「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

相互理解のための音楽

2020年07月01日 | 音楽談義

この度出版されたアメリカの前大統領補佐官「ボルトン」氏の回顧録が大きな波紋を呼んでいる。

名門イェール大学の法科を首席で卒業したほどの秀才、大統領の政策に身近に関与した「補佐官」という立場からの数々の証言なのでマスコミが放っておかない。

あくまでもネット記事の範囲内だが、トランプ大統領の国益よりも個人的利益を優先させる姿勢、北朝鮮問題について韓国の大統領の二枚舌によって振り回された外交の経緯が赤裸々に綴られているそうな。

両者の日頃の言動からして、おそらく事実に近いだろうと思わせる信憑性が漂っている。

よその国のことながら、国のトップたる者がこんなことでは困りますねえ。選んだ国民にももちろん責任があるのだが。

その点、ドイツのメルケル首相あたりはさすがに抜群の安定感があるように思う。



ローマ教皇に「フルトヴェングラー全集」を進呈するメルケルさんの画像を観て、専門的な政治手腕以外にも、さぞかし基礎的な教養として文学、絵画、音楽など幅広く芸術の分野にも通暁しておられるに違いないと思った。

芸術を愛する政治家と聞いただけで視野の広さ、国の栄枯盛衰を踏まえた時代的な展望などがあるんだろうなあという気にさせられるから不思議。

心理学者「河合隼雄」氏(故人)が述べられた「一流の文化や芸術はその底流に死を内在させている」という言葉をつい思い出す。


そういう点でガッカリした思いを抱いたのが先般の「文藝春秋」の記事だった。

本書の中で、立花隆さんと佐藤優さんという現代を代表するような知性の持ち主が是非読んでおきたい本としてそれぞれ100冊の本を紹介し推薦されていたが、いずれもが知識というか知性を優先した難しそうな本ばかりで、芸術関係の本が全然ないか、あるいは極端に少なかったのが妙に印象に残ってしまった。非常に「潤い」が欠けている。


人間にとって「知性と感性」はクルマの両輪みたいなものなので、人生に幅と”ゆとり”のない「頭でっかちの知的バカ」をこれ以上量産して一体どうしようというんだろう、な~んて偉そうに勝手な御託を並べたりして(笑)。

さて、ここで相互理解のための手段としての音楽の話。

もちろん人間同士のコミュニケーションに言語は欠かせないが国ごとに使っている言葉が違うのが大きな難点。

戦後すぐとは違って近年では日本人でも英語がペラペラの堪能な人はいくらでもいるが、フランス語、ドイツ語、イタリア語、中国語なんてことになるとおそらく全部操れる人はそうはおるまい。

通訳を介してみてもお互いの”人情の機微”にまで触れるとなると”いまいち”だとは容易に想像できるところ。

その点、音符で成り立つ音楽は世界の共通言語みたいなもので実に相互理解に手っ取り早い。たとえば、自分の場合ともなるとモーツァルトのオペラ「魔笛」とかグールドが弾くピアノ・ソナタが好きだと分かっただけで、瞬間的に百年も前からの知己のようなうれしい気持ちになる。

同じ感性を共有する喜び、親しみは言語を通じて分かり合えるよりもずっと心の奥深くまでつながるような気がしてくるのが不思議。

もちろん、これは人によって様々で自分の場合はどちらかというと論理よりも感性を優先した人間かもしれないと思うことがたびたびある。

場面、場面で適切な言葉を操るのが苦手なタイプで文章を作成する方が時間の余裕があるだけまだマシ。おそらく頭の回転が”いまいち”なんだろう(笑)。

しかし、弁解するわけではないがあの孔子に「巧言令色、仁あること少なし」(論語)という警句があるようにいくら言葉を尽くしてみても真意が伝わるかとなると別次元のような気もする。

ところで、作曲家や演奏家、曲目などの好みが共有できる人に巡り会うのは本当に難しい。自分の周囲を見回してもオーディオの好き嫌いはさておいて作曲家や曲目の好みが”おおかた”でも一致する人はまずいない。改めて人間の気質というか感性は千差万別だと思う。

全国を捜し歩いてようやく巡り会えるようなものだろうが、作家の石田依良さんの著作「アイ・ラブ・モーツァルト」には魔笛とかグールドが好きとかあるのでホントにうれしくなる。

五味康祐氏の「いい音、いい音楽」を紐解いていたら、代表作品を聴けばその作曲家がどんな音楽家であるかが分かるとあった。(92頁)

偉大な音楽家ほどその代表作に人間性、民族性、芸術観の全てを表出しているという。

たとえば、大バッハであれば「マタイ受難曲」、ヘンデルなら「メサイア」、ショパンでは「24の前奏曲」、ブラームスでは「交響曲第1番」とあったが、モーツァルト、ベートーヴェンについては文中に記載がない。

この二人、クラシック音楽を語るときに絶対外せない存在だがあまりに代表作と目される優れた作品が多すぎて絞り込めなかったのだろう。

とはいえ、衆目の一致するところベートーヴェンは「第九交響曲」かな。

問題はモーツァルトで、こればかりは難しい。交響曲、協奏曲、ピアノソナタ、オペラ、宗教曲いずれの分野でもクラシック音楽を代表する作品が目白押し。

結局、あえて挙げないほうが「つかみどころのない正体不明」の感があるモーツァルトらしくていいのかもしれない。

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