小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

島での子育てということ

2019年08月08日 | 母島 暮らし 子供
■先日、内地の小学生を山に案内する機会に恵まれました。
いつもは母島の小学生に校外学習として、年に何回か授業をしています。

なかなか普段接する事の少ない、
内地の小学生と1日山で過ごしてみて、
色々な事に気付かされました。

子どもって本当にすごいと思いました。

これは島の子でも内地の子でも変わらず、
本当に可能性の塊で、吸収する余地が半端なく広い。

教育という分野がいかに可能性に満ちているかと考えさせられる時間でした♪
貴重な経験をどうもありがとう☆



■内地の都会で育ち、自然や虫、釣りが好きな子供たちは、
島の大自然で何を感じれたでしょうか?

出発時からいきなり、砂浜に産卵しに来たアオウミガメが、
川に間違えて入ってハマってしまい、レスキューするところから始まりました(笑)。

これは年に数件しかない貴重な機会!!

このタイミングに出会えるとは、運を持っていますね!

ウミガメさんは無事に海に戻す事が出来ました♪

その後、フィールドで色んな海鳥やあかぽっぽ、メグロ、コウモリなど、
存分に島の自然を感じれたと思います。

どうだったかな~?


■昔、長女が生まれたばかりの頃、何の時かは忘れてしまったのですが、
僕は夜の10時頃に東京タワー付近のバスに乗っていました。

その時に小学4年生くらいの男の子でしょうか?
塾帰りっぽい感じでバスに乗り、すごく疲れた様子で椅子に座ってうなだれていました。

島から慣れない内地に出産に来ていて、
この光景はかなり衝撃的でした。

遊び盛りの子供時代に、こんなにサラリーマンみたいに疲れた子供がいるなんて…

何か世の中が間違っている方向に行っているのではと感じた瞬間でした。


■夏休みに島に来た子達もその前後は夏季講習と言っていました。

「勉強は楽しい?」と聞いてみると、
「あんまり楽しくない」と答えます。
僕も当時そうでした。

でも不思議です。
大人になると僕は勉強が楽しいです。

何故なら、知らない事を知るというのは喜びだからです。
ただし、そこに興味があるかがどうかが大きな差になっている気がします。

子どもの時代は興味が無くても、何でも吸収できる時代。
だから、これから未来で必要なことを詰め込む。

でも、その時代に興味のあることばかりに没頭していたらどうだろうか?
まるで自分で生活できない子供ができてしまうのだろうか?

宿題と課題に追われるばかりの日々を、
自分がその時興味がある事に没頭出来たら?

先生は子どもが興味が湧くように、どんどん先導していけたら?
考えただけでワクワクしてきちゃいます♪


■バスで疲れた小学生に出会った2003年の3年前、19歳で初めて訪れた小笠原諸島父島。
確か宮之浜だったと思います。

綺麗な砂浜で、お母さん達と子供たちが気持ち良く過ごしていました。
子どもは海に入り、お母さん達は互いにお話ししていたり…

僕の知っている狭い範囲での内地のお母さん達とは違い、
とてもみんな楽しそうで、全然生活に疲れた様子が見えなかったのです。

衝撃的でした。

そんな光景を見て、
生まれて初めて「こんなところで子どもと過ごしてみたい!」と漠然と思ったのを覚えています。

僕が当時の目線で地元の仙台で見ていたお母さん達は、
明らかに疲れていました。

子どもを公園に遊ばせてはいるのですが、
愚痴を言っていそうな表情、子どもを怒る様子。

ああ、結婚や子育てって面倒なものなのかな、と十代の僕に思わせるには十分な印象でした。

そして、小笠原で出逢ったお母さん達はその印象を払拭するには十分すぎるほど、
当時の僕にはまぶしく映ったのです♪

※9年前の娘たちです(*^_^*)

翌年の2001年に僕は半年、沖縄の西表島で働いていたのですが、
そこで「小笠原みたいなところで子育てをしたい!」と当時仲良かった友達に話していたのを覚えています(笑)。

まさか、その2年後に小笠原で結婚し、子育てしているとは夢にも思いませんでしたが(笑)。


■島で子育てをしていて、
学校で授業する機会に恵まれて、
いつも逆に僕が子供たちから教わることが多いです。

「子育て」という言葉は間違いで「子育ち」というほうがしっくりくる印象です(*^_^*)

