冬至が近いお陰で南に向かって走ると朝も昼も眩しい思いをしますね。12月22日が冬至です。何故か夏至とよく言い間違えます。明け方、午前、午後、夕方しかない状態で、正午とか昼前とか昼下がりとかそんな感じが無い日の傾き具合。それでも昼は昼と感じてしまうのは習慣による思い込みです。

 と思ったけど、北に向かって長く伸びる影がそもそも季節柄な物なので、案外感覚も季節毎に適応しているかも知れません。外出は専ら夏が多いから冬がイレギュラーに感じるだけで。

 

 食事をより効率化しようと考えて行ったら大体サプリメントに落ち着くのですが、なんか昔のテレビ番組で見たな。未来の食事はサプリメントになる的なやつ。多くの人はそんな事は無いが、これ僕みたいなコスパだけを追い求め続けた人が陥る来たるべき未来だったのかも知れない。

 自ら美食を追い求める事がほぼ無くなり、誰かが振る舞ってくれるとか外食に連れ出してくれるといった外的要因が無い限りいつものアレです。僕が一人暮らししたら冷蔵庫要らないんじゃね。米もサプリもプロテインの粉も各種調味料も常温でいいし、酒は蒸留酒だから常温でいいし、味噌もまあ工夫すれば常温で問題無い。氷は無きゃ無くて良い。電気代だいぶ浮くな。冷暖房?要らんやろ。

 

 家電は照明とIHとパソコンくらいのもんですかね。バリカンとドライヤーも必要か。何もミニマリストになりたい訳じゃないけど普通にミニマリストになりそう。洗濯機を忘れてた。さすがに手洗いするくらいなら機械に任せたい。

 何が必要かは、普段の自分の生活スタイルを振り返ると判り易い。その生活の範囲内で使ってない物、そこにあるから何となく使ってるだけの物は無くても良い。いつも使う物は必要な物だと言えます。

 

 あまりに必要とする物が少ないと、そもそも家自体必要無くね?とも言えるが、とりあえず安定して筋トレできる空間は欲しいので、懸垂器置くスペースと腹筋ローラー転がせる環境は欲しいですね。腹筋ローラーくらいなら持ち運びも出来そうですが、いっそ筋トレルーム作ってそこを根城にした方が効率良さそう。

 何事も可能な限りシンプルに収める。ごちゃごちゃしているから何がしたいのか分からなくなるんだよ。あらゆる家電を取り揃えなくてはならないと思い込んでいるから、高いだの安いだの高性能だ低スぺだと品定めしなくてはならない。そうそう、10年間銭湯に通い詰めるくらいなら20万円の電気給湯器取り付けて10年間使った方が遥かに安上がりなので給湯器おすすめ。

 

 とりあえず「効率的な生活」とは何かと言うと、極力物を持たず、拘りを持たず、必要最小限の飲食に留める事ですね。果たしてそれが正解か如何かは、時と場合に依る。自分一人だけなら自分の好きな様に暮らせば良いですが、そこには他人が介入する余地が無い。他人を介入させる気があるか否かで、効率を取るか、効率を犠牲にするかの選択になるのではないでしょうか。

 逆を言えば、ただ一人だけの問題事ならば効率が全てです。何故他人が絡むと効率を捨てなくてはならないかと言うと、人の心を育む事の方が遥かに大事だからだ。心が死んでいるから効率重視になれるのではない。ある水準まで心が育ったから効率に全振り出来るのだ。右往左往する発展途上の心を持つ人に道しるべを与えるのだ。原理原則を求め続ける事が心の成長であり、他者をその視点へ導く事が教育です。

 

 正解か不正解かなんて、見る角度で簡単にひっくり返る。想像力が無い人に他人の気持ちを考える能力なんてある訳が無いので、その人がその様に考え行動する迄に至った経緯なんてものに興味は無いです。結果しか見たがりません。

 尤も、僕が効率重視になった理由の半分は諦めから始まったもので、効率化を続ける内に理解に変わって行ったものです。言わば「それしか選択肢が無くなった」所から始まったので、いやまあ効率的な考え方なんてある程度追い詰められないと無理っすよ。別にどん底って訳でもないですが、よく聞く「どん底に落ちて這い上がった」的なエピソードを並べてる人達も「それしか選択肢が無くなった」ところを信じ切って成したのでしょう。人間は追い詰められて初めて考え方の習慣が変容する生き物なんじゃないかと思いました。