2014年3月、海辺のイベントに行く 珍しい車のオーナーといろいろ話した。
感動した。
30年くらい前の日本文学の状況を思い出して懐かしかった。
時あたかも昭和から平成に移るころ、講談社の担当編集者として作家、中上健次にかかわった日々を回想した、小説としての作家像であると同時に、著者は知的に障がいのある子供を抱えて、家庭的にも追い詰められ、小説の中では妻は離婚して一人で家を出ていく、もう一つの話も展開される。
作家に寄り添い、交流を深め、作品を書いてもらう日々は、伴走者と呼ぶにふさわしい。
けれども家庭は妻に丸投げ、妻は心を閉ざし、最後は家を出ていく。
編集者は働く時間が都合のつけられる仕事なので、一日一時間でも妻を家庭から解放してあげればこんなことにはならなかったのでは。姿勢の問題です。昭和の男だなあという感じ。
しかし、中上健次とよく語り合い、熊野、韓国、アメリカとどこまでも出かけて付き合い、二人はまるで恋人のよう。こうしないと作家を育てられないのかもしれない。
中上健次は押し出しの強い人というイメージだけど、女の子のいる酒場で上がってしまい、その上有り金全部支払うとか、著者の障害のある子供にジュース渡したりと、とてもうぶで優しい一面もあったとか。著者は被差別で生まれて、弱いものに優しいと書いているけれど、それプラス個人の人格だと私は思う。中上健次、い魅力的でいい人だったのですね。
30年くらい前の私の知り合いで、中上の弟分的作家志望の人がいた。いろいろエピソードも聞かされて面白かったけど、ここでは書かない。彼はプッシュしてもらって文芸誌に何作か書き、それを単行本にもしてもらった。
別の出版社の編集者は、「中上の子分になって・・・」と批判的ニュアンスだった。そういえば書くものも態度も、何となくミニ中上みたいだったなと今になればおかしい。
中上健次は作家になりたい人で見どころあると思えば、世に出す手伝いもしていた。このなかでは李良枝が中上に勧められて作家になることにも触れられている。著者もまた中上には―触発され、自分の思いを小説に昇華しようと思うに至ったのでは。
二人の魂が深いところで触れ合い、助け合い、結果としていい小説が生まれる。作家と編集者、文学あるのは今もこういう手作り的な世界だと信じたい。
辻氏は5年前に逝去されたとか。息子さんはどうしておられるのでしょうか。気になります。
辻さんの息子さんは、現在40代後半。自閉症で自分の身の回りの世話はできません。現在は千葉の養護施設で幸せに暮らしています。面倒を見てくれる後見人もいますので、まず心配はありません。
わざわざのコメント、ありがとうございます。
息子さんのこと、人さまのことですが、気になっていたので安心しました。