ムービング・ゴールポストサッカー等の競技から派生した隠喩。試合終了後にも関わらずプロセスや試合の規準(ゴール)を、相手に対して故意に不利な新しいゴールに勝手に変更する行為(Wikipediaより)

 

ムービング・ゴールポストという言葉の定義は上記のとおりだが、ネット上では、持論に綻びが生じるたびに主張の内容や論拠をコロコロ変え、他人の手柄を自分のものであるかのように騙る詭弁屋を揶揄するときにも使われる。

 

ゴールポストを動かす名人と言えば稀代の詭弁屋揃いのリフレ派で、過去にもお得意の金融政策一本足打法の打率が下がるたびに、「俺たちは財政政策を否定しているわけではない」、「高橋是清の円札大量発行は金融政策の範疇だ、「MMTはリフレ派の亜流だなどと、醜い詭弁を吐き散らしてきた。

 

財政政策の下支え無くして金融政策が効果を発揮できない事実を素直に認めればよいのに、“金融政策さえやっていれば財政政策なんて不要”、“財政政策は欲まみれの政治家と土建屋を太らすだけの愚策”と罵詈雑言を吐いてきた自分たちのプライドが許さないのか、財政政策の効果や手柄を、なんとか金融政策一本足打法のものにすり替えようと必死になっていたのを思い出す

 

いまや彼らの情熱は、“とにかく自分たちの負けを認めたくない。そのために、いかに詭弁弄し屁理屈を捏ねるべきか”に注がれ、口を開くたびに矛盾や自己否定のブーメランが飛び出すポンコツマシーンと化している。

 

さて、前言や論拠をコロリと変え、掌をくるくる返す醜態を晒すリフレ派の専売特許かと思っていたが、つい最近まで経世済民を訴えてきた論者にも、同じような病気を発症する者が現れた。

 

本家MMTレイ&ミッチェル予定通り来日へ!

https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12527378138.html

 

かの御仁のMMT原理主義者っぷりはかなり重症で、当該コラムで

私のレイの入門書を読んだ感想として、MMTとのシンクロ率は95%くらいですかね?」、

「MMTの論理を超簡単にまとめると、貨幣は負債であるという貨幣負債論と、通貨は国家の創造物で有るという租税貨幣論のコラボレーションが、現代貨幣理論のコア思想です。この基本だけ押さえれば、MMTは完全に理解可能です」

と力説しておられる。

 

MMTを教条的に運用したがる野蛮人に限って、“租税貨幣論こそMMTの一丁目一番地だ”と間抜けなことをぬかすが、税金が政府支出の財源ではないと主張しながら、政府発行の貨幣(国民共有の資産)の信用の根源を租税に求める大矛盾に疑問を覚えないのか?

 

租税に使えるか否かを貨幣価値の判断基準に据える変わり者なんて、滅多にいないし、カネが好き過ぎる者ほど税を嫌う(脱税や節税に走る)のが世の常だから、租税貨幣論なんて根拠ゼロの空論中の空論しかなく、一丁目一番地どころか、「番外地」のゴミ捨て場と呼ぶのが相応しいだろう

 

それはさておき、かの御仁のコラムで驚いたのは彼が前言を軽く翻し、“税は財源ではない”というMMTの大原則をあっさり否定してしまったことだ。

 

はコラムの中で、

税は政府の財源だ!と語るのが、日本人には、しっくり来るし、MMT的にも、税金を徴収する事で、政府支出の余地を作ると説明しているのですから、税は政府の財源と捉えるのは、間違いではないのです」、

「税は税源では無い」は表現として間違いです」、

正に税こそが政府支出の文字通り源泉となっている」、

し、税金は政府支出の財源ではない(=通貨発行こそ真の財源、財政赤字は問題ではない)』というMMTのコア思想を足蹴にしている。

 

以前に自ブログで、

MMTのコア思想:税金は政府の財源では無い」、

我々が今迄、思い込んで来た政府と国民の関係は『公共サービスの対価として税金を払っている』ですが、それは天動説と同じで間違いです。実際は、税金は政府支出の財源では無く税収とは無関係に通貨を発行、つまり信用創造、英語ではマネー・クリエイションで文字通り、お金を創出して国民に支払いをしています

税金は政府支出の財源では無い!という衝撃的な事実に対する人々の反応は、だったら無税国家にすれば?でしょう」、

と得意げに騙っていたのだが、前言を全否定しておきながら、一言も反省の弁すらないのには呆れるよりほかない。

【参照先】『MMTとは何なのか?』

https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12454594457.html

 

これほど醜悪なムービング・ゴールポストがあろうか?

 

彼が“政府支出における税金不要論”の否定派に転じたのは、租税不要論→政府支出無限論→無税国家論やベーシックインカム論の拡大を嫌ったためであり、『本家MMTレイ&ミッチェル予定通り来日へ!』というエントリーで、「MMTを都合良く解釈し、無税国家や給付金の理論的な後ろ盾としてMMTを悪用する連中が出て来る」と文句を垂れている。

 

これぞ教条主義者の悪い癖であり、自分が気に喰わない無税国家論やベーシックインカムを断罪するためなら、MMTの根幹たる“政府支出における税金不要論”ですら簡単に切り捨てるさまは、まさに「目的と手段のすり替え」と言えよう。

 

彼にとって重要なのは、

①貨幣負債論や租税貨幣論を護り、MMTの教義の純度を高めること

無税国家論やベーシックインカム(庶民救済策)を否定すること

の2点であり、経世済民よりも教義に重きを置く教条主義者や原理主義者に変貌しつつある。

 

筆者は、以前のエントリーでMMT原理主義者を指して、持論が危うくなると定義や論拠をコロリと変え、反論に困ると「教科書を読めよ!」で躱そうとするのは“リフレ堕ちのサイン”だと批判したが、彼はさっそくリフレ病特有のムービング・ゴールポスト症状を発症しており、もはや「完堕ち」の感を否めない

 

彼は自ブログで、「MMT入門書の最後でレイは「問題は理論ではなく表現」だと語っています。人々に伝える分かり易い物語が、必要なのです」と騙っておられるが、彼のエントリーのどこをひっくり返しても、肝心の“分かり(解り)易い物語”とやらがどこに書かれているのかさっぱり解らない。

 

かの御仁は、「ご飯(租税貨幣論)にカレー(貨幣負債論)を掛けたカレーライスが、MMTなのですが、カレーライスは美味いけど、貨幣負債論(カレー)も租税貨幣論(ライス)もクソだ!という輩がいたら、貴方は、一体本当はナニを食べたのですか?と聞きたくなります」とおっしゃるが、そもそも、租税貨幣論は腐った生ごみ、貨幣負債論は酔っ払いのゲロでしかなく、到底食えたものではない。

(なぜ、租税貨幣論をご飯と、貨幣負債論をカレーと呼べるのか、まったく理由が示されていない)

 

ご自分では解りやすく伝えたつもりなのだろうが、彼のMMTに関する解説や比喩は、決めつけや思い込みばかりで、前提条件や入口要件的外れゆえ、解りやすい云々のレベルにすら達していない。

 

筆者は、彼がいまだ経世済民の士であることを疑ってはいないが、一度リフレ堕ちした以上、回復には相当の時間を要するだろう。

 

残念ながら、MMTerを称する論者の中にも、経世済民の目的を失念し、教義の純度をひたすら追求する盲目の徒が多くいる。

 

時には彼らの矛盾や誤りを指摘しながら、その覚醒と復帰を気長に待ちたい。