自分の心と他人の心の間に

境界線を引くことについてお伝えしています。

 

今日はその3回目です。
 

*ものすごく長文になっちゃいました。

 もっと簡潔にまとめたかったんですが

 力及ばず汗

 
 

自分の心と他人の心の間に境界線を引くには
互いの世界を同じように尊重することが大切です。

 

ポイントは同じように・・というところです。
 

そのためには大事な大前提として
 

自分の気持ちを大事にしていい。

と気づくことが大切です。

 

そしてそのまた大前提となるのが

『 自己受容 』です。
 

自分の心を満たす前に
他人の心を満たそうとしてはいけないんです。

ということを

お伝えし忘れていたことに気づいたので
そのことについてお伝えします。
*後戻りみたいな感じになってしまってごめんなさい。
 でもとっても大事なことなので・・。


自分の心を大切にしないで
他人の心だけを大切にすると

相手の言葉や態度が

やすやすと自分の心の中に侵入してきて、
生きることが苦しくて辛いものになってしまいます。
 

自分の心を受容し、大切にすることなしに

境界線を引くことは決して出来ないんです。

自分の心と他人の心との間に境界線を引く
その3
 

星自分の心を満たす前に

 他人の心を満たそうとしてはいけない星

私は自分を嫌いだった頃、
自分の心を大切にすることは

わがままなことだ。
と、ずっと信じていました。

自分の心に

素直に行動してはいけない。


それは

自分勝手なこと。
迷惑をかけてしまうこと。
嫌われてしまうこと。
 

そう信じていました。

子供のころから
周りの音を聞いて

(態度や言葉に耳を澄ませて)
周りの人の気持ちを忖度したり、
思いやることこそが、
自分を幸せにしてくれることだと
学んできたからです。

 

自分の心よりも他の人の心を

大切にしようと努めていました。

それが大事な事だっていう
言葉が社会にも溢れていました。

 

「相手の気持ちを

 思いやって行動しましょう。」

「相手のニーズを汲むことが

 成功の決め手です。」・・etc

 

そんな風な言葉を

たくさん目にしたし、聞いてきました。

だから
ますます確信していました。

(まさかそれが自分の心も大切にしている前提で

 語られているなんて・・全然気づきませんでした。

そしてそう行動することこそが
やさしさだ。思いやりだ。愛情だ!
って。

実際そう行動すると、

人からも喜ばれました。

けれど・・

 

生きていることが全然

楽しくありませんでした。

周りには楽しそうに生きている人が

たくさんいるのに。
どうして私はこんなに苦しんだろう・・

そう思っていました。

いつも自分の本当の気持ちを

押し込めて制御していました。
言いたいことが言えませんでした。
人からの誘いを断ることが出来ませんでした。

 

自分の心よりも他の人の心を

大事にし過ぎていたからです。

そもそも私には
自分の心の中から湧いてくる

本当の気持ちに耳を傾ける習慣

そのものがなかったんです。

いつも外側ばかりを見ていました。


そのため気づいたときには
自分のことが分からなくなっていました。
本当は何が好きで、

何が嫌いなのかさえ分からなくなって、
自分軸を完全に失っていました。

そのことがますます

自分嫌いを加速させました。


黄色い花    

他人の心を思いやることは

もちろん大切なことです。
 

でも、それ以前に

自分の心に耳を傾けていい。

自分の心を大切にしていい。

という許可を
自分の中におろすことが大切なんです。

そしてその大前提となるのが
『 自己受容 』です。

自分の存在を受容してあげる。
心の中から湧いてくる思いを受容してあげる。
そんな姿勢が

心の声に耳を傾けるためには必要です。

 

自分の心を大切にすることに

罪悪感を感じているあなたへ

自分を好きになって、

心の境界線を引くためには、

『自分の心を大切にしていいんだ』という

許可が必要です。
『自分で自分の心を満たすんだ』という

決意が必要です。

自分に愛を送っていいんです。
もう愛し始めていいんです。
 

今どんなに未熟だと感じても、
どんな後悔を抱えていても、
誰に何を言われたことがあっても、
あれが足りない、これが足りない・・っていう
たくさんの思いが湧いてきてしまっても、
それでも自分をそのままの姿で

