ももちゃんの思い出⑪ ~旅立ち~ | 毛玉とか旅とか

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人生は毛玉とともに。

腎不全からの口内炎のせいで、食べられなくなった2月。

腎臓への負担があるのは百も承知でしたが、ステロイドと抗生剤を投与することにしました。

 

まずは食べられるようになって体力を回復してもらいたかったのです。

経口薬への抵抗が凄まじかったため、皮下注射。

なんとか回復してもらいたいと祈りました。

 

でも、もう体は何も受け付けなくなっていたようで、3月に入ってからはどんどん痩せていきました。

 

 

3月7日の様子。

この日まではこうして座ることが出来ていました。

 

歩くこともできなくなった次の日、ベッドに入ったらドスンという音が。

私と一緒に寝たかったようで、ソファーから降りようとして落ちた音でした。

 

駆け寄り、「ごめんね、一緒にねんねしましょう」と抱っこをしてお布団の中へ。

口内炎のせいでお口がかなり臭くなっていましたが、腕枕で寝ている姿を見ては愛おしさでいっぱいでした。

 

 

弱々しくなってしまっていても、私の声がすると尻尾をパタパタ振り、大好きと伝えてくれました。

 

 

見守りはなんてんくんのお仕事でしたが、7日を境によもたんも近くにいてくれるように。

何かを感じたのかもしれません。

 

 

亡くなる前日のこの表情が忘れられません。

少しお買い物に出た私が帰宅したら「おかえり」と迎えてくれたのです。

 

9日から排泄物と体液が出てしまい、しょっちゅうお尻を拭いたり洗ったりしてあげる必要が出てきました。

 

11日の午前1時半。

連日残業続きの夫が帰宅し、お風呂に入っていたときのことです。

 

ももちゃんのお尻が汚れてしまったため、温かいお湯で洗ってあげてと夫に手渡しました。

洗面器にお湯を入れ、夫が洗っている間、しっかりと「にゃー」という声が。

声はだいぶ前に出なくなっていたはずなのに?と思ってお風呂場に行くと、すでに首ががくんとしているももちゃん…。

 

大好きなパパに抱っこされ、温かいお湯で洗ってもらって気持ちよかったのでしょう。

あの声は「ありがとう」なのだと思います。

 

夫は「さっきまで尻尾を振っていたのに」と絶句。

でも「苦しまずに旅立てたね」とギュッと抱きしめていました。

 

お尻周りがびしょびしょのももちゃんを受け取り、泣きながらドライヤーで乾かしました。

夫の誕生日にすっと旅立つ、ももちゃんの思いを感じました。

 

 

乾かした後はいつも使っていたバスタオルでくるんであげました。

まだ寝ているだけのようで、信じられない、信じたくないという気持ちでした。

 

一緒に暮らして4年にもなっていなかったですが、たくさんの愛情をくれ、笑顔の源になってくれた宝物でした。

 

 

みにゃさん、私を愛してくださってありがとうございました!!

 

 

※とても久しぶりになりますが、コメント欄を開けます。

どうかももちゃんにお気持ちを寄せてくださいますと幸いです。