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好天続き

2019-11-13 | 日記

明日はお天気崩れるらしいけど、最近はずっと好天。いろいろなことがはかどる。

来月から二月終わりまで、経理関係が何かと忙しいので、今は嵐の前の束の間の凪。

久しぶりに洋裁しているけれど、やり方変えて、ゆっくり丁寧に、一つ一つの行程を確実にを心掛けて、やっている。

これは機織りで学んだことかも。

私は何ごとも雑で、早くやりたがる。それがいい場合もあるけど、洋裁や機織りは結局丁寧にした方が仕上がりが断然いい。

一日のうち、疲れるまで、飽きるまでしない。せいぜい、午前、午後に一時間ずつくらい。と言うことで、今朝、やっと接着芯張ったところ。月末までに仕上げる。焦らない。


映画から、昔のあれこれ思い出し、私なりに気が付くことがあった。

それは小さい時はかわいく、年頃には美人の女性は、私のようなその他大勢の一般女性とは発想が違うということ。

何よりも自信家であるということ。

これはずっとかわいいね、きれいねと言われ続け、年頃には周りにわらわらと男の子が寄ってくるんだから、当然の結果と思われる。

世の中の男性は何よりもきれいな女性が好き。頭のいいのはぱっと見分からないけど、美人は人目に立つ。どれだけきれいな女性を連れて歩いているかが、自分のステイタス。

私の女友達、とても美人でした。彼女がなんで私と友達になってくれたかと言うと、無意識のうちに私で安心していたんだと思う。彼女と張り合う程だと、心穏やかでいられないから。

まあ、よくおもてになりましたね。常に複数の男の子をキープ、その中に序列があり、何かのきっかけで一位の人が転落して、控えがステディになる可能性もあるので、男の子は離れない。男の子の特性を生かして、使い分けていたともいえます。

何かずるがしこい女の子みたいに書きましたが、結果としてそうなっていただけで、全然そんなことはありません。人柄かな。

この年になって、今になってやっと気が付いたけど、甘え上手で、うまく男の子を立てる、それができていたように思います。声やしぐさが柔らかく、大人っぽい魅力がありました。私には一番欠けている部分であります。うちの母も、ものすごく色気があると感心していました。

私も一緒にいて楽しいことがたくさんありました。直接彼女に近付くのは意図が丸見えなので、中には私と親しくなり、ついでに彼女とも話をして席が空くのを待つと言う。

放課後の教室で、何をするでもなく、話して笑って、楽しい一年間でした。それから彼女と下校、あちこちの店へ寄ったり、うどん食べたり、そのころは勉強の優先順位は低いので、成績は思い切り下がりましたね。でも楽しかったからよかったと思うことにしよう。

Qくんはそんな緩やかなつながりの中にいた人。彼女とは中学時代からの知り合いで、やがて私も話するように。若い担任は学級活動のカリキュラムを考えるのが面倒になったらしく、三学期になるとクラスを10くらいの藩に分けて、わおう、何という変換、お前ら勝手に遊べという感じになった。

メンバーはくじ引き、たまたま私と彼女が同じ班になると、彼女に思いのある男の子が交渉して変わってもらって入ってきた。最強の布陣でしたねぇ。楽しかったあ、とにかく楽しかった。することないので私の持参した百人一首したり。回覧ノートも。楽しかった。Q君はあとで聞いたら、私と話したくてわが班に来たとのこと。

Qくんは東京の某大学に進み、某大手に勤め、重役になったらしいけど、その頃は文学少年で、いつもエッセィ書いたり、小説書いたりしていた。これなんだけどと手渡されて、読ませてもらったこともある。

Q君が私に声かけて本格的に付き合うようになったのは、私も小説読むのが好きで同じ波長を感じたからだと思う。私は当たりを払うように美人でもないし、実家は農家だし、彼もずっと遠くからバス通学する農家の子だった。

彼女に付き合っているって言わなければよかったんですね。

これも今になって分かるんだけど、誰かと付き合っていることは決して口外しない。人に知れていいことは何もない。親に反対されたり、同性に介入されたり。関係がまだ不安定な時にそんなことがあれば、うまく行かないこともあるわで。

Qくんは彼女にとって控えのまだ外側の知り合い程度の間柄。それでも今風に言うとスペック抜群の人。私がその人と付き合っていることを知り、プライドがいたく傷ついたのでしょう。ちょうどその時は付き合う人がいなかったのかもしれない。簡単に自分の方を振り向いてくれると思ったのか、私の様子が楽しそうで、自分もそうなりたいと思ったのか。

でも、えへん、私は勝者でした。彼氏から、彼女のアプローチの様子と、それを相手にしなかった彼の話を聞くにつけて、正直に言いますが、密かに嬉しかった。

私は「マチネの終わりに」の中の、早苗だろうか。人の恋人を盗る。いえ、私は何の策略もしませんでした。私たちはごく自然に付き合うようになったのです。

世の中、美人にばかり、美男子にばかり異性が群がるなら、私のようなその他大勢には寂しい人生が待っている。でも、人の価値を測る物差しは人それぞれ、それでいいんではないでしょうか。

退潮期には辛かった。女らしい言動は許されなかった。時事、文学、対等に対話する賢い女、それを求められた。男と女がいる。それでいいじゃないの。と今なら言える。でも一通りの言葉を持たないと相手にされない時代。きつかった。スマホも携帯も、自分専用の固定電話もない時代、物理的な距離が結局は一番の原因だったかもしれない。


私なりの掟

何かのきっかけで思い出すのはいくらでもOK

年賀状可。添え書きは一行程度で。お元気ですかなど。自分をアピールするのは不可。相手奥様が不快になるのがダメと言うことです。

手紙、はがき、メール可。相手奥様の批評、悪口は厳禁。

同窓会可。プチ同窓会可。幹事になって事務連絡は可。

いかなる理由があっても個別に二人だけで会わない。

相手を頼らない。

車に二人きりで乗らない。

要するに相手の家庭に波風立つ行いは全てNGです。

世の中にはいろいろな感覚の人がいます。変な誤解受けないためにもこれは大切。


友達の友達、籍はそのままだけど、別居した人がいます。独身の大学時代の後輩から、ご主人によく相談の電話がかかってきて、そのうちお金貸すようになり(貸して欲しいと言って来ただけかも)、揉めたそうです。お金はいけませんね。

人に親切には徳目の一つだけど、できない親切もある。優先順位つけて、きっぱり断るべきでしたね。

うわあ、毎日こんなこと考えている私。

映画の中の早苗さん、あまりにえげつないので、いろんなこと思い出した。そして、平穏な毎日にあらためて感謝。

飛び切りの美人も難儀な人生だなと、最近思う。何ごとも普通が一番。