『愛していいんだ』という気づき

が必要です。
 

 そう思えないのは痛いほどに分かりますあせる

 私も長いこと苦しんだことなので・・
 「愛してください」ではなく、

 「愛していいと気づいてください」です。

本来自分で自分を好きになるのに

許可は要らないんです。
こんな自分になれたら、

こんな風に行動できたら愛していい。
あの人にあんな風に扱われているから、

まだ愛することは出来ない。
・・それは全部自分が決めていることなんです。

星 唐突なたとえ話が始まります。

   お許しください。  

あなたは心の中に

一つのコップを持って生まれました。
その中にはなみなみと

自分への愛が注がれていました。
 

そのままのあなた・・
どんなに

未熟なところがあったとしても、
至らないところがあったとしても、
欠けたところがあったとしても
それでも

そのままの姿で愛して良いのだという
『自己愛』
が入っていました。

あなたは許されたんです。
その姿でこの世に生まれることを。
 

あなたがあなたであることが

必要だから
あなたに生まれたんです。

星  例え話・・続きます・・
 

人は誰でも自分の心の中に
自己愛が入ったコップを持って生まれます。

けれど自分を好きになれない人は
成長する中で、コップの中の水を
周りの人に愛されるために

汲み出してしまった人なんです。

幼い頃に

自分らしくあることを

許されなかった人なんです。

もっと愛されたい。

もっと愛されたい。
そう願って、

周りの人の音を聞いて、

相手の心を忖度して、
自分らしさを、

外へと外へと

汲み出してしまった人なんです。
 

クローバー
 または

 大人からの期待を背負って
 その道を

 歩かされてしまった人かもしれません。
 ありのままでは愛さない。

 あなたのままでは許さない。
 そんなメッセージを

 知らず知らずのうちに受け取って
 他人の意向でコップの中が

 満たされてしまったのかもしれません。

 

 さらには

 他人がコップの水に手を伸ばして来て

 強制的に汲みだされてしまった人だって
 いるかもしれません・・。


 いずれにしても、そのことで
 自分らしさを失ってしまったんです。


自分の本当の心の声に

耳を傾けてこなかったために、
心の中の水が
自分らしさが、自分への愛が、
渇いてしまったんです。

そのことで自分のことが

嫌いになってしまったんです。

 


自分を嫌っている赤ちゃんはいません。
小さい頃、大人になったら
何にでもなれるような気がしていたのは
自分への失望を知らなかったからです。
自分という人間像が見えていなかったからです。
無限の可能性を自分に感じていたからです。

本来

そんな存在として生まれたはずでした。
誰もが自分への愛でキラキラ満ち満ちキラキラでした。

でも自分を愛せない人は
その愛が今は渇いてしまっているんです。

心の中の渇きは、

余計に視線を外側に向かわせます。

どうにかして、

誰かに水を分けてもらいたくなります。

 

渇いたままの心では苦しいからです。
 

他人からの賞賛や承認が、
心の渇きを潤してくれるような気がします。
 

人から受け入れられそうな言葉を

選んで発言してみたり
人から喜ばれそうな行動を

取ってみたりします。

そして求めていた承認や賞賛が届くと

一瞬、心が潤うような気がします。

けれど、それらは全部偽物・・・・。

本当の自己愛ではないので、

またすぐに渇いてしまいます。

 

 

星   
本当に心の中の渇きを潤すには・・

自分で自分の心の中をもう一度
満たしていくしかありません。
一滴一滴・・
自分らしさを自分で
取り戻していくしかありません。

そのためには
心の声に耳を澄ませていくことです。
そして

聞こえてきた思いを
「受容」してあげることです。

本当は何が好きなの?
本当はどうしたいの?
本当の気持ちは・・・?
自分に聞いてあげることです。

 

小さなことでかまいません。
本当にこれが食べたい?
本当にこの色が好き?
本当にこれを買いたい?
本当に今そうしたい?

