「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽家がオーディオに無関心な理由

2020年09月19日 | 音楽談義

これまで50年近く「音楽とオーディオ」に親しんできた、と偉ぶってみたものの、な~に徒に馬齢を重ねてきただけだが(笑)、いつも気になっていることの一つが「楽譜」の存在。

日頃聴いているクラシック音楽はすべて作曲家の手になる「楽譜」に基づいて演奏されているので、「楽譜」が読めさえすればもっと深い曲趣の把握が出来たり「いい演奏」かどうかの判断材料になるのに、と思うわけ。

したがって楽譜を見ながら聴いたり楽器を演奏できる人がちょっぴりうらやましいというのが本音で楽譜が読める音楽評論家たちもこれに含まれる。

こういう人たちは四六時中、生の音楽にどっぷり浸(つ)かっているだろうから耳のほうも凄く肥えていて、家庭においてもオーディオ装置にうるさい人が多いと考えるのがまあ普通だろうというもの。

ところがである。どうもこれまで幾多の音楽専門誌を読んでみても、これら専門家たちの間で総じて
「オーディオにあまり関心を示さない人を見受けるのは一体どうしてなんだろう?」と思うことがしばしばある。

というわけで、素人が簡単に思いつく理由をいくつか挙げてみた。


 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので家に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。

 ほとんど毎日、歪みのない生の音を聴いているので、電気回路を通した音は人工的で聴く気がしない。

 他人の演奏をなるべく聴きたくない、芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。

 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽というよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。 

こういうテーマは実際に「実在の音楽家(演奏家)」に訊いてみるのが一番。

O市にお住まいのEさんは大学の先輩で、在職中ひとかたならぬお世話をいただいた方。同じ職場で上司と部下の関係となり五味康祐氏の著作「西方の音」を貸してあげたりして音楽の趣味を通じてたいへん懇意にさせていただいた。

Eさんは学生時代のときからトロンボーンを奏されており、職員で運営する私設の吹奏楽団でずっと活躍、今でもお元気で顧問として活躍されている。

それにトロンボーンに限らず管楽器全般に詳しい方でオーケストラの演奏を聴いてたちどころにどこそこの楽団だと的確に言い当てられる。(ご本人の言)

管楽器の演奏にその楽団の独自の特徴が表れるのでそれが目安になるとのことで、まあ、いわばセミプロみたいな方。

自分とはまるでレベルが違う音楽の聴き方をされている。

そのEさんも例によってオーディオ装置にはほとんど関心を示されず、ご自宅に二度ほどお伺いしたことがあるが古い英国製のたしかスペンドールとかいった小振りのスピーカーがずっと放置したまま。

さて、失礼を承知で「オーディオに関心を示されない理由」を単刀直入に聞いてみた。

その結果、1~3までいずれも少しずつ該当するが、
一番大きな理由は4とのこと。

また、「いい音」を得るためには、それなりの手間と投資額も必要になるがそれもまた面倒で
「オーディオは”そこそこ”でいい」とあっさりおっしゃる。いかにも飾らないEさんらしい物言い。

結局、表題の回答としてはこの辺に落ち着くのだろう。

自分はてっきり2だと思っていたので見事に予想が外れたが、4が主な理由だとすると、これはこれでまた結構割り切れない話。

素人考えだが演奏者のテクニックのアラに気をとられてしまって、それが音楽鑑賞の障害になるなんて「本当に音楽が好きなんだろうか」という素朴な疑問が湧き起こる。

そういうことなら、なまじ「楽譜」が読めたり「楽器」が演奏できないほうがいいとさえ思うし、それに上記の1とも関連するが日常生活の中で身近に音楽を本格的に楽しむ機会を設けないというのもこれまた音楽家として淋しすぎる話。

たとえば、いつぞやのBSハイビジョンの番組の中で先年、引退宣言をしたピアニストのマリア・ジョアオ・ピリス女史が日常生活の中でそれこそ普段着のままで気軽に楽しむのが本来の音楽芸術のあり方だと力説していたのが妙に記憶に残っている。

具体的に彼女が言うのには、「決められた一定の時刻と時間内にきちんと正装して演奏会に出向き衆人環視のもとで音楽を聴いて本当にそれで心から音楽が楽しめるのだろうか」といった趣旨だった。

これにはまったく同感。

音楽愛好家といっても、およそ演奏会重視派とオーディオ重視派とに大別されるわけだが、どちらが本当の「音楽好きなのか」一つの答えが出されているような気もするが、はたしてどうなんだろう。

そういえば伝説のピアニスト「グレン・グールド」は途中から演奏会を放棄して「スタジオ録音」に専念した。

その理由の一つが「演奏会で一度聴いたくらいで音楽が分かるはずがない。たとえばゴールドベルク変奏曲で小節ごとの変奏の状況なんて何度も繰り返して聴かないと絶対無理」と宣う。

というわけで、純粋な「音楽好き」という観点からすると「オーディオ重視派」に軍配を上げたくなるが、つい色目で見がちな自分と違って客観的な視点からするとはたしてどうなんだろう。



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