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初めてのお産 ~二人の娘たちへ③ 長女誕生編

2020年11月03日 | 娘たちの誕生物語
←その②、前回の続きです。 

10月中旬のとある日の朝早くに、妻が叫びました。
「起きて!破水した!!」
そこからついにフィナーレともいえるお産が始まりました。

その時4時過ぎ頃だったと思います。
僕は起きていたのか、飛び起きたのかは定かではないですが、
速攻でタクシーとファン助産院に電話し、
予め用意していた着替えなどのお産セットを用意したはずです(あまり覚えてないw)。

ちなみに破水というのは、
子宮の中で赤ちゃんと羊水が入った卵膜が破けることです。
赤ちゃんは母親からへその緒を伝って酸素や栄養、水分を得て、
その後、羊水として排出しているそうです。
赤ちゃんは子宮の中で羊水を吸いながら、どんどん体を成長させていくそうです。

陣痛が先か、破水が先かは人によるようですが、
妻の場合は破水が先で、そこから陣痛が始まったようでした。

予想はしていましたが、
案の定テンパっていた証拠に、あまりその時の詳細を思い出せません(笑)。

妻は陣痛の周期で、動ける時、動けない時があり、
ベランダからタクシーが到着したのを確認し、降りました。

ベランダから「お産です!よろしくお願いします!」と叫んだのは覚えています。

生まれるまで写真を撮る余裕なんて微塵もないので、生まれるまでは母島の景色をお楽しみください(笑)。

■タクシーの中でも陣痛の周期で苦しむ妻をさすります。
何故か片手にミカン(笑)。
これ、なんか強烈に覚えていますヽ(^o^)丿

気付くともうファン助産院に到着していました。

助産院の産むお部屋はなんと2階!!
陣痛で苦しむ妻は陣痛のON・OFFのタイミングを一気に階段を駆け上がります。

最初、助産院を訪れた時に、
この階段を上がれるのか!?と思いましたが、
「みんなここを登れるものなのよ~」という、
杉山先生の笑顔で「あ、そうなのか」と思わされました(笑)。

そんな階段をタイミングを見計らい、一気に駆け上がり、
お産の部屋へ!



■お産の部屋では妻は自由な体制で、
だんだん陣痛の感覚が短くなってきます。

陣痛は子宮の赤ちゃんを出そうとする収縮なので、
当然、母体も赤ちゃんもキツイ様で、
ずっとは続かず、
断続的にいきみ、休憩、陣痛と続きます。

陣痛の間には、休憩があり、
予め用意していた高カロリーの一口チョコレートとプリンを妻は食べ、
水分補給などをします。
(長い入院生活で体力が衰えているのを実感して、用意した妻、さすが!)

杉山先生、助産師さんは、さすり、声をかけ、
赤ちゃんの心音を聞き、常に母と子の状態を気にかけます。

陣痛と陣痛の間は、
休息があり、その間はみんなが無言で静かに待っている感じです。
妻はその時、ショートコントみたいな夢を見ていたらしく(笑)、
陣痛で我に返ると、周りがみんな真剣な顔で「あ、お産だったんだ(笑)」と思うほど、
陣痛の間は最高にリラックスできていたようです。

妻は横になったり、
四つん這いになったり、
天上からの太い綱に掴まったりと、
自由に体制を変えます。

その間、僕も妻の体を支え、栄養や水分を補給させます。


■そこで皆さん!知っていましたか?
お産の時のメインは誰がどう見ても、母親とその赤ちゃんです。

立ち会いをしている夫なんて、もちろんほぼアウトオブ眼中です(笑)。

妻がみんなに気を遣ってもらっている、食べ物や排せつのIN・OUTは超自由ですが、
立ち会っている僕はそんな事を言い出せる雰囲気でなく、ひたすら我慢なのです(笑)。

赤ちゃんが生まれるまでの8時間くらい、僕は飲まず食わず、トイレ行けず(笑)。
しまいには最後のいきみで妻に手を噛まれ、
出血し、お産で僕まで体重が3kgも落ちてしまいました(笑)。

お産の最中は周りに気を遣わせるのを最大限ないようにして、
とにかく無駄な動きはしないようにと心に決めていました(*^_^*)

これは完全にネタとして、その後ネタとして使える武勇伝になっています。
頑張ったぞ!俺!!←誰か褒めてw


■そんなこんなで、最後は妻は仰向け気味になり、僕が後ろで支える形でお産となりました。
助産師さんは妻の会陰を抑え、
赤ちゃんがゆっくり降りてくるのを呼吸といきみと状態に集中し、
静かに声をかけて行きます。

