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伝説のF1古舘語録 妖怪通せんぼジジイ!女好きチロリアン!F1駅前留学!

私たちF1ブーム世代は彼の実況によりF1を知り魅了されました。

・・・古舘伊知郎。

1989年からフジテレビのF1中継を担当し、日本中にF1ブームを巻き起こした火付け役です。

当時はまだ死と隣り合ったF1にあって、ドライバーをヒーローとヒールに仕立て、究極の状況で戦うドロドロとした人間関係を、時には誇張して、グランプリを映画のように実況した喋り口は『古舘実況』と言われ、一種独特の世界観がありました。

古舘伊知郎はドライバーのあだ名の付け方が独特で、

「よく特徴を捉えているなあ」

と感心させられるものから、

「完全にバカにしてんだろ!」

と呆れてしまうものまで様々です。

そこで今回は、その伝説の古舘語録を少しだけ思い出してみましょう。

あなたはいくつ覚えていますか?

※今回はかなりくだけた内容のため、ドライバーの名前は敬称を略させていただきます。

『音速の貴公子』アイルトン・セナ

他にも『生まれついてのポールシッター』『白昼の流れ星』など他のドライバーと違いカッコいいものばかり。

古舘さんはセナの大ファンだったので、中継はセナ中心で彼をヒーローと見立て、彼のライバルをヒールとして実況していましたね。

『ターミネーター』ミハエル・シューマッハ

F1ブーム全盛期に登場した若武者シューマッハ。

ベテランドライバーがレース後に疲れ果てているのを尻目に、全く疲れを見せないシューマッハを見て名付けたのでしょう。

他にもターミネーター役のシュワちゃんのCMから『人間ユンケル、走るリポビタンD』やメルセデスのバックアップから『背後霊はメルセデス』なんてものがありました。

『妖怪通せんぼジジイ』ルネ・アルヌー

出た!超有名フレーズ!

でもアルヌーさんはフェラーリにも所属していたほどのドライバーなんですよね。

古舘さんがF1中継していた頃は中堅のリジェなどに所属して、周回遅れながらセナをブロックしていた印象があることから嫌いだったのでしょう。

でも酷すぎるでしょ!本人が聞いたら激怒するよ!?

『サテライトクルージング走法』ジャン・アレジ

1991年、当時出始めのパイオニアのカーナビゲーションのCMに出演し、そのフレーズから。

他にもそのCMのフレーズから『道は星に聞け走法』なんてのもありました。

よくF1中継のCMでも流れていましたよね。

『犬も歩けばチェザリスに当たる』アンドレア・デ・チェザリス

他にも『サーキットの通り魔』『スピードのセクハラ男』が有名で、頻繁に誰かと絡んでクラッシュをしていたことから命名されました。

とにかくクラッシュの多いドライバーで、毎年のようにチームを転々としていて、所属したチームは12チームにも及びました。

『振り向けばブーツェン』ティエリー・ブーツェン

他には『忘れた頃のブーツェン』『優しき大木』など。

大物ドライバーがリタイヤした後、気が付けばブーツェンが上位を走っていたことから命名されました。

2019年の鈴鹿サウンドオブエンジンにゲストとして招かれていましたが、トークショーでは今だに優等生発言で『優しき大木』そのものでした。

『F1界の村田兆治』リカルド・パトレーゼ

当時のF1出走回数記録を更新していたことから命名されました。

他にも『二百戦錬磨』『史上最強のセカンドドライバー』など。

晩年はナイジェル・マンセルのセカンドドライバーとして、最強のウィリアムズルノーで活躍しました。

他にも上記のブーツェンと並走することが多かったことから、『F1界のWink』『ランデブー走行』などと呼ばれていました。

『プロフェッサー』アラン・プロスト

これは厳密には古舘語録ではなく、F1界でそう呼ばれていましたが、ホンダのエンジニアは、「一番ギャップを感じたあだ名」だったとかで、「セナの方がよっぽどプロフェッサーでプロストは完全に経験と勘で乗っていた」と言っていました。

