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【レーシングチーム紹介】第4弾 NISMO(ニスモ)

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

日本のモータースポーツチームを紹介するこのコーナー、今回の第4弾は国内はもとより海外でも広く活躍してきた、日産系モータースポーツ関連会社のニスモを紹介したいと思います。

正式名称はニッサンモータースポーツインターナショナル ルーツは大森ワークス

2019年5月撮影 トランスポーターのナンバープレートも勿論・・23

ニスモはニッサンモータースポーツインターナショナル株式会社の略称、そう名前からもわかるとおり日産の100%関連子会社のいわゆる日産ワークスになります。

トヨタと関係が近しいトムスも、本田宗一郎の御子息が創業者の無限も自動車メーカーとの資本関係は無いため、現在のスーパーGTやスーパーフォーミュラなどにエントリーするチームの中では唯一の自動車メーカー系ワークスチームで、そのルーツはかつて日産ワークスチームのひとつで主にツーリングカーやGTカーを改造しレース活動していた大森ワークスが母体となっています。

日産のモータースポーツを担う会社として、ル・マン24時間やデイトナ24時間などの海外レースから、国内で人気のスーパーGTなど多くのレースで活躍しています。

カーナンバーは古くから#23、もちろんニスモの親会社ニッサンのニッ=2 サン=3ですね。

ル・マン制覇を目指した80年代・90年代

1984年に前述のとおり大森ワークスを母体に設立したニスモは、ル・マン24時間レース総合優勝を目指します。

1986年にマーチ(無論市販車の日産マーチではない マーチエンジニアリング社)よりマシンを購入し、それに日産エンジンを搭載し2台体制、ドライバーは日産のエース星野一義と長谷見昌弘など日本人中心の構成でル・マンに初めてエントリーしました。

2017年11月撮影 ル・マン初参戦マシン日産R86V(マーチ86G)と同型のJSPC仕様

結果は1台が総合16位、もう1台はリタイヤでした。

その後1988年までマーチのCカーを購入し日産で改良しそれに日産エンジンを搭載してル・マンに挑みましたが、最高位は1988年の総合14位でした。

1989年にマシンはマーチからローラに変更し、マシンコンセプトを日産が設計と製作をローラが受け持つカタチで3台エントリーしましたが、全てリタイヤという結果に終わりました。

ローラの旧態然としたマシン開発に失望した日産は、ついにマシンの自社開発を決意※し、なんと5台のマシンで1990年のル・マンに挑み、結果日本人トリオの23号車が総合5位に入り5年に及ぶグループCカーでのル・マン挑戦プロジェクトは終了しました。

※ シャシーのみ前年のローラ製を使用

2018年11月撮影 1990年ル・マンに出場した日産R90CK
2018年11月撮影 同じく日産R90CK 2018年オートサロンのオークションにて1億7300万円で落札されたマシンと思われる

1995年、5年ぶりにル・マンにエントリーしました。

ル・マンの最上位クラスは以前のグループCカーからLMGT1カーによる戦いに変わっており、ニスモはR33型スカイラインGT-Rをベースに開発されたNISMO GT-R LMで出場し、このマシンで1995年・1996年のル・マンを戦いましたが、結果は総合10位が最上位でした。

1997年・1998年はマシンをR390GT1に変更し、1998年に32号車の星野一義・影山正彦・鈴木亜久里組が総合3位になり、日産で初めてル・マンの表彰台に上がりました。

この結果は現在に至るまで日産ニスモのル・マン最上位の記録です。

マシンをR391にスイッチし1999年のル・マンにエントリーしたのを最後に、日産ニスモのル・マンの戦いは終了しました。

世界3大24時間レースとして、ル・マン24時間レースのほかスパ・フランコルシャン24時間やデイトナ24時間レースにも出場しました。

中でも1992年に唯一エントリーしたデイトナ24時間レースでは、日本人トリオの長谷見昌弘・星野一義・鈴木利男組が総合優勝に輝きましたが、これは2019年現在日本人唯一の総合優勝です。

ポルシェの牙城を崩した全日本スポーツプロトタイプカー選手権

2017年11月撮影 1992年の全日本スポーツプロトタイプカー選手権を戦った日産R92CP

ニスモは1988年よりグループCカーで戦う全日本スポーツプロトタイプカー選手権にも参戦していました。

2016年11月撮影 1992年JSPC最終戦のみ出場した日産NP35

1988年に前述のマーチ製ル・マン車両で参戦を開始し、1990年に自社開発車両のR90CPを投入し、それまでポルシェの牙城だった同シリーズにおいて国産車で初めてシリーズチャンピオンを獲得し、シリーズ終焉の1992年までチャンピオンを防衛しました。

ちなみに全日本スポーツプロトタイプカー選手権が終了した背景のひとつとして日産ニスモが強すぎたからだと、以前R90CPのシャシー開発責任者である水野和敏氏が語っていました。

伝説のR32GT-R26連勝! 全日本ツーリングカー選手権

ニスモのツーリングカーの戦いといえば、全日本ツーリングカー選手権への参戦です。

1985年の初年度から参戦し、ベースとなるマシンは1985年・1986年がR30スカイラインRSターボ、1987年・1988年がR31スカイラインGTS-R、1992年・1993年がR32スカイラインGT-R、1994年がプリメーラ・サニー、1995年がサニー、1996年がプリメーラ・サニー、1997年がプリメーラで出場しました。

