自分を好きになった今だからわかること。その1

 

自分を嫌いだった頃の私が知らなくて、

自分を肯定できるようになった今

わかるようになったことを書きたいと思います。

今、自分のことが嫌いで、

かつての私と同じような気持ちを抱えている人に、

何かのお役に立ちますように・・。

 

今日はまずそのひとつめ。

 

桜傷つくかどうかは自分で選べる桜

 

私は、自分で自分のことを嫌いだった頃

傷つくことをとっても恐れていました。

 

人は私を傷つける存在。

だと信じていました。

傷つくことに関して

「他人が一方的に私のことを傷つける」

って思っていました。

けれど、今は分かるようになりました。

 

傷つくかどうかは自分で選べる。

(もちろん集団によるいじめや虐待などは論外)

 

他人は決して

「一方的に」

「本当の意味で」

私を傷つけることはできない。

 

チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄 チューリップ黄

 

自分で自分のことを嫌いだったころ

人の言葉にいちいち敏感に反応し

人の言葉にいちいち風に揺れる柳のように揺れていました。

 

自分で自分のことが嫌いで、生きているだけでへとへとなのに

これ以上、誰かに否定されたら生きていけない。

否定されたくない。

嫌われたくない。

いつもそんな気持ちで

常に人の言葉や態度に敏感に反応していました。

 

今なら分かります。

 

私は

自分の価値を低くしすぎていました。

自分のことをあまりにも信じていませんでした。

言い換えると

人の言葉を信じすぎていました。

人の態度を信じすぎていました。

 

背が高くて悩んでいる人が、

「あなたって背が小さいわねえ・・」と

どんなに落胆の声で言われたところで

傷つくことはありません。

的外れなことを言われているとすぐにわかるからです。

お金がなくて

「今月どうやって暮らしていこうか・・」

って悩んでいる人が

「お金があるからって調子に乗っている」

なんて批判されても、

とんちんかんなことを言われていると思えるので

傷つきません。

 

言いがかりをつけられた・・という意味では

気分が悪くはなるかもしれませんが

心が傷ついたりはしません。

 

「自分の中で、自分をそう評価している部分」と、

「相手が言った部分」に

(真意はともかくとして相手が言った言葉の中に含まれているニュアンス)

自分が何かしらの同意を持ってしまうときに、

心は傷つけられたと感じてしまうんです。

 

その意味で、今から思えば

私は人の言葉に価値を置きすぎていました。

自分のことを

とにかく価値のない人間だと思い込んでいたために

どんな些細な批判でも

どんな些細な言葉でも

どんな些細な態度でも

すべてに

そのとおり!

おっしゃるとおり!

ごもっとも!

って同意してしまっていたんです。

 

だから怖かったんです。

人の言葉が。

人の態度が。

 

 

当時の私は

自分のことを、どこをどう考えても

ありのままの姿で承認することはできませんでした。

 

子供じみた思いを抱えたままの私。

幼稚な気持ちを隠している私。

甘えたい気持ちを内包している私・・・

そんな自分を知っていました。

だからこそ、

そんな自分を見せたら終わり

本当の自分を知られてしまったら嫌われてしまう!って

いつもびくびくしていました。

 

そのため、

表向きは仮面をかぶって

誰からも、人に責められないようにいつも

自分で自分のことを防御していました。

本音を隠し

人に合わせ、

人の気分を害さないこと

人から嫌われないこと

に、最大限心を配っていました。

 

そんな私だったからこそ

他人が言った何気ない一言に

簡単に同意してしまって

簡単に傷ついてしまっていたんです。

 

さらに、そうやって

一生懸命に取り繕って隠している

自分の本性を、いつか誰かに見透かされてしまうんではないか・・って

いつもおびえてもいました。

 

だから、人が何気なく言った一言に

自分の本性を見破られたり

隠しているだめな部分を

責められたような気持ちになって

過剰に反応してしまって

落ち込んでしまっていました。

 

さらに自分の批判癖から、

人は私のことを

悪く解釈する存在だって信じていましたから、

相手が何気なく言った一言に対して

「ほらやっぱり!私のことを悪く思っている!」

って、悪いほうへ悪いほうへ解釈してしまったりしていました。

 

人の言葉に自分の気持ちを重ねてしまっていました。

自分の中の気持ちを外に写して、

他の人が自分をまるでそう感じているかのように感じていました。

 

洗わなくちゃと思いつつ

そのままにしてあった食洗機の中をのぞいて

夫が何気なく言った

「このお皿って洗ってあるの?」

っていうひとことに

自分のだらしなさを責められたような気持ちになって

激怒してしまったことがあります。

 