小笠原と言う大自然と信頼できる大人ばかり、
地域に囲まれて育つ環境はすごく有難いものだと思います。

母島は車は少ないし(信号もない)、
子どもの歩ける範囲にすべての店と業者、暮らしが揃っているし、
地域の多くの人が子供を優しく見つめてくれている。

ふと子供が帰って来なくても、
外に出て人に聞いていけば、
あそこで見た、あそこにいるよ、ってな具合ですぐ見つかります。

この安心感は子育てにおいてとても大きな要素だと思います。


■島の子どもは島の自然環境を体感的に知っています。
これはやはり、内地の子とは違うと感じました。

内地の子は、同様に自分の住むエリアを体感的に知っているとも思いました。

島の子どもは、
圧倒的な自然の強さも弱さも無意識に知っている気がします。

授業で、案内で話すとき、
「一番の外来種は人間なんだよ」と話したとき、
島の子どもはものすごく腑に落ちた顔をします。

悪いのはネコでもアノールでもカエルでもアカギでもなく、
それを運んで勝手に野に放った人間。

でも島の固有種と呼ばれる生き物を守ろうと対策するのも人間。

そもそも、固有種、外来種と勝手にカテゴライズするのも人間。

地球は誕生と絶滅を繰り返して、
きっと生き物がいなくなっても存続しているでしょう。

今人間がやっていることは何なのか?
大人は絶対的な正義じゃない、間違う事もいっぱいある。

でも大人たちは、今何かをしなければ、
この生き物はこの世から完全にいなくなってしまう。
だから、考えうるベストを尽くす。

みんなその時の目線で、しっかりと自分で考えて動いてほしいと子供たちには伝えています。


■島で育っていると、子供たちが当たり前に知っていること。
冬には北極の海からザトウクジラがやってくる。
春はウミガメが交尾して、初夏には産卵している。
秋になればミズナギドリが集落に落ちてくる。
海にはイルカも魚もいっぱいいる。
危険なサメやクラゲがいる事も知っている。

人には挨拶をしよう。
小さい子は守ってあげよう。
困っている人は助けよう。

島に住んでいて、
外の世界を知らないのはとてももったいないと思います。
だって、この島の良さを認識できないからです。

子どもは思春期を迎えたら、どんどん外の世界を知ってほしい。
島に自分のホームがあるけど多感な時期に、
いっぱい外の世界を知ってほしい。

そしてその目で、
自分の住む島を見つめ直してほしい。

大人より、子供たちの方がシンプルな本当の答えをいつも持っています。

そんな事に気付かされる島の子育てに感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました(*^_^*)

■最後に、僕が微力ながらにずっとここ数年寄付を続けているNPO法人かものはしプロジェクト
これはこどもが売られない社会を作るために、
カンボジア、現在はインドを中心に活動しているNPO法人です。

カンボジアではびこっていた子供の人身売買をなんとほぼ根絶までできた成果があります。

先日、前年度の報告の冊子を読んでいて、
インドの議会に人身売買を解決すべく法案を挙げたけど、上院で審議されずに廃案になった経緯が書かれていました。

もはや莫大な産業にもなっている人身売買。
人の犠牲でなんとか暮らしている人が沢山いるのも事実で、問題の難しさを痛感させられました。

でも、人が生きていくうえで、
誰かの人生の犠牲の上に依存した暮らしは会ってはいけないと思うのです。

人間を含む自然界は動植物の犠牲の上に成り立っています。
動物や魚、野菜や果物の命を頂いて私たちも生きています。

でも、そこには絶妙なバランスが大事で、
どちらに偏っても破綻を招く危うい世界です。

そして、人身売買を背景とする世界は、その倫理感からは大きくはずれたものだと思っています。

大事なのはまず知ること。

島の子育てでのほほんと生きていますが、
今この瞬間に売られている子供がいると思うと、
胸が張り裂けてしまいそうです。

島の中でも、きちんと人の痛みが分かり、行動できる子どもを育てるために、
大人ももっと学び続けなければいけないと思っています。


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