特筆すべきは1990年から投入されたR32スカイラインGT-Rで、参戦した1990年から1993年までの4年間全26レースを全勝し、その強さは伝説になりました。

そのR32スカイラインGT-R登場の1990年、ニスモはマシン製作やエンジンメンテナンス、チューニングに徹していたが、チームとしては1992年より復帰しています。

速すぎるR32スカイラインGT-Rの影響で、全日本ツーリングカー選手権は1993年を最後にレギュレーションを変更し、略称もJTCからJTCCに変え余儀なく新たなスタートを切ることになりました。

前出の全日本スポーツプロトタイプカー選手権といい、この全日本ツーリングカー選手権といい、90年代初頭の日産(ニスモ)は国内レースで無類の強さを発揮していました。

マシンの節目で必ずタイトル! 全日本GT選手権

ニスモR34スカイラインGT-R2000年仕様 写真はMさん提供

スーパーGTの全身である全日本GT選手権にニスモは唯一全レースに出場したチームでした。

GT500(GT1)参戦マシンは1993年・1994年がR32スカイラインGT-R、1995年から1998年がR33スカイラインGT-R、1999年から2003年がR34スカイラインGT-R、2004年がZ33フェアレディZでした。

ニスモは1993年、シリーズ開幕戦で優勝しこの年4戦中3勝し初年度のドライバーズならびにチームタイトル※を獲得します。

※ GTアソシエーションは1993年シリーズについてノーカウント扱いとしている

ちなみにこの年のニスモR32スカイラインGT-R、カルソニックブルーを纏っていますがチームインパルではなくニスモなんです。

ペンズオイルニスモGT-R 写真はMさん提供

その後の成績は1998年ドライバーズ/チームタイトル獲得、1999年ドライバーズタイトル獲得、2001年チームタイトル獲得、2003年ドライバーズ/チームタイトル獲得、2004年ドライバーズ/チームタイトル獲得と、全日本GT選手権では4度のドライバーズタイトル獲得と6度のチームタイトルを獲得※し、ニスモは最強のチームでした。

※ 1993年の成績除く

ちなみに1998年R33スカイラインGT-R最終年、1999年R34スカイラインGT-R初年、2003年R34スカイラインGT-R最終年、2004年Z33フェアレディZ初年とニスモはマシンの節目でチャンピオンを獲得しました。

勝利数&タイトル獲得数全チーム中最多※! スーパーGT

※ 2018年終了時点 ぴぴ調べ

2019年5月撮影 ニスモの2019年型スーパーGTマシン 日産GT-R

全日本GT選手権から名称変更し2005年から始まったスーパーGT。

2019年1月撮影 2013年よりニスモのエースとして活躍するロニー・クインタレッリ

マシンは全日本GT選手権時代からひきつづきフェアレディZでエントリーし、2008年から2019年現在までR35GT-Rで参戦しています。

全日本GT選手権からニスモは2台体制でエントリーしていましたが、2009年から1台のみのエントリーになりました。

スーパーGTではメーカー内のチームシャッフルなどにより2・3年でドライバーが変更されることがよくありますが、ニスモはドライバーが長くチームに在籍することで有名で、古くは本山哲が全日本GT選手権から数え11年(2002-2012)在籍、現在の松田次生が8年(2006-2007・2014-)、ロニー・クインタレッリは7年(2013-)在籍しています。

ニスモは発足からスーパーGT全戦に参戦し、19の勝利を上げドライバーズタイトルとチームタイトルを3回ずつ記録しており、これはGT500参戦チーム中最多※です。

※ 2018年終了時点 ぴぴ調べ

スーパーGT No.1の人気チーム

先日ツイッターで、こんな質問をしてみました。

スーパーGT、日産GT-Rを使用するチームの中で、最も応援しているチームは?

ニスモとチームインパルが最後まで接戦となりましたが、結果はニスモが一番人気になりました。

レクサス(トヨタ)系・ホンダ系でも同様の質問をし、結果はレクサス(トヨタ)系がトムスホンダ系はチームクニミツが一番人気でした。

最後にあらためて、この3チームの中でトップはどこかツイッターでアンケートをとったところ、

ニスモがトップでした。

つまり現在スーパーGTに参戦するチームの中で一番の人気チームはニスモだということです。

確かにサーキットで毎戦日産応援団の声援に驚かされますので、この結果は私も身を以て体感し納得の結果です。

現在の参戦カテゴリー

2019年5月撮影 現在唯一の参戦カテゴリーはスーパーGT

過去の参戦カテゴリー

2017年11月撮影 日産R92CPのランデブー
  • ル・マン24時間レース(1986-1990・1995-1999)
  • スパ・フランコルシャン24時間レース(1991-1992)
  • デイトナ24時間レース(1992)
  • 世界プロトタイプカー選手権
  • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(1988-1992)
  • 全日本GT選手権(1993-2004)
  • 全日本ツーリングカー選手権(1985-1988・1992-1997)
  • ジャパンスーパースポーツセダンレース(1985-1986)
  • 全日本F3選手権(1985-1986)
  • 全日本ラリー選手権(1985)

最後に

2019年5月撮影 スーパーGT第2戦

日産のモータースポーツ活動を担っているニスモ。

古くはル・マン制覇を目指し、1998年には総合3位で表彰台に上がりました。

そして世界3大耐久レースのひとつデイトナ24時間では、長谷見昌弘・星野一義・鈴木利男の日本人トリオが総合優勝に輝き、その名声は現在にも語り継がれています。

現在の参戦カテゴリーはスーパーGTのみですが、またふたたび世界を目指して戦ってほしいと切に願っています。

以上、今回は日本一の人気レーシングチーム、ニスモについて書いてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。