やさしい風がくる部屋☆玉川学園前のセラピスト

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最近不調がつづいていた方も多いとおもいます

今週あたりから抜けていくと思いますよ!

 

雨から避難させた薔薇たちです

 

なぜ人生がうまくいかないのか疑問におもったら

 

名前を見てみるといいかもしれません

 

解決法が隠れています

 

名前には私たち自身の本質が

 

生まれてきた目的が埋め込まれています

 

 

迷ったら

 

名前にもどる

 

そこに答えがあるかもしれません

 

 

お久しぶりです

 

元気ですか?

 

私は元気ですよ

 

今日はお知らせがあります

 

このところ少々多忙になってきているので

 

当面の間セッションは

 

これまでお受けになったことがある方

 

もしくはご紹介のみとさせてください

 

コロナがおさまるまでセッションは

 

EFT、フラワーエッセンスとも

 

ビデオチャットかメール、文字によるチャットとなります

 

不便な世の中ですがこれもまた意味のあることなのでしょうね

 

みなさんトンネル通過中ですか?

 

きっと出口は明るいですよ

 

 

 

ちょっと前に撮った近所のコスモス畑です

 

ではでは以上よろしくお願いします

 

自分の感情を知る、と

自分を大切にする、と

昨今の啓発本ではさかんに言われています

外の世界をどうこうするだけでなく

内なる世界に目を向ける動きが

どんどん高まっているのでしょうね

 

自分を知る、には

ただ観るだけでいいのだとおもいます

 

その感情に名前をつけなくてもいい

あるままの状態を

「ジャッジせず」

「ふんわり」フォーカスする

 

でも

それがむずかしい 笑

人間は目をそむけてしまったり

ちゃんと観る前に頭で勝手に解決法を

見つけて行動に移してしまったり

します

 

でもずっと問題は起こりつづけますよね

それも同じ問題が

 

なぜなんでしょうね

とんでもないものが見つかると

思っているのでしょうか

 

心や体は

ただいっしょにいて欲しいと

思っているのだとおもいますよ

本当にいっしょにいられたとき

心や体がふっと

軽くなるとおもいますよ

 

 

 

愛し合いなさい、 

しかし愛をもって縛る絆とせず、 

ふたりの魂の岸辺の間に 

ゆれ動く海としなさい。 

杯を満たし合いなさい、 

しかし一つの杯から飲まないように。 

ともに歌い踊りよろこびなさい。 

しかしそれぞれひとりであるように。 

─ハリール・ジブラーン『予言者』より神谷美恵子訳

 

 

 

レバノン出身のキリスト教徒

ハリール・ジブラーンの『予言者』の詩の一節です

共依存なんて言葉が20世紀になって生まれる前に

彼は「愛のあり方」について語ってくれていたんですね

私たちは愛という名のもとに

往々にしてしがみついてしまったり

嫌われてしまうのが嫌で

自分からつっぱねてしまったり

なんかギクシャクしてしまいます

 

リンドバーグ夫人も「海からのおくりもの」で

関係はダンスをするように、と書いていましたね

もたれかかったり、一方的に相手をふりまわしては

楽しくダンスができません

相手が一歩ふみだしたら

一歩さがり

横にずれたら

いっしょに横にうごく

それも楽しく

ときに離れて自由に動いたり

ターンしたり

また手をつないだり

 

二人のあいだにあるもの

~どんな関係でも~

そこを花園やほっとあたたかい場所にできたら

関わり合いながら

嘘なく、でも楽しく生きたいですね

 

 

先週あたりから

 

獅子座の気が入ってきましたね

 

毎年の注意喚起ですが

 

街中で歩きにくくなってきているとおもいます 笑

 

気温のこともあり

 

血気盛んに突き進む

 

そのことで衝突が多くなってきます

 

お互い気をつけたいですね

 

いっぽうで自分を主人公にして突き進む

 

人生を楽しむ

 

そんな時期でもあります

 

人に迷惑をかけずにそれを追求することは

 

可能です

 

じっと心を見つめたいですね

 

わたしもそんな時間が必要です

 

じっと気持ちをみつめたいとおもいます

 

そのとき「判断して」「対策を講じようとしない」ことです

 

悲しい  だから 明るくならなきゃ

 

とか

 

怒っている だから 落ち着かなきゃ

 

こうすると どんどん心はその気持ちを増幅させます

 

心が落ち込んでいるなら

 

罪悪感があるなら

 

さみしさがあるなら

 

その気持ちを認めて

 

じっと見つめることが

 

心といっしょにいることになります

 

心はそれが必要なのです

 

わたしたちが自分にできる

 

とっても大切なことのひとつです

 

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こんばんは

 

お久しぶりです!

 

私は元気ですよ~!

 

 

今日はフラワーエッセンスの不思議な効用について

 

お話ししようかと思います

 

フラワーエッセンスは、感情や体の症状に対して

 

直接働きかけることも多いのですが

 

ときに改善や解決の方法に導いてくれるという

 

効用もあります

 

たとえば腰痛がある人がいたとします

 

腰痛に関するエッセンスを飲んでいて

 

痛みが引く場合もあります

 

いっぽうなかなか治らないなぁとおもっていても

 

話していた友人がいい治療院を紹介してくれたり

 

ふと良さそうなベルトの広告が目に入ったりするんです

 

治った人に会ってその改善策を聞いたりね

 

その改善策や解決策は、おおーこれは!と目からうろこのものもあれば

 

前にも聞いたことあるなぁというものもあります

 

でも試してみると、ああこれだったのか!と思うときがあります

 

