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世の中には様々な論者がおり、経済や社会に関わる問題点の捉え方や分析力に優れた方も目にするが、残念なことにその多くは、解決方法を提示する段になると、なぜかベクトルがあらぬ方向へ迷走し始める。

 

『貧困を救う手立てがあまりに弱い日本の現実~結局、階層間の景色が共有できていない』(11/8 東洋経済ONLINE)

https://toyokeizai.net/articles/-/245501?page=1

上記記事は、社会政策学者首都大学東京教授の阿部彩氏とルポライターの鈴木大介氏の対談形式でまとめられている。

 

以下、阿部氏の主張より抜粋

「日本の生活保護者は人口の1.7%しかいないんですよ。アメリカでは13.0%いるのに。知ってますか?」と問われて、「アメリカの格差社会ってひどい」といった感想で終わってほしくない。自分たちの問題として引きつけ、「日本では受給できる人が少なすぎるんじゃないかな。日本ってどっかおかしいから、変えるべきことがあるんじゃないかな」と、そこまで話を持っていってほしいんです。

 

住宅補助なんてのも最たる話で、日本では住宅に対して扶助が出るのは生活保護者などごく一部だけなんですけれども、一般にも住宅費で苦しんでいる人がいっぱいいるわけですよね。そういう現実を見ながら、「おかしいよね」っていうふうに話が進んでいくべきなんです。貧困者に対する対策じゃなくて、住宅政策そのものの問題としてとらえていく。最終的には、これがしっかりした貧困対策にもなりますよね。

 

児童手当なんて、なんで1万円とかでみんな我慢してるんだと思うんですよ。理由は、別に子育て対策でも少子化対策でも何でもいいですよ。でも、こんなに少額なのは直感的にもおかしいじゃないですか。

 

阿部氏は、日本の住宅手当や児童手当の少なさや生活保護システムの貧弱さを批判し、日本人はアメリカやフランスなどの福祉先進国に倣って、福祉政策の拡充を政府に強く訴えるべきだと訴えている。

 

彼女は、他国の充実した福祉政策に感心するだけで、それを自国に当てはめようとせず、「充実した福祉なんて、しょせんは欧米のお話しだろ? 日本じゃ無理に決まってるよ」と諦め顔するだけの国民の無関心さを詰っているのだ。

 

こういった意見には筆者も同意する。

住宅補助を企業による私的負担に全振りする現行制度では、勤務先の規模による労働者間の実質所得の格差を拡大させるだけだし、収益力の低い中小零細企業にとって負担が重すぎる。

 

また、児童手当の金額が月1~1.5万円というのも少なすぎる。

ドイツの児童手当が月2.1万円、フランスで月1.7万円くらいだそうだから、日本なら月3万円くらいの支給額であって然るべきだし、子供の存在自体が貴重な少子化社会に足を突っ込んだ以上、子供の数に応じて金額に差をつけるのではなく、第一子以降何人生まれてもきちんと同額を支払うべきだ。

 

日本人は往々にして、“福祉は生活力のない弱者が受ける施し”だと勘違いし、それを享受するのを恥だと思っており、本来生活保護を受給すべき貧困世帯家賃や公共料金すら払えず、無理してダブルワークやトリプルワークを背負い込み身体やメンタルをやられる事例も頻発している。

 

「福祉は恥」という社会的同調圧力が貧困脱却の障害となって福祉政策そのものを形骸化させるのは、先進国として大いに恥ずべき悪習だ。

 

“日本の福祉制度はレベルが低い”、“他の福祉先進国を追い越すくらいの意気込みを示そう”と国民を叱咤する阿部・鈴木両名の対談は、この辺までとても良い調子で進んでいるが、福祉財源の話になった途端に結論があらぬ方向へ迷走し始める。

 

福祉政策充実の財源を何に求めるか?という鈴木氏の問いに対して、阿部氏は、「日本人は税金を払ってないんですね。国民がどれくらい税金を払っているのかっていういちばん簡単な指標として国民負担率というものがあります。これって、社会保険料と税金の総額の国民所得に対する比率なのですが、さっき話に出たフランスではこれが6割以上なのに対し日本は4割程度で、OECD34カ国中下から7番目です。だから何もできないんです、お金が足りないから」と答え、国民の税負担強化が必要と主張している。

 

また阿部氏は、「日本の場合、低所得者の人は他国の低所得層に比べて給付も少ないし、社会保険料など逆進的な負担もあるので、負担が多いぐらいなんです。ただ、中間層以上の人たちがあまり払ってないんですよ。(略) ピケティが言うみたいにすごい富裕層だけに課税して、それでなんとか国が回っていくというのは、日本の場合ありえない。ですから、中間層がもっと負担しなきゃなりません」と言い放ち、富裕層や低所得層に頼れない我が国では、中間層に重税を課すべしと断じている。

 

さらに、氏は、「法人税に関しては、よく言われる議論が、法人税は諸外国並みに下げなければいけない、というものです。日本は高い。(略)  私は税の素人ですが、ほんとにそうなのかなあと思うところもあります。ほんとにみんな外に行っちゃってるのかなあ、と。でも、その見極めは難しく、なかなか論破できない」と、日本の法人税引き上げの可能性を放棄し、家計、特に中間層への課税強化や社会保険料負担引き上げによる財源捻出しかないと訴える体たらくだ。

 

ここまで酷い妄言を聞かされると、対談前半部分の阿部氏の金言もすっかり霞んでしまう。

 

