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「絲的メイソウ」 絲山秋子

2019-08-20 | 読書

単行本は2006年の発刊。その前に週刊誌に連載していたエッセーをまとめたもの。10年以上前の本だけど、今でも全然色あせてなくて面白く読める。

デビューして2、3年ころの本と思うけど、ものの見方がユニークを通り越して価値観をひっくり返すような破壊力があるし、変なところへのこだわりは作品に生かしたら面白いだろうなとも思わされた。

女性、男性とくくられるのを拒否する、直球勝負の小気味よい短文。でもこちらも気持ちしっかり持っていないと、その力に押しつぶされそう。

著者は東京生まれだそうだけど、今では東京が嫌いだそうです。

曰く、ここから引用

「東京がキライになってもう十数年になる。どこへ行っても人だらけ、渋滞でドライブも楽しめない。喫茶店でさえ混雑していてゆっくり休めない。それ以上に、東京好きの東京人たちに辟易していた。いったい何が得意なのか、そんなに東京がエライのか。それでお前もエライのか、地方を見下す理由は何なのか。・・・私は静かな町がいい。毎日太陽が山の向こうへ沈むのを眺めていたい。・・・それで住民票を群馬県に移して…私は群馬人、と思うと口元がほころんでしまう。それほど嬉しい」

引用終わり

ここまで辛辣に言った文章を見たことない。地方人の私にとってはよくぞ言ってくれたと思う。地方人は思っていても言えない。言えば田舎者のひがみと受け取られかねないと思い。

東京生まれで東京育ちの絲山さんが言うから読む方は気持ちいいのです。

でもまあ、東京人が偉そうに振舞うのはコンプレックスの裏返し。物価は高いし、家は狭いし、人は多いし、せわしないし…そのことを一番よく知っているのが東京人。でも自分の口からは言えない。誰しもプライドがあるから。

実は地方に、案外豊かな暮らしがあり、古い価値観押し付けたら若い人が定住しないので、先に行った人や都会生活の経験者が、地域社会のあり方も改革しているのではないかと、私は印象を持っている。

そうでない場所は滅びるのを待つだけ。

最近よく見る「ポツンと一軒家」は親の住んでいた家と田畑を定年退職後にケアしている場合と、都会からの若い人のIターンに大きく分けられると思うけど、前者はさらに子の世代になると消滅の危機に瀕すると思う。後者は、子供の教育などで田舎を離れるとしても、そこで育った子供は親の姿勢を見て、変に都会にコンプレックス持ったりしないのではないかと思う。

絲山氏の著作から強引に自分の考えを展開してしまいましたが。

都会人、田舎者と言うのは何も住んでいる場所で決められるものではないと思う。自分の狭い価値観の中に閉じこもり、交友関係も狭いなら、東京の真ん中でも田舎、逆にアンテナを広い世界に向け、様々な情報の中から自分の立ち位置を知り、ニュートラルに人と交流できれば、山奥に住んでいても、それは田舎者ではないと私は思う。

と、思いはあちこち飛びまくりますが、いろいろと刺激の多い本でありました。