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人間嫌いでもいいじゃない。一人が好きな人でいるメリット4つ。

投稿日:2020/02/23 更新日:

この記事は、生きるために仕方がなく人付き合いを続けているけど、心の中では「お前らなんて大嫌いだ!」といつも叫んでいる、ちょっと極端なあなたに向けた応援歌のような記事です。

とはいえ、私自身人間嫌いを自称していますが、社会生活で困ったことはありません。

人好きな人に語ることはありませんが、人嫌いを直したい、人嫌いの自分が嫌い、というあなたは、人嫌いも悪いものではないと思いなおしてみてはいかがでしょうか?

目次

人間嫌いで何が悪い?人付き合いを縮小するメリットについて

人間嫌いと聞くと、一匹狼でカッコいい!なんていうのはフィクションの世界のお話で、社会人の人嫌いには相応のリスクがつきまといます。

会社の付き合いも苦痛でしょうし、何とか付き合ってもぎくしゃくします。出世も遠のくかもしれません。

少なくとも日本社会は「和をもって貴しとなす」が社会通念なので、そこらじゅうの一般常識が、人嫌い向けにはできていません。

人好きの人よりもいらないストレスを抱えるという点で、人間嫌いは損しているといえるでしょう。

でも私は、人間嫌い自体が悪いものだと思っていません。

以下にその理由を並べます。

「自分」と「自分の好きな人」のために自分を使える

誰とでもうまく付き合おうという人は、そもそも自分に与えられたリソースが有限だという自覚が希薄です。

お金しかり、体力気力しかり、時間しかり。

誰かに与えた分だけ、ほかの誰かに与えるはずだったものはなくなるのです。

だったら、嫌われたくない一心で、適当に好意をばらまくよりも、本当に気に入った人にだけ、自分の時間を割いてあげればどうでしょうか。

一時のさみしさや疎外感を紛らわすために、いろいろな人にやさしくしていると、本当に自分がやさしくしたい人に対しておろそかになりますよ。

利益を産まない付き合いをやめることができる

人間の持っているものが有限である以上、利益を産まない付き合いはやめるべきです。

ここでいう利益とは、単に金銭的なものではありません。

付き合いを続けていれば助けてくれる相手か?今は見返りをもらえなくてもいずれ助けてくれる相手か?付き合いをすること自体が自分にとって喜ばしいことなのか?

広い意味で「自分にとっていいこと」であるならば、その付き合いは正しいです。

でも「自分にとっていいこと」でもないのに付き合い続けるのはもうやめましょう。

それは自分の人生に対して誠実なふるまいではありません。

あなたの貴重な限りある人生、どうでもいい誰かに搾取されていますよ。

「都合のいいひと」をやめることができる

私個人の考えですが、自分という個を基準に見たとき、この世には2種類の人間しかいないと思っています。

ひとつ、私の時間を取っていく人。ひとつ、私に時間を与えてくれる人。

あなたの周りにもいませんでしょうか?

人の都合なんてお構いなしに電話をかけてきて、自分とは無関係な仕事を押し付け、断ろうものなら悪者扱いするような人です。

私にはできない、と言っているだけなのに、勝手に悪者扱いされるなんて理不尽すぎますよね。

こういう方々とは、一度距離を置くことをおすすめします。

距離の置き方は簡単で、いくら悪者扱いされようとも、相手の機嫌を損ねようとも「できません」「やりません」と断ってみることです。

こうすることで「あ、こいつはNOと言ってくるめんどくさいやつなんだ」と思われれば成功です。

あなた自身に特別な技能でもない限り、わざわざめんどい人に対して仕事を押し付けてきません。

他の素直に言うことを聞いてくれる人に対して依頼します。

あなたが会社員で、相手が上司なら嫌でもなんでも聞くべきです。それは仕事なのですから。

でも、自分の役目を超えるようなことを突然横から投げてくるような人に対しては、首を縦に振らないようにしましょう。

たとえ相手の立場が上でもです。

根に持たれたところでクビになったりしませんし、こちらの機嫌を損ねて困るのは相手です。

相手との縁は切れるかもしれませんが、会社との縁(契約)は続きますので、痛くもかゆくもありません。

困るのは自分なのか、はたまた相手なのかの見極めがポイントです。

とはいっても、筋の通った依頼はこなさないと、ただのわがままな人になってしまいます。

やるべきことはやって、そのうえで「できないことはできない」と淡々と述べるのが大事だと思います。

周りの意見で自分を曲げずに済む

一人でいることを選んだあなたは、自由であることを望んでいるのではないでしょうか?

お互い異なる魂を持つ人間同士、意思決定を統一するのは並大抵の努力ではできません。

たとえば旅行だってそうです。

グループ旅行では自分の好きな場所に行けません。行けたとしても気を使います。

道しるべもない道を一人で歩くのは不安ですが、孤独な決断を下す訓練をしておかないと、いつまでたっても自由にはなれません。

あなたの人生に責任を持てるのはあなた自身しかいないのです。

追記、情報の取捨選択で冷静になれる

これは2019年末から2020年にかけて発生した、コロナウイルス騒動の渦中で思ったことです。

マスクの買い占めやその他の生活用品の買い占めが起こり、旅行やイベントも自粛を求められている時期です。

巷には様々な憶測とも情報ともつかないニュースが氾濫し、どこそこの会社でマスクをしているから、仕方がなくマスクを着けだすという「ポーズとしての予防」が蔓延しました。

でも、マスクの着用は予防に効果ありません。世界保健機構が断言しています。

人に合わせながら生きていると、人のしぐさをまねることが求められますが、時折窮屈で、時折正しい情報に触れることができません。

人から距離をとって、自主的に生きていると、情報に対して少し冷静な判断ができますよ。

人間嫌いという生き方も悪いものではない

私自身、人嫌いが高じて誰も知る人のいない場所へと旅行したがる人物ですが、それなりにうまく暮らせていると思っています。

多少人間嫌いだとしても、きちんと税金を納めていれば社会人なので、大したことはありません。

日本では、居眠りしたり業務中にサボったりしても(程度にもよりますが)会社をクビになったりしません。

人が嫌いなだけで社会生活を送れない理由なんてありません。

一人の時間を大切にしたいだけです。人間同士、どうしても分かり合えないものだと割り切っているだけです。どうでもいい人に自分の時間を与える無意味さを知っているだけです。

それにあなたが人間嫌いだとしても、まったく人間と付き合えない人だと、だれが言ったのでしょう?

人嫌いでも一人や二人くらい大切な人はいます。

本当に自分以外が大切ではないと言い切る人もいるかもしれませんが、その場合は自分自身の人生を大切にしていて、微塵たりとも無駄にしたくないだけなのです。

人が好きな人に対して、人嫌いになれというわけではありません。その生き方が気に入っているのなら、そうすればいいだけです。

でも、もしあなたが人間を好きになれなくて悩んだり無理しているのなら、こう言いたいです。

人間嫌いという生き方もそれなりにいいものですよ。

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