順序が前後するが、まず、日本の法人税率が高すぎるという大嘘の誤りを指摘しておく。

 

2016年度に決算期を迎えた国内企業のうち赤字企業の割合は63.5%にも達し、一時期より減ってはいるものの相変わらず高く、赤字企業の割合が20%台しかなかった成長黎明期とは比べるべくもない。

 

法人税率が高すぎる云々以前に、そもそも法人税すらまともに納められない企業が6割以上にもなることを問題視すべきであり、悲惨なビジネス環境を劇的に変えるためには大規模かつ長期的な財政支出が不可欠なのだが、阿部氏にはこうしたマクロ的視野がまったく欠けている。

 

国内企業が納めた法人税を事業所数で割り返すと一社あたりでせいぜい20万円ほどでしかなく、担税余力はまだ十分にある。

 

しかも、法人税率はピーク時の半分近くにまで引き下げられ雇用流動化や低金利政策と相まって、企業サイドは政策面でいいだけ優遇されてきたのだから、これ以上甘やかす必要など微塵もない。

 

企業経営者は、法人税支払いがキツいとなら、国債や紙幣増刷を財源とする社保料負担の国庫負担割合大幅引き上げという積極財政政策に賛成すべきだ。

 

もう一点、阿部氏は日本の国民負担率が低すぎることにご不満な様子だが、負担率高さが国民にとって何のメリットになるのかまったく意味不明だ。

 

我が国の国民負担率は、1970年代の20%から徐々に上昇し、80年代には0%、2008年以降に40%を突破し、上昇の一途を辿っている。

【参照先】https://seniorguide.jp/article/1001869.html

 

70~90年代初頭に掛けての負担率上昇は、所得向上と福祉充実が両輪で作用した結果ゆえある程度受忍すべきだが、それ以降の負担率上昇は、家計所得の低下と消費増税+社会保険料負担増加という家計にとってのトリプルパンチに起因するものであり、到底受け入れられない。

 

国民負担率の上昇は実質所得の低下に直結する愚策・愚行であり、特に、失われた20年にという悪夢によ「所得低下・雇用劣化・年金後退という三重苦に見舞われた家計の消費心理を冷え込ませるだけだ。

 

事実、家計消費支出(二人以上世帯)は2018年9月の実質指数で96.8(2015年=100)と、ここ2年の間で指数が100を上回ったはたったの1回だけ。

しかも、最近の値は2000年ころと比べて14%程度低く、家計の消費心理が深刻な水準にまで冷え込んでいることが判る。

 

なんでも欧米の猿真似をすればよいというわけではなかろう

わが国では、低所得者層であれ中間所得者層であれ、これ以上、税や社会保険料の負担率を引き上げるゆとりなどどこにもない。

むしろ、負担率を大幅に引き下げる政策こそ求められている。

 

住宅ローンの返済負担は可処分所得の2割ほどを占めており、今後の金利動向によってはさらに上昇する懸念がある。

また、三大都市圏を中心に賃貸住宅の家賃相場も高止まりしたままで、この20年間で所得が減り続けている家計を圧迫しており、早急な改善策が求められる。

 

そこで、家計の所得を名実ともに引き上げて消費活性化につなげるため、筆者が以前から提唱しているとおり、国債や紙幣増発を財源に大規模なベーシックインカム制度を施行し、国民全員に一人当たり月3~4万円の生活改善支給金を配るのもよいし、義務教育期間中の子供には+1~2万円ほど支給額を上乗せしてもよかろう。

 

さらに、社会保険料の国庫負担割合を今の2倍に引き上げ企業や家計の負担を減らし、加えて消費税も廃止して、代わりに所得税と法人税を30年ほど前の水準に戻せば、個人消費は空前の活況を呈するだろう。

 

阿部氏みたいに、「政策財源=税金だけ」という時代遅れも甚だしい因習に囚われていては、思い切った政策など打てない。

いくら児童手当や家賃補助を充実させても、同じだけ税金で召し上げられてしまうのなら、まったく意味がないではないか?

 

財源に税というキャップを被せてしまうと、実体経済を巡る貨幣の量が増えないから、経済は永遠に成長できない。

 

経済を成長させて、その果実を多くの国民が享受するためには、経済を循環する貨幣の絶対量を増やすとともに、そのスピードも上げねばならない。

そのためには、税の徴収という「右のポケットから出した金を左のポケットに入れるだけ」の生産性のない行為だけではまったく不十分であり、国債増発や紙幣増刷という手段を駆使して貨幣供給量(=売上や所得に直化けする貨幣の総量)を増やし続ける必要がある。

 

紙幣増刷やベーシックインカムという言葉を使うと、「ハイパーインフレになる~」というバカの寝言が聞こえてきそうだが、生産力が余剰気味で20年もの超長期不況の最中にある我が国なら、たとえ100兆円規模の財政支出を打ったところで、物価上昇率はせいぜい一桁台中盤に収まるだろうから何の心配もしていない。

 

多少のインフレがあったとしても、それこそ阿部氏のセリフではないが、“国民負担率”の一環として受忍すればよい。

同じ負担でも、税や社保料の引き上げなら家計に何の選択権も与えられないが、インフレなら「より安価な商品・サービスの購入」、「支出抑制(=貯蓄)」という選択肢を取り得るのだから、どちらが家計にとってメリットが大きいか、誰の目にも明らかだろう。


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