その他コーナーで全く首を傾けないドライビングスタイルから、『フランケンシュタイン型走法』と呼ばれていました。

『人間ドーベルマン』ナイジェル・マンセル

その他『暴れん坊将軍』『荒法師』『ライオンハート』『オレを誰だと思っているんだ走法』『雄叫びヒットマン』など数知れず。

ムチャクチャ自分勝手でどんなマシンでもねじ伏せて速く走るマンセルが私は大好きでした。

こんな破天荒なドライバーは今後現れることはないでしょう。

『女好きチロリアン』ゲルハルト・ベルガー

他にも『私生活のワールドチャンピオン』『F1界のエロティカ・セブン』など。

当時のベルガーはプレイボーイとして有名でしたよね。

あとはオーストリア出身から『第二のニキ・ラウダ』などとも呼ばれていました。

トロロッソの共同オーナーを経て、現在はDTMの代表という名誉ある職に着いていますが、若い頃はとーても遊び人でした!

『フライングドクター』ジョナサン・パーマー

F1界では珍しい医師免許を持ったドライバー。

息子のジョリオン・パーマーも2016年と2017年にルノーに所属していた元F1ドライバーでしたね。

『人間ビッグマック』マイケル・アンドレッティ

インディチャンピオンとして1993年に鳴り物入りでセナのチームメイトとしてマクラーレンに加入し、1年も経たずにそそくさと元の鞘に帰っていた、アメリカの超大物ドライバー。

あだ名はただ単純にアメリカ育ちということから。

『北欧の貴公子』ミカ・ハッキネン

若い頃のハッキネンは本当にカッコよく、まさに『北欧の貴公子』でしたね。

他にも『男セーラームーン』『走る一人ウィーン少年合唱団』など。

ただ晩年表彰台で片膝をついてのダブルオッケーはマジでダサかった!

『F1住所不定男』ネルソン・ピケ

他にも『スピードと女の漂流者』『自由人』『世界一のホームレス』など。

各地に恋人がいて、大型クルーザーで独身生活を謳歌していたことから命名されました。

『刻み納豆走法』中嶋悟

『納豆走法』から『粘り納豆走法』になり『刻み納豆走法』に発展。

後方グリッドからシコシコ抜いていく戦法から命名されました。

その他『F1遣唐使』など。

『走る有言実行男』鈴木亜久里

その他『ネオジャパネスク』『不屈のポジティブシンキング』など。

日本人は謙虚で大きな事を口にしない人種ですが、鈴木亜久里は全くその逆で、夢を語りそれを実現して言った人物でした。

1990年、日本人初のF1表彰台もそのひとつですね。

また日本人離れしたその容姿から『走るメンズノンノ』と形容された事もありました。

『赤べこ走法』片山右京

その他『張り子の虎走法』など、前後Gに首が負け頭が前後に動く様からこう呼ばれました。

赤べこを英語にするとレッドブル!

もしも当時レッドブルがサポートしていたら・・・日本で爆発的に売れたかも!?

『F1駅前留学』井上隆智穂

F1に乗れるほどの実力ではありませんでした(本人も後に語っている)が、多くのスポンサーを持ち込みシートを獲得した井上隆智穂。

そのスポンサーのひとつがNOVAで、当時『駅前留学』というキャッチフレーズでCMを展開していたことから『F1駅前留学』と命名しました。

最後に

2017年、『グランツーリスモSPORT』のCMで、古舘伊知郎が二十数年ぶりにモータースポーツの実況をしました。

まさにこれ!

私が聴きたいレース実況はこのしゃべくり実況だと、あらためて感じました。

ちなみに元F1ドライバー野田英樹の娘、野田樹潤は『サーキットの小さな狩人』です。

最近のスカパー!フジテレビNEXTのF1中継は解説メインで、実況は大人しくて物足りないと私は思います。

それに対して当時の『古舘実況』は、グランプリを1本の映画のごとく捉え、レース前の緊張からドライバー同士の人間模様、そしてレースが始まってからは膨大な情報量で、時には誇張して私たち視聴者を大いに楽しませてくれました。

故今宮純氏曰く、「グランプリ実況を前に相当F1の勉強をしていた」そうです。

日本グランプリ限定でもいい、もう一度・・・もう一度、あの『古舘実況』が聴きたい・・・。

今回は伝説の古舘語録と題し、当時の『古舘実況』を少しだけ振り返ってみましたが、まだまだある名言の数々はコメント欄で教えていただかけたら幸いです。

以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。