ライブチケットの半券は語る 保管していた半券から解ったこと

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なんとなく保管していたライブ・チケットの半券の山

ライブのチケットの半券て皆はどうしているのだろう? オレは何故か捨てる氣になれなくて、これまで行ったライブのチケットの半券は全て保存している。なんとなく捨てるタイミングを失ってしまって、惰性で保管しているようなものなのだが。

ブログ記事を書くために自分が行ったライブの日付確認をしようとして、そんな半券を眺めていた時のことだ。1枚1枚めくっているうちに、思い出だけじゃない色々な発見があった。そして人間の記憶というものがいかにいい加減なもので、書き換えられるものだということがよくわかったよ。

始めて観たライブはIan Dury & The Blockheads

ian dury &blockheadsのライブチケット半券
サポートはWilko Johson bandだった。彼の動きもかぶり付きで堪能

オレが保管している半券の一番古いものは33年前のものになる。それは日本の東端のド田舎から東京さ出てきて、はずめていっだライブだっただ。はずめて行ったライブさIan Duryちゅうのも、なんまら凄くねーだか。

というのもこのライブ、実はロッキンオンの読者プレゼントで当たったものだったのだ。田舎者が初めて行くライブと云うアピールが効いたのかも知れない。プレゼント応募の際は、何か選者に訴えかけるアピールは大事だと思う。それは上京後2ヶ月目の事で、大学にはまだ誰も友達が居ない時だった。

Ian Duryのライブは読者プレゼントと云うこともあり、整理番号はとても若く、ステージ前にかぶり付きで見る事になった。始めて行ったライブでかぶり付きだから、もうその楽しさったら、もう言葉にできない。もう20年以上読んでもいないし、買ってもいないロッキンオンだけども、その事には深く感謝している。

リンク:Ian Dury and The Blockheads live in concert 1977.

そして初めて自分でチケットを購入して見に行ったライブはSzanne Vegaだった。パンク大好き兄ちゃんが、アルバイトで稼いで、乏しい家計費をやりくりして初めて買ったコンサートチケットがSzanne Vega。自分でもよくわからない。

スザンヌ・ヴェガ 1987年来日ライブ

一枚一枚そうした半券を見ていくと、その時時のコンサートの様子が頭に蘇ってくる。そして意外な発見があるのだ。このコンサートは1996年だと思っていたのに、1993年だったのか! なんて発見が時々ある。記憶はどんどんと改ざんされてゆくのだ。

全く行った記憶のないライブのチケットが出てきた!

だけども一番の驚きは、行った記憶が全くないライブの半券があるのだ。たとえば、1995年10月には再々結成されたKing Crimsonが来日した。オレが覚えているのは、昭和女子大学 人見記念講堂で彼らを見たこと。

だけども追加の中野サンプラザで行われたライブは、オレは全く記憶に無い。記憶にないのに、オレはその公演を見に行っている。その証拠がチケットの半券として、いまここにある。

さらに驚きは続く。それはPrinceの東京ドーム公演の半券が出てきた事だ。正直Princeなんて何の興味もない。Princeの音楽はオレの趣味じゃないのだ。なのに何故かオレは東京ドームに彼を見に行っている。えらい高額なチケットなのにも関わらず。

何はともあれ、オレはこのライブに関して何も覚えていない。行ったこと事態が嘘みたいだ。狐につままれたとは正にこの事だ。もし杉下警部に追及されたとしても、「私は行っていません」と言い続けるしかない。例え、チケットの半券という証拠を突きつけられても……。

「あなたは1990年の8月30日、東京ドームでPrinceのライブを観ましたね?」「いいえ、見た記憶がありません」「あなたの家から、そのライブ・チケットの半券が出てきましたよ」「……..」

それはさておき、Princeの謎だけれども、たぶんアルバイト先の友達達と行っていたのだろうと思う。アルバイト先で仲良くしていた年の近い女性職員達(その一人が今のオレの妻なんだが)と、皆でPrinceのライブを見に行こうよ! という事になったんだろう。そうなるとオレ一人だけのけ者になるのがしゃくだから、ついつい調子を合わせて見に行ってしまったというのが真実なんだろう。 

全く興味がないのにPrinceなんか見にゆくものだから、見事に記憶が欠落している。よくもまあ貧乏学生のくせに、高額なチケット代金を豪快にドブに捨てるような真似をしたものだと思う。高い金を払っておいて何も覚えていない。やはり人に合わせて無理をする、背伸びをするというのは本当にお金と時間の無駄なのだなと思う。

Discharge! 大学卒業直前にはハード・コア・パンクの大御所のライブ

discharge 1990年2月川崎クラブチッタ
大学卒業を間近に控えDischargeとStray Catsを見に行くオレ。それにしてもDischargeの10日前にStray Catsを観に行っているオレ

そしてもう一つ「ホントにオレ、こんなバンドのライブを見にに行ったの?」と驚いたのがDischarge。そうイングランドの超コワモテ、おっかないパンクバンドの中の一番おっかないバンドがDischargeだ。

チケットの半券を確認すると1991年の2月23日に、川崎のクラブチッタに足を運んでいる。確かに音楽趣味の幅広いオレだから、ハードコア・パンクも聞くし、ハードコアシーンを代表するそんなバンドを見に行ってもおかしくはない。だが全く身に覚えが無い。興味はあったものの、彼らのアルバムは一枚も持っていない。怖いもの見たさの物見遊山で見に行ったのだろうか? 

youtubeでDischargeを検索したら、なんと正にその日の映像が残っていた。きっとステージ前のカオスゾーンにいたと思うので、何処かに若かりし頃のオレが写っているのかも知れない。オレの頭よりも上に足が舞う、恐ろしいライブが、ハードコアパンクだ。

リンク:Discharge – Live Club Citta, Kawasaki, Japan 23.2.1991

次から次と観客がステージに上がり、客席に飛び込んでくる。頭上をグルグルと回る足に蹴られないように、音楽そのものよりも怪我しないように気をつけなければならないのがハードコア・パンクのライブ。うーむ、確かにそういう記憶ならあるぞ。別のバンドだと思ったがDischargeだったのか!(別のバンドというのがS.O,B)

記憶は作り替えられる

こうして考えてみると、人間の記憶なんて本当に当てにならない。いくらでも都合よく消去されて、書き換えられるんだ。だけどもこうした証拠はあなたの過去の行動を物語る。チケットの半券なんてただの紙ゴミなのだが、こうして集めてみると自分の過去の行動の記録の裏付けでもあるのだ。

こうして証拠を突きつけられると、もはや何も申し開きが出来ないものだ。だけどもそれが偽造されたものだとしたら? もし犯罪に巻き込まれて逮捕され、刑事に偽造された証拠を突きつけられたとしたら、見に覚えはなくとも自白してしまうなんて事があるんじゃなかろうか。

そんな馬鹿馬鹿しい妄想をはさておき、一体記憶ってなんだろうと思う。まあチケットの半券なんか偽造するやつなんて居ないから大丈夫だ。

上岡龍太郎東京ライブ94
いったいこの時彼は何を話したのだろうか?

それにしても、もう一つ解せないのが「上岡龍太郎ライブ」に行っていたことだ。確かにオレは上岡龍太郎さんは大好きだ。パペポTVの熱心な視聴者だった。その上岡龍太郎さんが東京でライブを行うのなら必ず見に行ったろう。いやオレは見に行ったんだ。だけども見に行ったと云うことを、何も覚えていない。Princeと違い熱心なファンだと云うのに、これはどうした事だろう?


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