マーティロ・マヌキアン<Martiros Manoukian>
1947年、旧ソビエト連邦アルメニア共和国で生まれる。
16歳の頃前衛美術大賞を受賞するなど、マーティロ・マヌキアン画伯は若い頃よりその頭角を世に現していた。
その突出した才能が認められ、1966年高校卒業と同時に国立美術学院に入学し、72年に卒業。
同年、旧ソビエト連邦芸術家連盟会員の名誉を獲得し、旧ソビエト中の芸術家達に大きな影響を与えた。
子供の頃から「自由・冒険・自然・愛」に興味を持ち、共産主義には同調できなかったマーティロ・マヌキアン画伯は、高い評価と人気を得、数々の名誉に輝きながらも心は満たされず、人間らしく生きるため、自由を求めて1987年アメリカに渡る。
描くことに対する政治的制約から解放されたマーティロ・マヌキアン画伯は、尽きることのないエネルギーで、自由・挑戦・勇気・自然・女性・神など、人生に於いて美しいと感じられるものを、愛を持ってキャンバスに描き込んだ。
マーティロ・マヌキアン画伯の絵には、金箔・銀・樹脂・液体真珠などが色の一部として使われ、ムード、感情が表現される。マドンナは美しさの、イコンは故郷の象徴として映し出される。
アメリカに渡ってわずか2年の間に、マーティロ・マヌキアン画伯は独自のスタイルを築き上げ、名声を得た。
マーティロ・マヌキアン画伯のテーマは、「青の時代」、「ゴールドの時代」、そして「新しい光の時代」と広がり、力強く、それでいてロマンチックで官能性に溢れている画伯の原画は千点を超える。
日本をこよなく愛しているというマーティロ・マヌキアン画伯は、10年以上も日本で活躍している。
富士山の美しさが、故郷アルメニアにある聖書にも出てくる神聖な山、アララト山を思い出させ、日本人の人を思いやる心、そういう日本の心に触れることで制作意欲が高まるのだという。
初めて作品を世に出してから40年以上も芸術家として人生を歩み、苦しみや悲しみを知っているからこそ、マーティロ・マヌキアン画伯の作品はさらなる愛の光に溢れ、優美なる深い輝きを放っている。