#14 時の川

樹木希林さんが亡くなった。
私などには、悠木千帆、という響きのほうが懐かしい。
ドラマ「時間ですよ」のハマさん、だった。
また、「寺内貫太郎一家」の、きん婆ちゃん、でもあった。

この所、親しんだ芸能人、著名人の人が次々に亡くなっていく。
しかもそれが次第に加速しているような気さえする。

それはつまり、私自身が老いたからなのだ、ということに、この頃ハタと気がついた。(今頃かい)

考えてみれば、私は、自分を川岸に置かれた定点カメラであるかのような気分で生きてきた。
目の前を時間の川が流れ、そこを過ぎていく見知った人達を眺めては、ああ誰々も老けたな、誰々は亡くなったか、などと、まるで自分は時間の外に居るかのような気分で居たが、気がつけば、そんなことはなく、私も一緒に時の川を流れていたのだった。

流れるほどに、私も老い、やがて死ぬ。
それもそう遠いことではないんだなと、ちかごろ皮膚感覚でそう感じるようになった。

しかし思うに、この川の先は一体どうなっているのだろう。
流れの果てに、なにか生死を分ける滝のようなものでも有るのだろうか。
その滝に、ひとり、ふたり、と呑まれて落ちていくのが、死というものなのだろうか。

だとすれば、きっと、一人一人流れる早さが違うのだろうな。
二歳で死んだ子もいる。
傍に居る我々は、余りに早すぎる、そう呟くしかないが、本人は、もしかしたら、それで充分、人間の川を流れきったのかも知れない。何十年も流れる必要のない命だったのかもしれない。 我々は、いつか晴れて滝を落ちていける自分になるために、六十年、七十年、流れつづけるのかも知れない。

それにしても、滝に落ちて、更にその先は何んなのだろう。
音をたてて滝壺に落ち切ったとき、何か違うべつの〈もの〉に、我々はなるのだろうか。