緊縮主義者や構造改悪主義者という種族は、自分たちの主張を押し通すためなら、平気で歴史や史実をある特定の時点で都合よく切り取ったり、事実を捏造、あるいは歪曲したりします。

『新型コロナによる経済損失を「スペイン風邪」の歴史から考える』
(加谷珪一 経済評論家、元日経BP記者)
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2020/05/post-104.php
「スペイン風邪は1918年から20年にかけて大流行したインフルエンザである。全世界で4000万人が死亡したとされ、日本国内でも40万人近くの犠牲者を出した。(略)
 意外に思うかもしれないが、これだけ猛威を振るったにもかかわらず、スペイン風邪は経済にそれほど大きな打撃を与えなかった。スペイン風邪の流行は第1次大戦中に発生しており、戦争特需のほうが感染症によるマイナス効果を上回ったことから経済は堅調に推移した。(略)
ここで欧米各国と日本に決定的な違いが生じている。イギリスやアメリカは、終戦直後は反動不況となったが、その後は復興特需もあって経済は持ち直し、アメリカでは歴史的な好景気となった。イギリスもおだやかな成長を実現し、世界恐慌が発生するまではつかの間の安定を享受した。
ところが日本は、グローバルに進展した産業の近代化にうまく対応できず、戦後不況から脱却できなかった。ここに関東大震災が重なり経済はさらに疲弊。名門と呼ばれた鈴木商店が経営破綻するなど混乱を極めた。回復のきっかけをつかめないまま世界恐慌に突入し、最終的には無謀な戦争と経済破綻を招いた。あくまで結果論だが、大正時代に発生したスペイン風邪はまさに「暗黒の昭和」を暗示する出来事だったといってよい。
感染症の拡大は経済に致命的な影響を与えるわけではないが、経済や社会の枠組みを変える力を持っている。先ほどの「近代化」を「IT化」や「多様化」と言い換えれば、改革が進まない今の日本と重なる部分は多い。スペイン風邪の歴史は、変化を忌避してきた日本に行動を促しているように見える。」

加谷氏は、コロナ禍で垣間見えた我が国のIT化の遅れを揶揄するとともに、国民の間に拡がりつつあるグローバル化に対する忌避感を恐れたのか、過去のスペイン風邪を引き合いに、日本人の改革疲れ(=グローバル化や国境開放への警戒感)を批難しています。

「中国人を野放図に入国させたせいでコロナが蔓延した」
「中国がマスクの輸出を止めたせいで、マスク不足が深刻化した」
「非常物資の生産拠点を海外に移すのは危険だ」
「外国産のものは信用できない。やっぱりちゃんとしたものを日本国内で作らないと」
「外国人をむやみやたらに入れるのは危険だ」etc

彼は、こうした国内回帰・国産重視の思想が国民の間で高まりつつあるのを警戒し、“グローバル化こそ正義。グローバル化に背を向ける奴は生き残れないぞ!”と恫喝しているわけです。

しかし、これは悪意に満ちた歴史の切り取り行為ですよね。

加谷氏は、スペイン風邪→関東大震災→昭和恐慌の時点で歴史をぶった切り、「当時の日本人がグローバル化に二の足を踏んだ結果、暗黒の昭和を招いた」と結論付けていますが、その後、高橋是清が見事な経済手腕を発揮し、
・管理通貨制度への移行(金本位制停止)
・大規模な財政政策発動
・円安政策&金融緩和政策
を断行して世界に先駆け恐慌から脱出した史実を意図的に無視しています。

【参照先】
https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%B2%A1%E6%94%BF-170465

海外からもたらされた疫病やデフレ恐慌、自然災害という外部要因や無責任要因の大津波に見舞われ、まさに国難級の大ピンチという時点で歴史を止め、当時の日本の経済政策を批難するのは、悪質な捏造でしかありません。

高橋是清は、日本の生産力がまだ脆弱だった時代にもかかわらず、金(ゴールド)に縛られた貨幣政策や経済政策を思い切って断ち切り、管理通貨制度という荒波に漕ぎ出したのです。
デフレの本質を的確に分析し、貨幣の本質を見事に見抜いた彼の怜悧な経済観念は稀に見る慧眼であり、まさに死中に活を見出した日本経済史に残る賢策です。

加谷氏の論は、昭和恐慌当時に死の淵の瀬戸際まで追い込まれた日本が、高橋財政による大恐慌からの脱却という起死回生の大逆転劇を演じた小説や映画並みのサクセスストーリーを、大団円を迎える寸前でぶった切り、後味の悪い胸糞映画や嫌ミス小説であるかのように騙るす質の悪い捏造ですよ。

元々、緊縮主義者で改革礼賛色の強い人物ゆえ、絶対正義だと信奉するグローバル化が、コロナ禍のせいで悪印象を持って語られるのが我慢ならないのでしょう。

しかし、一連のコロナ禍で最も大きな被害を被ったのは、グローバル化の最先端地域を自負してきたEUやアメリカでしたし、それを招いたのも、野放図な市場開放や国境開放による中国人や不法移民というゴキブリの大量輸入が原因と来た日には、彼がいくら駄々をこねても、行き過ぎたグローバル化が大きな壁にぶち当たったのは間違いありません。

加谷氏は、上記コラムの中で「スペイン風邪の歴史は、変化を忌避してきた日本に行動を促しているように見える」と述べ、何があってもグローバル化への歩みを止めるなと脅しつけていますが、盗人猛々しいとはこのことですね。

彼の言う“変化”、つまり、グローバル化や構造改悪、ボーダレス化、聖域なき財出カット、弱者切り捨て、競争礼賛という緊縮主義や構造改悪主義思想が、日本経済の基盤を破壊し、さらにコロナ禍という惨事を輸入した悪行に対する反省の色がまったく見受けられません。

変化すべきは、事ここに至っても、ボーダレス化による疫病の更なる蔓延を鼓舞し、歳出カットによる弱者切り捨て社会を推し進めようとする時代遅れのゴキブリどもの思想や思考そのものです。

いま進めるべき改革とは、
・日本は財政危機だという妄想を断ち切ること
・国債は次世代へのツケ回しという妄言を棄てること
・不況の原因は国民全体の所得不足による内需不足であるという事実を認めること
・税は社会的不公正是正の手段に過ぎず、歳出の財源ではないという常識を理解すること
・高度な供給力と通貨発行権の下では財源問題も財政問題も存在しないという事実を受け容れること
・財源問題に拘泥せず、社会的課題の解決に全力を注ぐこと
・国家の経済運営の基本は内需の振興であり、あらゆる生産物は国内生産を基本とすること
・経済運営はインフレ率と労働分配率に目配りしつつ進めること
といった具合に、緊縮主義から積極財政による経済拡大と国民への分配促進主義へと方針を大転換することです。

積極財政による成長と分配の促進こそが、令和時代に求められる経済改革であり、政官財報のみならず、当の国民自身がこうした変化に向けて一歩を踏み出さねばなりません。

令和時代が「暗黒の令和」となってしまのか、「輝ける令和」として後世に語り継がれるのか、国民全体が旧き悪習から変化できるかどうかにかかっています。