小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

とても忙しい島の子供達という「問題」

2018年11月20日 | 母島 暮らし 子供
■ここ最近、よく思うのです。
島で暮らしていて、のんびりの雰囲気を味わいながら、
島の子供達、忙しいなぁ、と。

先日、前浜で友人と話していて、素敵な元母島の先生のFB投稿を読んでハッとさせられました。

いつも感じて思っていることなのに、
ついその時の高揚感で忘れ、過ぎ去って行ってしまうけど、大事な問題。

今年は小笠原返還50周年だから、それは特に顕著なのだけれど、
毎年、普段から島のイベントは多いなと感じます。

そして、僕自身、青年会や子ども会、PTA、KWNなど様々な立場でそれらイベントに関わっています。
そう、子供たちの忙しさに一躍買っている立場なのです。


■自分の子供時代を思い起こしてみると、
もっとだらだらと、
よく言えばもっと自由に時間を過ごしていた気がします。

でも僕は片親だったし、塾にも行っておらず、
小学校高学年から毎朝、新聞配達のバイトをしていたから、他の子とは感覚が違うかもですが。

小学校の頃(中学年頃)まではほとんど外で遊び、広瀬川でだらだら友達と遊んだり、一人で過ごしたり。
工事現場の重機が好きで1日中眺めている事もあったし、
飼育している金魚やザリガニ、フナなどを飽きずにずっと眺めていることもありました。

小学校高学年になってTVゲーム(スーパーファミコン)とプロレス鑑賞、マンガに没頭してました。

中学校に入ってからはロックに目覚めて、楽器を触ってるか、音楽を聞いているか、ゲームをしているかだったと思います。
部活なんて超適当にやっていました。週1もやっていただろうか(笑)?
あ、異性にも滅茶苦茶興味が沸いた年頃ですね(笑)。

友達とだらだら過ごすことも多かったし、
一人でずっと何かに集中することも多かった。
もちろん勉強なんて家ではしなかったです(笑)。

学校帰りにわざわざ遠回りして友達と喋って帰ったり、買い食いしたり。

大人になってから思うと、信じられない位時間はゆっくり流れていた気がします。


■それに比べて、今の島の子供たちはなんと忙しいことか。
自分の娘たちを見ても思います。

ほとんど無償だけど習い事が本当に多い。

日 ソフトボール
月金 柔道
火土 剣道
月木 太鼓、バトミントン
火 手話
水 卓球、サッカー
木 サッカー
金 バレー
土 サッカー、フラ
etc...

おまけに宿題。
これでレギュラー。
人によっては毎日やっている子供がいます!

それに追加して地域、学校のイベントがある。

年4回のゲートボール大会
返還祭
駅伝
納涼祭
カヌー大会
ジャズフェス
学芸会
月ヶ岡神社例大祭
ロードレース
クリスマス子供大会
海開き
バザー
船待ライヴ
etc...

そしてイレギュラーにも
内地から色んなエキスパートが来て講演をしたり、
体験型のプログラムも多い。

そのすべてに参加する必要はないのだけれど、
狭い母島という社会で、
みんながしている事を意識的にやらないという選択をできるほど、
人は自覚してないと思うのです。特に子供は。
その主導が子ども自身より親の影響というのも否定できないのではないか?

ですが、そのどれもが単体ではとても素晴らしいのです。
子供たちの楽しみとして、
経験として大人が工夫して、用意する。
楽しくない訳がありません。

だけど、それが日常の隙間の多くを埋めているとしたら?


■これは島だけでなく、日本全体の風潮なのでしょうか?
内地で暮らしていないので分からないけど、
もっと子供時代は何をするでもなく、ぼーっとしていていい気がします。

「こうしなければいけない」があまりに多過ぎる気がするのです。

宿題なんて僕の子どもの頃、
そんなに土日を圧迫するほどあっただろうか?(僕がやらなかっただけ?あまり覚えてないw)

個人的には毎日あれだけの時間を学校で勉強しているのだから、
家にいる時間や、夏休みなどは宿題はいらない気がします。
自主選択制でいいのでは?

勉強したい子は全然自由にすればいいと思うけど、
勉強したくない子はそんなことに時間と労力を取られないで、
好きな事にもっと没頭してすればいいと思う。

また、没頭するだけじゃなくて、
ぼーっとしている時間もとても大切に思うのです。

もっと時間を味わい、ただ感じるような、でも子供時代にしか体験できないあの時間の感じ…


■大人はもっと客観的に子供の生活の時間をトータルで見直すべきかも知れません。
大人は自意識でチョイスできるからいいんです。

子どもは大人の流れで無意識の場合もあるし、
強制の場合もある。

冒頭の元島の先生の指摘は見事です。
「行事は学校でも地域でも同じなんだけど、打ち上げ花火、見栄えがいい。
それ自体はとてもいいことだし。
過程で問題点を感じていても当日本番の高揚感と興奮で大抵のことは帳消しになってしまう。
結果、「削れない」「子どもの負担は増え続ける」。

難しいのは、当の子ども自身も楽しく、いい思い出として残っている。
たぶん島っ子たち(もう大人になってる子たちも含めて)は、この問題に関しては実は問題として捉えてないんじゃないかな。

「学習」って、「勉強」だけじゃない。

落ち着いて学習する機会がないと、日常の地道な活動で身につく一つ一つが零れ落ちていく。
子どもは大人とは違うんです。きちんと学ばなければいけないのです。」


島を離れてまで島の子供たちに愛をもって考え続けてくれる人の存在が本当に有難いです。
どうもありがとうございます!


■先日、子ども会で中学生にカンボジアの子どもたちのことを考える機会を設けました。
去年から返還祭の夜店での売り上げを【かものはしプロジェクト】に寄付しているのですが、
今回はその背景を子供たちに知って欲しいと思い、
忙しい中学生の時間を1時間頂いて、話しました。

丁度、カンボジアに約2年行っていた先生も来てくれて話してくれました。
自分たちの同じ年頃の子どもたちが、
お金がなくて学校をやめて行ったりするのが切なかった。
お祝いの場の外に残飯を狙って待機する子供たちを殴る大人たち。
人に騙されて売春宿に売られて行ってしまう背景。

そんな背景のカンボジアの子どもが売られる背景は、
かものはしプロジェクトの献身的な活動のお蔭で、なんとほぼ解決し、今はインドに着手しています。

自分たちの寄付がこんな活動を支えている…
そんなことを伝えられただけでも
僕個人的にはとても素晴らしい機会を設けれたなと思っています。
まずは知ることが大事だからです。



■そんな背景を思うと、
【島で忙しい】なんて贅沢な悩みなのかもしれないけれど、
大人が無意識に“子どものゆったりとした時間を奪っている問題”は別問題。

この問題に向けて、自分は何をすべきか?何ができるか?

老婆心で行事を増やし支えている身としては、
気持ちの中で沢山の矛盾を抱えています。

昔から行われている行事なんて、続けるより無くす方が大変なんです。

まずは、自分で意識することから始めてみようと思います。
そしてこの問題について、話していければと思います。

そして「忙しい」という字は心を亡くすと書きます。
忙しいと心を置き去りにしてしまう自分にもフォーカスしていきたいですね。

自分の娘(特に長女)にはあまり声をかけ過ぎないで、
少し見守る姿勢を心掛けよう(笑)。

子どもには大人が関わらない時間と空間が大事な気がするのです。

でも長女は来春には島を出るので、生活する術はある程度は身に付けてほしいけど…



くまのプーさんが言いました。

「ぼくは何もしないをしてるんだよ!」
いやあ、名言ですね~~!
さすがプーさん!


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