そして実現可能な範囲で

なるべく本当にさせてあげることです。
 

特に“わくわくすること”は

本当のあなたにつながっているという

明確なサインです

 

そんなことを繰り返していくと、いずれ、

  自分はこれが好き。こう考える。こう感じる・・

  という自分軸が立ち始めます。

そして、

たとえどんな言葉が聞こえてきても、
それをジャッジせずに受け止めてあげることです。

あれがしたくない。
これもしたくない。
これが嫌い。
ほんとは嫌い。
みんな嫌い。

もしもそんな風に
マイナスに思える言葉ばかりが

聞こえてきてしまっても
それを否定せず

聞いてあげることです。

うん。うん。
そう感じているんだね。
うん。うん。
そうだよね。

そう感じてしまうのは仕方ないよ。
うん。うん。
そうだよね。そうだよね・・・って。

 

思春期、反抗期の子どもが

せいせいと親に向かって

「くそババア」と言えるのも、
小さな子が、

わがままを盛大!に発揮できるのも
“誰かがそのままの自分を受容してくれる”

という安心感があるからです。

あなたには

そんな経験が無いのではないですか?(私もです汗
どんなに駄目なところがあっても
そのままのあなたが大好きだよ!
っていうまなざしを

向けてもらえなかったのではないですか?

そんな安心感やまなざしが

本当は欲しかったんではありませんか?

どんな醜態をさらしても、
この人だけは自分を愛してくれる。
そんな人の存在を

今も探しているのではありませんか?

 

もしもそうなら

虹

今、大人になったあなた自身が
そんな存在になってあげてください。

 

今も心の奥の暗闇で

悲しい気持ちを抱えたままの

小さかったあなたを包む・・

そんな存在に。

 

なっていいんです。

愛してあげていいんです。

受け入れてあげていいんです。

 

必要があるんです。
「今のままのあなた」が

「あなたが過ごして来た過去」が

誰かに受容される必要があるんです。

それを他人にしてもらえないのだとしたら
自分がしてあげる必要があります。

 

それには

『 決意キラキラ

が必要です。
 

大丈夫です。辛い決意じゃありません。

幸せのはじまりですキラキラ



星    
コップの中の水が満たされたとき

自分はこの自分のまま

この世界に存在していていいんだ
っていう安心感が生まれます。

そしていつかその水が

満タンになって溢れ出したとき、
他人のことを思いやる

気持ちの余裕が生まれます。
 

溢れた分なら、

気持ちよく人にあげることが出来るんです。
人に優しくしてあげようという気持ちになります。
自然になります。無理しなくてもなれます。

 

そしてもしも、
自分のコップの中に
誰かが手を突っ込んできて、
それをよこせといったら、
それは守るべきものとして
自分で守ろうとすることが

出来るようになります。

同じように
他人のコップの中の水も
他人らしさなのだから

大事なものなんだと
自然に思えるようになってきます。

相手の世界も自然に尊重出来るようになります。

 

むやみに他人のコップの中に

手を伸ばしてまで水を欲しがってみたり、
自分の水をくみ出してまで
他人に分け与えなければならない。
そんな気持ちにならないでいられるようになるんです。


自分の心の世界が

大切だと思えるからこそ
他人の世界も同じように大切なんだ

と思えるようになるんです。

それこそが
自分の心と他人の心の間に

境界線を引くことになるんです。

大丈夫です。
自分の心を大切にしても、
わがままになんかなりません。
自分勝手になんかなりません。

むしろ

他人の存在のあり方をも受容できる
やさしい人になれます。

星    
いきなり例えがコップの水で始まって、
飛躍しすぎているように感じてしまったらごめんなさい。

大事なことなので繰り返させてください。
自分のコップの中の水が満タンになることで、
他人の中の水も大切だと思えるようになるんです。
自分の心を満たすほうが先なんです。

自分の心の中が満たされていないのに、
コップの中の水がからからなのに、
それを他人に分け与えるのを

当然のこととしてはいけないんです。
「もっとよこせ」っていう他人からの要求を
受け入れてはいけないんです。

それでは生きるのが辛くなってしまいます。

心が渇いているんです。

まずは自分らしさの欠乏を

満たしてあげる必要があるんです。
そのためには
心の声に耳を澄ませてあげる事が大切です。
自分らしさを、自己愛を

取り戻していくことが大切です。

それにはどうしても

『 自己受容 』が必要です。

でも激しい自己嫌悪が

湧いてきますか?
そう思えませんか?
こんな自分のままじゃ駄目だって

思っちゃいますか?
あそこがたりない。ここが足りない・・

湧いてきちゃいますか?
そんなのきれいごとじゃない?