お産のの部屋は優しい照明で、薄暗い感じで、温かく、
ずっと4~5人くらいで集中していました。
めっちゃアットホーム。
でも集中している、そんな感じでした。

赤ちゃんは少しだけ頭の先を覗かせます。
髪の毛だけが見える時もありました。
一番大きな頭を必死に産道を通り抜けようと、
何時間も頑張っています。

先にも書いた、僕が出血した妻に手を噛まれながら、
最後のいきみがあり、
頭が出た!と思ったら、するっと赤ちゃんが生まれてきました。

この時初めて赤ちゃんの性別を知りました。
今まで、エコーで知ることはできたのですが、夫婦でずっと生まれるまでの楽しみにしていたのです。

初めてこの世に生まれた長女は、
すぐに産声を上げるわけでなく、ぐったりとしていました。
確か、へその緒を1回首に巻いていた気がします。

すぐさま、助産師さんが赤ちゃんをさすり、口から羊水を吸い出したような気がします。
そうしたらか細い声で「おぎゃあ」と泣いたのです♪

その瞬間、元助産師の妻は時計を見上げ、正確に時間を読み上げます(そこらへんさすが!)。
ようやくホッとした瞬間です。

会陰切開もなく、無理な促進剤も使わない自然なお産なので、
大した出血を見た記憶もありません。

むしろ僕の方が噛まれて出血したかもしれません(笑)。
あと、足は妻を抱えて超しびれていて、トイレもずっと我慢で満身創痍でしたが、
生まれた瞬間にすべてを忘れました(笑)。


■その後は胎盤を出す後産があったはずですが、まったく覚えていません(笑)。
生まれて、ほんとうに、ほんとうに小さな赤ちゃんは、ちゃんと生きています。

小さな指に爪だってあるし、
目も鼻も口もちゃんとあるんです。

当たり前なんだけど、本当に奇跡なんだなと感じました。
ここにあるすべてに感謝の気持ちが溢れてきます。

へその緒が繋がったまま、まずは母親のおっぱいを飲ませます。

今まではへその緒を通してもらっていたものを、
今度は母親から母乳としてもらうのです。

このメチャクチャピースフルな雰囲気、忘れられません。

急な搬送、永遠に思えた絶対安静の入院生活、
退院後は足腰が弱って、リハビリの様な助産院に通う毎日。

こうして無事に生まれて来てくれて感謝です♪

胎盤が出たのが先か、へその緒の動きが止まったのが先か覚えていませんが、
僕がへその緒を切りました。

今まで、親からもらった桐の箱のへその緒が、
なんで長いものではなく、短いのかここでようやく理解できました。

この切った部分から、のちに赤ちゃんのお腹からポロッと取れる部分だけだったのです(*^_^*)
22歳の新米パパには知らないこと尽くしでした☆


■そして、落ち着いたら助産師さんに教わって、赤ちゃんを抱き、体重を計り、産湯に付けます。
体重は3000gもないような細い女の子でした。

初めて抱く小さな生き物に困惑する僕(笑)。

その緊張も伝わっていただろうなぁと思います。

確か、ビックリして泣いたような、泣かないような…
いずれにせよ、すんごい緊張して産湯を終え、母親の元に返してホッとした気がします。

今思うとそのすべての儀式をスムーズに行えるように、
助産師さんたちが気を配り、用意してくれていたのです。
本当に感謝です♪
ありがとうございました!
助産師は偉大です!!

命を産み落とすという、
一大イベントを乗り切った妻はとてもいい顔をしていました♪
こりゃあ、男は叶いませんね(*^_^*)

そして、妻は3泊、助産院に泊まる事になりました。

本来は夫も一緒に泊まれるものらしいですが、
この日近辺はお産が立て込んでいて、
他の産婦さんも入院していたりで、
ひとりでマンションに帰りました。(すごく残念でした)

妻がファン助産院で「粗食のススメ」の様な素敵な夕食が出てきたので、僕もお腹が空いたのです(笑)。

帰り道の途中、浜田山駅前にあるお気に入りの定食屋「World of Mouse」でアジフライ定食を食べたのを覚えています。

すごくお腹も空いていたので(朝から何も食べてない?、かもw)
食べながら、
全然、父親になった気もしなかったのですが、
確かにこの手で赤ちゃんを初めて触って、
家族が無事に夫婦から、もうひとり子供が来てくれたのだと感じれたのです。

これは妻が先に先行して10か月お腹の中にいるのに比べて、
圧倒的に遅れてくる感覚な気がします。

この鈍い男の感覚をハッとさせるために、
妊婦は深刻な悪阻(つわり)で事の重大さを宣言していると、
今でも思っています。

借りていたマンスリーマンションに着いて、
命を産み落とした妻に比べられないであろう、
僕なりの精一杯の疲労感を感じながら、
その日はぐっすり眠った気がします。

そして、翌朝からまた昨日とは全然違う1日が始まるのです。

よく寝て、よくおっぱいを飲み、よく笑う赤ちゃんでした♪

次回は長女誕生編、最後の「その④長女産後編」です。
お楽しみに~(*^_^*)



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