Travel of Europe

ブルネレツキ敗北 ジョバンニ洗礼堂 フィレンツエ 

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます。

 
★北側の扉のコンクールにブルネレツキ敗北 ジョバンニ洗礼堂 フィレンツエ 


 1401年15世紀の初めのフィレンツエ、『ジョバンニ洗礼堂』の北側の新しい扉をめぐって、暑い戦いがくり広げられていました。

 この洗礼堂の北側の新しい扉を制作するにあたって、国はコンペティションを開催しました、たくさんの候補から最終的に選ばれたのは『ロレンツオ・ギルベルティ』と『フイリッポ・ブルネレスキ』いずれも素晴らしい作品をを引っ提げての最終戦。

 『ギルベルティ』はウマジモ(人文主義)の教養と、古典美術の綿密な研究を十分に加味した作品、一方『ブルネレツキ』はおきて破りの、斬新さに、なんとこの青銅製の浮彫の中に遠近法を持ち込むという両者互いに、異なるものによっての勝負。

 『ギルベルティ』の方が若干有利、とその時、『ブルネレツキ』は眦を決して賞を辞退。

 この結果この新しい扉の聖堂の浮彫28枚は作成者は『ギルベルティ』に決まったのでした。




 この画像は、ギルベルティとブルネレスキが争ったコンペティションの北門ではありません。

 後世有名になり、今も多くの観光客の鑑賞の対象となるのは、この東の扉です。




 それは『ミケランジェロ』がこの扉を、『天国への門』と称して絶賛しました。

 それによってこの扉のバリューが上がったわけですね。




 そして、この画像にドアノブのような丸い人の顔の飾りがついていますがこの左側が作者の、『ギベルティ』です。




 もしこの戦いに、『ブルネレツキ』が勝利していれば、彼は彫刻家としての道を歩んだでしょうから、『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の『クーポラ』は存在しなかったかもしれません。

 いずれにせよ、このフィレンツェのシンボルである『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の三つの建物の二つまでが違うものになった可能性があったんですね。 面白いです。

 そして、歴史の妙は、この青銅の浮彫には遠近法が取り入れられています、この浮き彫り28枚を完成させるのに、『ギルベルティ』は30年近くかかりました、そしてその年月は「遠近法」をごく普通の手法として、世の中に受け入れられることになったんです。

 これだから旅はやめられませんね。

 




 

 

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コメント一覧

at9071
Taga-chan
イタリア60回はすごいですね。そうなれば隅から隅までご存じと思います、私の文章で間違っているようなところがあればご指摘ください、よろしくお願いたします。
at9071
wakuwakuka-san
コメントありがとうございます。
イタリアの彫刻はすごいですね、さすが古代ローマ時代からの伝統があるので歴史的なすごさを感じます。
それが至る所にたくさん置いてあるのも魅力です。
Taga-chan
今晩は、ブログランキングから来ました。インターネットビジネスを始めたばかりの還暦を過ぎたおっさんです。イタリアは仕事で60回近く行きました。友人が多く、皆、コロナによるロックアウトが解ける間、それぞれの家で頑張っていたようです。奥さんが昔他界している友人はクッキングロボットなるものを買ったそうです。とにかく、イタリアからコロナがなくなるまで続けられるとのことなので、頑張って下さい。応援しています。
wakuwakuka-san
at9071様
こんにちは~
素晴らしい彫刻のレリーフに息をのみました。
作品の背景や人物像など、知ればそれだけ興味を持ち、また知りたくなるという良い意味での連鎖が生まれそうです。どちらかといえば絵画が好きですが、ほんの少し木彫をしているとこのレリーフの凄さが目に、こころに、体に焼き付く感じがします。いつか本物をみたいですね~
記事のUPありがとうございました。
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