って思っちゃいますか?

いいんです。
そう思うならそう思う自分を

受け入れてあげてください。

そう感じていいんです。

信じられない。
やすやすとそんなこと信じられない。

あなたの心が

そう叫んでいるということを
受けいれてあげることから

はじめてください。

そうだよね。
信じられないよね。
そんなこと出来っこないよね。
そう思って当然だよ。
仕方ないよ。
そう受け止めてあげてください。

どんな感じがしましたか?

他にもこんな気持ちが

湧いてきませんでしたか?

だって

心に浮かんでくるマイナスな気持ちを

肯定したり受け止めたりし続けたら
もっとひどい人になっちゃう・・
もっとだめな自分になっちゃわない??・
ダメでしょ。そんなことしちゃ。

・・例えばこんな風に
自分をジャッジするような考え
が浮かんできませんでしたか???

そのジャッジこそが

いらないことなんです。

本当はこう感じたいけど、
でもそう感じてしまったら

こうなってしまうから・・
今はこう感じておこう。
こう考えておこう・・・・

いつもそうやって
自分の素直な感じ方を押し込めて

制御して来たんではないですか?
自分を責めてきたんではないのですか?

そしてその結果、
今、生きづらいのではないんですか?

その生き方を

もうこれからはやめていいんです。

 

それは今までの自分を守るために

身に着けてきた習慣なんです。

今までは必要だったんです。

だから感謝して手放していってください。


自分の心の中から聞こえてくる言葉を
そのまま受け入れてあげていいんです。

まずはいいんです。

メモ

 だからといってもしも、心の中から
 あれをやってしまいたいという
 犯罪につながるような思いが湧いてきたら
 それを実行してもいいということではもちろんありません。
 それはそんなことをしてしまいたくなるくらいに辛い
 という心の叫びなんです。
 それをいったん受け止めてあげてください。
 そう感じることをいったん許してあげてくださいということです。


その思いにジャッジをはさまずに、
そう感じてしまう自分を

受け入れてあげてください。
その後で、

どのような存在のあり方でも
自分を許したその後から

思考は整えていけるんです。

どんな感情も

いったん受け入れてあげるから、
また新しい思考を選べるんです。

悲しいことがあったときに、
思いっきり泣けるから、
泣き終わった後に

また元気になって
違う思考が選べます。

けれど、

泣きたいほどの強い感情を
感じること自体を

我慢してしまったら
その感情を

持ち続けたままの状態で

留まってしまいます。

感情は感じることを抑制すると
心の中に長く居座り続けます。

湧いてくる思いを
いったん受け入れたその後で、
でもこの感じ方は

どっから来るのかな?
この感じ方の元になっている

観念は何かな?

まだその観念って必要かな?

これからも持ち続けたいかな?・・
というふうに選べるんです。
 

本当にそれでいいのかな。
他の考え方はないのかな。
それで私は幸せなのかな。
これからもこの考えを持ち続けるのかな?

思考を“心地よい”と感じられる方向に

後から選びなおしていけばいいんです。

思考は後からいくらでも

選びなおせます。

 

星
心の声に耳を傾けて、

自分の心を大切にしようとすることは
自分に愛を贈る行為そのものです。

心深くに愛が届くとき、
心が満たされていきます。

失ってしまった自分らしさが

一滴一滴戻ってきます。

 

自分で出来ます。

自分にしか出来ません。

 

そしてそれは

今すぐに

どこにいても

誰にでも

始めることが出来ます虹

 

つづく

(つづきはこちらです☆)

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました星

 

たくさんの人が

自分を好きになれますように・・。

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