アユタヤ観光前に知りたい王朝の歴史 仏像に頭がない理由

タイのバンコク市内から列車で1時間半ほどの所に、美しい緑とレンガに囲まれ400年に渡りインドシナ半島の中心のアユタヤ王朝として栄え、ビルマに破壊された悲惨な歴史を持つ「アユタヤ」の街並が有ります。アユタヤの街は四方を運河に囲まれた島とその外側に分かれています。

アユタヤ遺跡を巡る観光ガイド

ワット・マハータートの木の根に囲まれた仏像の頭、遺跡めぐり、象に乗るエレファントライドなど、アユタヤ観光で行きたいスポットを紹介しています。

アユタヤはビルマ(コンバウン朝)に攻められて1767年に崩落

アユタヤは1351年にウートン王によって建都されてから417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。

1758年にアユタヤ王朝のボーロマコート王が死去すると、2人の王子が位争いを行い、アユタヤは不安定となり、王朝の求心力が急降下してしまいました。その頃、勢力を強めていたのが1752年にビルマもコンバウン朝でした。ビルマのコンバウン朝は、内乱を起こして弱っていたアユタヤーを一気に攻めて、1767年4月にアユタヤーは陥落してしまいました。アユタヤは王位も剥奪され、アユタヤ王朝は完全に崩壊してしまいました。

世界遺産アユタヤの仏像に頭がない理由

アユタヤのワット・マハータート 頭部がない仏像

ビルマのコンバウン朝は、内乱を起こして弱っていたアユタヤーを一気に攻めて、1767年4月にアユタヤーは陥落しました。アユタヤの仏像に頭がない理由は、ビルマ軍(コンバウン朝の軍隊)が制圧した証として仏像の頭を破壊したためです。

アユタヤ崩落後のタイの歴史

アユタヤ王朝の崩壊から約半年後に、アユタヤ王朝の将軍だったタークシンがビルマ軍を撃退して、アユタヤ王朝はビルマから復帰します。破壊されてしまったアユタヤーを捨てて、バンコク西岸のトンブリーに新都を建設。1768年にタークシンがトンブリー王に即位しました。しかし、クーデターに合いトンブリー王朝は15年で終わり、王を引き継いだのはタークシン配下のチャオプラヤー・チャクリー(ラーマ1世)でした。19世紀のラーマ4世の時、当時大国で圧巻されてイギリスと不平等条約であるバウリング条約を結んでしまい、そのままヨーロッパの国々と条約を結び開国。第一次世界大戦・第二次世界大戦と、戦争での混乱の中で上手に外交し、敗戦国ではない立場となっています。

アユタヤ王朝のワット・プラ・シーサンぺット

アユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院のワット・プラ・シーサンぺットです。1448年に建立され以降、ここで宮中儀式が執り行われてきたそうです。ワット・プラ・シーサンぺットのシンボルとされている3基の仏塔はアユタヤ王朝時代のボーロマトライローカナート王とその子供の遺骨が、それぞれに納められていたと言われています。その後に本堂が建立され高さ16m、重さ171㎏の純金に覆われた立仏像も置かれました。その立仏像の名前が寺院の名前にもなったワット・プラ・シーサンぺットだそうです。1767年にビルマにより破壊されましたが後に修復され今の姿に至るようです。

ワット・チャイ・ワタナラーム

アユタヤで最も美しい寺院の一つと言われているワット・チャイ・ワタナラーム。夕暮れ時が素晴らしいスポットとしても知られています。1630年、当時のプラサートトーン王が亡き母を偲んで建設した寺院とされていますが、建築様式がカンボジアのアンコール・ワットに似ていることから、カンボジアとの戦の勝利記念に建設されたとの設もあるそうです。アユタヤの寺院の中では建設期が比較的新しい方だといえますが、このワット・チャイ・ワタナラームも他の寺院と同時期に破壊され、1987年に改修されたようです。

ワット・マハタートの菩提樹に包まれた仏頭

ワット・マハータートの木の根に囲まれた仏像の頭

数々の寺院が破壊という悲しい歴史を物語っているアユタヤで、このワット・マハタートの菩提樹に包まれた仏頭はあまりにも有名ですね。ワット・マハタートにある無数の仏像の中で、頭のある仏像はたった2体だそうです。多くの仏頭は破壊後に、勝利の記念品として持ち帰られたりしたようです。この頭のある2体の仏像も、後に修復されて元の姿になっている事が見て取れるようです。アユユタヤの、崩れ落ちたレンガの壁や土台のみになった礼拝堂、頭部が失われた仏像群を歴史と共に世界に知らしめたワット・マハタートです。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃像

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃像

アユタヤを建都した初代ウートン王がスリランカへ修行に出た僧達のため、1357年に建てたワット・ヤイ・チャイ・モンコン。タイの各地にある涅槃像の中で、このアユタヤのワット・ヤイ・チャイ・モンコンの像はそれ程大きくはないそうです。元々は金箔で施されていたこの涅槃像も、破壊時期に剥がされてしまったそうです。通常は頭が北で顔が西向きとされている寝姿が、ここでは何故か逆で頭が南、顔は東向きになっているようです。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔

アユタヤの街のどこからでも見えるといわれるワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔は、チェディと呼ばれるスリランカ式の塔です。高さは72m有るといわれ王と兵隊の勇気と犠牲のシンボルとなってイルそうです。このチェディを取り囲むように、100体は有ろう仏像が鎮座しています。アユタヤの街を一望するように建てられた、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンのこの仏塔チェディは、歴史の流れも望見していたのでしょうか。