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【消えたサーキット】かつて存在した日本のサーキット4選

日本には多くのサーキットが存在しますが、かつて全日本GT選手権(現スーパーGT)やフォーミュラニッポン(現スーパーフォーミュラ)などを開催し、多くのモータースポーツファンで賑わいをみせましたが、時代とともに姿を消したサーキットがありました。

そこで今回は、かつて大規模イベントを開催したり総延長3,000m級の大規模コースで、現存していないサーキットを4つ紹介します。

仙台ハイランドレースウェイ

開業閉鎖距離所在地主なイベント
1986年2014年4,063m宮城県仙台市全日本GT選手権
全日本F3
スーパー耐久

仙台ハイランドレースウェイは1986年のオープン以来、スポーツランドSUGOとともに東北モータースポーツの中心として多くのレースを開催してきました。

コースの特徴は山岳コースでアップダウンが激しく、また路面のミューも低かったため、鈴鹿サーキットや富士スピードウェイとは違ったレース展開になることも多く、ファンとしては面白いサーキットでした。

記憶に残っているのがWSPC(現在のWECに相当)の開催発表です。

1987年に開催を予定しており、FIAやJAFの査察を受けてコース改修を行いましたが基準を満たすことができず、1週間前に開催を諦めました。

1990年代の全日本GT選手権をはじめ、1987年から2007年の全日本F3やスーパー耐久など大きなイベントも開催されていましたが、2011年の東日本大震災や2012年の爆弾低気圧襲来で施設が損害を受け、以来大規模イベントの開催は行われなくなりました。

その結果2014年9月にサーキットの営業を終了しました。

同じ宮城県に、仙台ハイランドレースウェイとスポーツランドSUGOという大規模なサーキットが二つも存在したため、イベントが食い合いになり営業面で厳しかったのでは、と推測します。

MINEサーキット

開業閉鎖距離所在地主なイベント
1972年2006年3,330m
(1991年から)
山口県美祢市フォーミュラニッポン
全日本F3
スーパー耐久

MINEサーキットは、1972年に日本で5番目に古いサーキットとして厚保サーキットという名称で開業しました。

1976年に1周の距離を2,815mに伸ばした際に西日本サーキットと改称します。

その後1991年に大規模な改修を行いMINEサーキットとふたたび名称が変更され、その後は日本のトップフォーミュラであるフォーミュラニッポンも開催されるようになり、九州や中国地方のモータースポーツのメッカになりました。

コースは高速コーナーがなく、いわゆるストップアンドゴーのサーキットだったため抜きつ抜かれつのバトルはあまり見ることができませんでした。

2002年に運営会社が倒産し、タカラ(現タカラトミー)の子会社に譲渡されますが、2006年に閉鎖を発表し、その後マツダが取得。

マツダはMINEサーキットをテストコースとして運用することを発表したため、2006年2月を以って営業を終了しました。

私的にはMINEサーキット(作中では当時の名称西日本サーキット)といえば漫画『F』で主人公である赤木軍馬のライバルだった山口音也を思い出します。

音也は西日本サーキット(=MINEサーキット)のみスポット参戦しており、地元の理を活かして軍馬を追いつめていました。

船橋サーキット

開業閉鎖距離所在地主なイベント
1965年1967年3,100m千葉県船橋市全日本自動車クラブ選手権

時代は大きくさかのぼります。

千葉県船橋市、東京湾のほとりに船橋サーキットコース距離3,100mを誇る大規模なサーキットが存在しました。

設計はF1で優勝した実績があるピエロ・タルッフィ氏で、後述の多摩川スピードウェイ、鈴鹿サーキットに次いで日本で3番目のサーキットとして1965年に開業しました。

しかし大規模なレースの誘致が実現できずに経営が悪化。

その頃、隣接する船橋競馬場に併設されていた船橋オートレース場が移転を迫られており、船橋サーキットが受け入れたため、開業からわずか2年で閉鎖されました。

2016年まで営業された船橋オートレース場の南側グランドスタンドは、改築されるまで船橋サーキットのスタンドを使用していました。

多摩川スピードウェイ

開業閉鎖距離所在地主なイベント
1936年1950年代1,200m神奈川県川崎市全日本自動車競争大会

日本はもとよりアジア初のパーマネントサーキットとして開業したのが多摩川スピードウェイでした。

多摩川の河川敷に存在した多摩川スピードウェイは、1周1,200m、コース幅20mのオーバルで多摩川の土手を利用したメインスタンドをはじめコース全体での収容人数は3万人だったと記録されています。

1936年に日本初の本格的自動車レース『全日本自動車競争大会』が開催され、ベントレーやフォード、ブガッティとともに日産もワークスで参戦しました。

全日本自動車競争大会はその後も開催されましたが、日中戦争が激化したために、1938年の第4回を最後に行われなくなります。

その後は草レースなどが開催されていましたが、次第に利用者が減り1950年代はじめに閉鎖され、日本のパーマネントサーキットは1962年の鈴鹿サーキット開業まで待つことになるのでした。

多摩川スピードウェイメインスタンド跡 Wikipediaより引用(パブリック・ドメイン)

現在は野球用のグラウンドになっていますが、土手には当時の観客席や階段が残されており、2016年には開設80周年を記念するプレートが設置されました。

最後に

今回は日本モータースポーツ史における重要な存在で、現在は存在していないサーキットを紹介してみました。

私としては仙台ハイランドレースウェイやMINEサーキットなど、近年の日本モータースポーツを支えたサーキットが姿を消してしまったことは非常に残念であり、このような悲しい出来事が今後起こってもらいたくないと切に願っています。

そのために私たちモータースポーツファンは、できるだけ多くサーキットで観戦し、モータースポーツを盛り上げていくことが重要だと思います。

そしていつの日か、1990年代のモータースポーツブームが再来してくれたら、なんてことを夢に見ながら、私としても微力ながらブログにてモータースポーツの素晴らしさを発信していきたいと思います。

日本のサーキットの記事

日本のFIA公認サーキットを紹介する記事も書いていますので、よかったらご一緒にご覧ください!

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。