#15 駄菓子 貸本

駄菓子、貸本、とくれば、昭和である。
異論は認めない。
昭和三十年代、ウチの近所には二軒の駄菓子屋があった。
駄菓子屋とセットになっているお婆ちゃんとかも、ちゃんと居た。
お婆ちゃんの店と、おばちゃんの店が自宅を挟んだ両側にあって、おばちゃんのほうの店には貸本も置いてあった。もちろん小学生の私はそこの常連であった。

さいとうたかお、や、辰巳ヨシヒロとかの、いわゆる王道としての貸本はもちろんだが、その店は大手出版社の出している漫画月刊誌なども貸本にしていた。 漫画王、冒険王、少年画報、少年ブック、などなど、まだ月刊誌が主流の頃だった。
月刊誌には本誌よりも小振りの別冊付録というのがあって、たとえば本誌で〈鉄人28号〉32頁を読んだあと、その続きを小さな別冊で読むという、なんか意味のよくわからない楽しさもあった。

月刊誌が20円、後に創刊されるマガジン、サンデー、などの週刊誌が10円、それで二泊三日の貸し出しだったように憶えている。 大きな大学ノートが貸し出し帳になっていて、「マガジンの今週号が無いやん」と言うと、おばさんはノートをめくって、「ああ広田君がいま借りちょるね」とか教えてくれた。 私は、その足で広田の家へ駈けていき、マガジンをタダで読んでしまったりしていた。

一円で2個買える赤い飴玉とかもあった。
試験管みたいなものの中に入った毒々しい赤や緑のゼリーとかもあった。
一等のレーザー銃が欲しくて一枚5円のクジをよく引いたが、引くクジが無くなっても、レーザー銃はまだそこに残っていたりした。

お婆ちゃんの居る店では、10円で、もやしと天カスだけのお好み焼きが食べれた。
お婆ちゃんは、熱々のお好み焼きを古新聞に包んで渡すので、新聞がお好み焼きに貼り付いてしまっていた。
構わず、そのまま、〈池田内閣誕生!〉や、〈エンタープライズ入港に三万人のデモ!〉といった記事ごと食べてきた。

中学へ上がり、自分にとっての駄菓子屋時代が終わろうとする頃、人口甘味料〈チクロ〉の毒性が社会問題になったりした。
私達世代が、菓子にジュースに、さんざん摂取しまくってきたものだった。
強い発ガン性があるとかテレビで言っていた。

いまごろ言うなよ。

とだけ私は思った。