Live-15「仏教の聖者」


しばしば気になっていた「仏教の聖者観」についての話題です。

聖者観というものはもちろん方法論によって形成されるものでもありますが、一面ではその土地の文化風土が求めたからそうなってゆくともいえます。つまり、どのような聖者を民衆が求めたかによって、仏教の形も変遷をたどることになったんですねぇ。

その変遷を現在の視座から把握しておくことは、よくある“ホントウの仏教論争”などに巻き込まれてわけわからなくなってしまうのを防ぐためには大変重要なことだと思います。

聖者も色々、悟りも色々ということですけど、その変化の要因であった民衆の歴史を我々は背負っている訳です。その変遷をいかに我がこととしてとらえてゆけるのか、それが仏教実践においては深く影響するはずです。

 

「『仏教の聖者 史実と願望の記録』船山徹、臨川書店」00:00
「聖者(悟りの人)の線引き」8:28
「聖者には簡単になれない論」15:32
「菩薩の十地(龍樹は初地)」19:27
「一超直入如来地(⁉)」24:55
「実践が要請されるかどうか 」32:14
「悟るからこそ修行する⇔“あえての”修行をしない悟り」34:10
「四十心⇒初地………十地」42:27
「インスタントさとりの歴史」45:25
「踊り念仏のインドみ」48:37
「世界観の把握は大事」49:45
「質問箱:安泰寺で坐禅中に地震があったら?」51:29
「質問箱:親鸞上人に魅力を感じる禅者」52:46
「一向一揆も起こせない最近の……?」1:02:33
「禅と浄土信仰」1:04:28
「パンクロッカー、年取るとバラード歌う」1:08:27



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