もっとちゃんとしていたい。

もっとしっかりしていたい。

でもできない自分。

だめな自分。

そう感じていたために、

夫のたったそれだけの言葉に

私の駄目な本性を見透かされたかのような気持ちになって

「そんなに私を責めないで!」

と、激怒。

唖然とする夫。

 

まさかそれが

自信のない自分の心の映し出しだとは

気がついていなかったために

何気ない夫の一言にでさえも

「私なりにがんばっているのに認めてくれない」

「私のことを責めている」

と感じてしまって

傷ついていました。

 

すべてがこんな調子・・・

 

心許せるはずの夫にでさえ

本性を暴かれないように・・

責められないように・・って

どこかで身構えてしまっていたくらいですから

ましてや他の人の態度や言葉は

簡単に私の心を

ずたずたに引き裂く刃(ヤイバ)となりえるものでした。

 

そして当時もうひとつ、私を苦しめたものがありました。

それは

 

私のことを理解してくれない人への悲しみや怒りです。

 

幼い頃から自分の本心を隠して、

本当に感じたい気持ちを感じてこなかった私には

誰かに自分のことを理解されたいという幼児性が

大きく残されたままになっていました。

そのため自分を確かな形で理解してくれない人に対して、

心の奥底に抱えた悲しみと怒りを持っていました。

 

いつも心が誰かに理解されたがっていて

「こういう風に自分のことを思ってもらいたい」

「こんな風に自分のことを分かってもらいたい」

という願望を抱いていました。

だから、相手が

そんな私の願いと離れた発言をすると

それは悲しみや怒りとなって、私を襲いました。

 

たとえば・・

つらいことや悩み事があって眠れなかった翌日。

「あなたって幸せよね」

と言われただけで、激しく傷つきました。

「私のことを何もわかっていないのにのん気なことを言われた」

と・・・。

被害者みたいな気分になっていたんです。

 

相手はただ単に自分の率直な感想を言ったに過ぎません。

けれど、私の中の

「理解されたい・本当の私をわかってほしい。知ってほしい」という

激しい衝動のせいで、

相手の一言を自分の中で勝手に悪い方に解釈して

「あの人は私のことをわかっていない。

なのにわかったようなことを言って・・ひどい人」

という図の中にあてはめてしまっていたんです。

勝手に。

 

チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫 チューリップ紫

 

私は自分で自分のことを好きでなかったために、

人の言葉や態度にいちいちゆれてびくびくしていました。

でも今ならわかります。

その言葉に私が同意しない限り、

他人が本当の意味で私を傷つけることはないんです。

でも、そこに自尊心を抜いて、その言葉に同意してしまえば

私の心を私が自分で傷つけるんです。

私が自分で同意して傷つけることは簡単です。

私の選択なんです。

相手の問題ではなく

私側の「自分像」との問題なんです。

 

もちろん、

もやもやした気持ちになるようなことは今だってあります。

けれどそれは、傷つくのは違います。

「わかってもらえなかった残念・・」

「そんなことないのになあ・・。誤解されちゃったのか~。あちゃ~」

さまざまな思いがわきます。

けれど他人にわかってもらえなくて傷つくということは

今はありません。

 

怒っていいし、悲しがっていいし、残念がってもいい。

でも傷つくことは選ばないようにしたいと思っています。

 

クローバー クローバー クローバー クローバー クローバー クローバー クローバー クローバー

 

自分で自分のことを好きになった今は

人にほめてもらいたいとか、認めてもらいたい、

ましてや分かってもらいたいなんて

思わなくなりました。

 

もちろん褒められたら嬉しいし、

理解してもらえるなら嬉しいです。

 

でも、そうしてもらえないからといって

傷ついたりはしません。

 

私だって人のことは分からないし、

相手も私のことを分からなくて当然。

だからこそ分かり合えることがあったら嬉しいって

心から思えるようになりました。

 

 

はじめてお越しくださった方へ

最初から自分を好きになろうとしないでくださいね。

私は最初にいきなり自分を好きになろうとして苦しみました。

まずは自分を好きじゃない自分を許すことからはじめてください。

私が変容してきた過程については、詳しくは

過去記事をご参照ください虹

お越しいただき、ありがとうございますハート

 

 

 

 

 


アダルトチルドレンランキング

ランキングに参加しています。

ぽちっとよろしくお願いいたします。

ぺこり

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 生きづらさへ
にほんブログ村

たくさんの人が自分を好きになれますように桜