おそらく「どうやったら治るんだろう」って思うたびに

 

宇宙がホイっと改善策を目の前に投げていてくれているんですけど

 

そのときはピンとこなくてスルーしちゃったんでしょうね

 

ほんとうにほんとうに困ったとき

 

わらにもすがるような気持ちで飲んだエッセンスが

 

ほんとうの解決策に導いてくれると気がありますよ

 

そしてそれが目の前に投げ出されたときに

 

素直に手にとって試してみることが大切です

 

治る準備ができていれば

 

それが解決策です

 

 

ふきのとうのエッセンスもあります

詳しくはサイトでごらんください

www.love-light-joy.com

 

 

なんだかとっても久しぶりのブログです

 

ビデオチャットでのセッションが続いていますがが

 

うちは通常営業です

 

 

これから梅雨ごろまで花の季節がつづいて

 

そわそわしてきます

 

近所のあちこちに花のチェックポイントがありますからね

 

 

 

 

さて今日ご紹介するのはシンディー・ローパーの歌

 

Girls Just Wanna Have Fun  (1983)

 

です

 

数年に一回なんどもなんども繰り返し聴いて

 

しみじみいい曲だなぁと感じいっています

 

ミュージックビデオはこちら ↓

 

 

 

 

 

 

シンディも、ビデオの中の女友達もみんな可愛い

 

ただ楽しみたい

 

太陽の下を歩きたい

 

そんなメッセージがなぜか年始からぐっと沁みます

 

この曲を今年のテーマソングとします!

 

 

年末年始に世界中であいさつのメールが集中したからか

 

Gmail 同士だとメールが届かないことがあったのですが

 

もしお送りくださって私からの返事がなかった方がいらしたら

 

すみませんけどもう一度送ってみてくださいね

 

 

 

苦手をとおりこして

 

嫌いな人

 

いるんではないでしょうか

 

だれだってね

 

いるとおもいます

 

なんで嫌いなんでしょうね

 

なんでわざわざ嫌うんでしょう

 

世の中にこんなに沢山ひとがいるのに

 

なんでその人だけ?

 

どうしても許せなかったり

 

どうも虫がすかなかったり

 

いろいろ理由はあるとおもいます

 

でもねおもうのは

 

嫌いというきもちをどうにかすることで

 

ものすごい幸運が向いてくるってことなんです

 

そこでね幸運が欲しいから好きになろう

 

っておもっちゃいけないんですね

 

嫌いで嫌いで

 

もうどうにもならなくて

 

じぶんがつらいから嫌いになるのをやめよう

 

っておもうのがミソなんですね

 

そのときにね

 

パーっと道がひらけてくるんです

 

嫌いに固執することで

 

どれだけ停滞するかってことが

 

わかるんですね

 

すーーっとエネルギーが入ってくる

 

積極的な許しにいくまえに

 

嫌い をやめてみる

 

嫌いなきもちをよーく観察して

 

あきらめたときに

 

道がひらけてくるんだとおもいますよ!

 

 

 

幸せであろうと人は

 

いっしょけんめいにあれこれします

 

その一つが共依存的な”与える” という行為です

 

何かを得るために与えているのですが

 

ありませんか

 

こんなに頑張っているのに

 

こんなに尽くしているのに

 

何も返ってこない

 

私ばかり損してる 

 

だから与えるのをやめよう

 

もっと勝手に生きよう

 

 

ってこういう思考回路ですね

 

世の中はいまこういった考えがまん延して

 

何かを得るために与えていたり

 

自分さえよければいい

 

(それもどこかでだれかの何かを奪っているのですが)

 

というふうになってしまっています

 

これって多分日本やアジアに古来あった考え「じゃない」んじゃないかなあ

 

とおもうのですが

 

その話はまたこんど

 

自分さえよければいい

 

は自立と似ているので

 

一件解決策のようにみえますが

 

でも実は孤立や孤独なんですね

 

与えてもつらい

 

孤立してもつらい

 

じゃぁどうすればいいの?!となりますが

 

そこで疲れ切ったときにでてくるのが

 

真実の愛

 

なんですね

 

何も与えなくていいし

 

守らなくていい

 

ただ自分と相手の幸せを祈る

 

その祈りの行為が本当の愛なんですね

 

本当の愛がじぶんのなかに

 

本当の平安なスペースをつくるってくれて

 

与えていたときや孤独なときにはなかった

 

じぶんだけのスペースが生まれます

 

そのスペースは一見ちょっとさびしそうに思えるかもしれませんが

 

自分の中はけっきょく自分しかいられないので

 

依存や奪い合いで侵略しされていた自己のなかに

 

ほんとうの自分のスペースができます

 

そこをストーブみたいに暖かくやさしい炎を絶やさずにいれば

 

自然と人も寄ってくるし

 

本当のコミュニケーションや関係も生まれます

 

相手の幸せを願うこと

 

自分の幸せも等しく願うこと

 

何かを得るためでもなく

 

ただ祈る

 

そこで作り上げられるのが本当の世界じゃないかとおもいます

 

でも自分が平安になるために

 

とっとと相手の幸せを願っちゃおうというのは

 

さいしょのうちは効果がありますが

 

そのうち効かなくなります

 

相手も自分も等しく平安であるために

 

祈らないといけないんですね

 

ほんとうにエネルギーは正直だなぁとおもいます

 

こうして私たちは真実の愛を学んでいくんですね

 

私だってまだまだ途中ですよ

 

真実の愛に戻ってはまた離れ

 

また降参してもどってきます

 

そんな感じです